三十五章~そして、五年後~ ―それからの私―
あれから五年の月日が流れた。今の私は大羽心と二人で住んでいる。私と彼女は大学に通い、お互いの家計を支える為に空いた時間はほとんどバイトに励んでいる。
あの後はドタバタと環境が変わっていった。犬飼が先に手を回していたおかげで私は特別問題もなく大羽心と同居生活を送っている。お金の面や周囲の反応、いろんなこと問題もあったが原初との戦いに比べたら可愛いものだった。何を言われようが死ぬことはないのだから。
今、私と大羽心は向かい合わせに食事をしている。今日の当番は大羽心がしてくれたのもので総菜屋のコロッケとサラダ、そして味噌汁にご飯といたってシンプル。しかし、これでも良くなったと言ってもいい。昔は一般常識を学ばせるところから始まったので苦労したものだ。
「ねえ、真呼お姉ちゃん。今度の町に行くときの話なんだけどさ」
大羽心はそう話を振った。
イヌカイマコ。それが私に用意された名前だった。苗字は私のそれらしいプロフィールと一緒に犬飼が元から用意してくれていた。そこに彼が付けてくれたマコ……真呼という名前を合わせた。
「うん、シフトは空けてあるから大丈夫だよ。また一年か」
今私達は小さな安アパートに住んでいる。階段はボロボロで雨漏りもするようなところだけど嫌いではない。それは隣に家族がいるからなんだと思う。
生活をしていく為にも家を引き払い、あれから住んでいるところも変えた。前に住んでたところはどちかといえば山の多い町。そことは全然違う海の近い町。私が凛渡さんと住んでいた頃に海に行く約束をしていてそのままにしていたのを思い出して閃きのままに提案したらそのまま決定となった。どこに住んでも良かったのだが、心は海にワクワクしていた。凛渡さんも海が好きだったこともあり、やっぱり兄妹なんだなと改めて思ったものだ。
町を離れる際に心と誓ったのだ。いつか帰ってくる凛渡さんがもしかしたらこの町に帰って来るかもしれないと。一年に一回、凛渡さんが消えたあの日にあの町に行こうと決めたのだ。どこに行くという決まりはない、ただあの町に行ってあの人を探すのだ。凛渡さんはきっと帰ってくる。私と心は信じている。
「うん一年経つんだよ。……お兄ちゃん元気にしているといいな」
茶碗から顔を上げて話をする心の口元にはご飯粒。私は苦笑を浮かべて、そのご飯粒を摘むと口に入れた。
ありがとう、とニッコリ笑う心。そんな穏やかな笑顔に私も目を細める。
あの戦いの後に彼女を迎えにいって、あの子に凛渡さんのことを話して泣かれ、私も一緒に泣いた。そこからは二人で信じ続けるのだと決めた。二人で支えあって生きていこう。あの日の手を繋いだ温かさは今でも思い出せる。きっと、心も一緒なんだと信じている。
いってきます、その言葉を今も胸に。
※
日曜日がきた。心は兄に会えるかもしれないと前の晩からの服選びで眠そうだ。……それほど服は持っている方ではないのに。だけど、選んでいるこの子は楽しそうだった。そういう私も常に期待している。彼の香りが残るこの町に来て、幼い日の彼と私の知る五年間の彼との話をするのが楽しみだった。
朝一で雷太さんが迎えに来た。まだピカピカの軽自動車で故郷まで車で乗せていってくれる。
雷太さんは私と心が二人で生活をするようになってからは頻繁にやってきた。それは凛渡さんを助けられなかった罪の意識からだったのだろう。その時も軽口を叩きながらもいつも苦しそうだった。私達がやってこれたのは彼の存在も大きい。最近、心は雷太さんのことが気になるようだが、雷太さんは気づかないのかそれともそういうフリをしているのか、そうした雰囲気から逃げているように思える。しかし、そんな心も恋愛経験が全くないので自分の気持ちにも混乱しているようだ。……この恋愛が実るのはなかなかに難しそうだ。
雷太さんはこれから仕事があるらしくて私達を駅前で降ろすと名残惜しそうにその場を去った。まだ彼も苦しんでいるようだった。私達のためになるこをできる限りしたい、もっともっと力になりたいとその表情は言っているようだった。
空を見上げる。飛行機雲が流れる。……凛渡さん、みんな待ってますよ。
※
蝉の声をバックに歩く。学校を通った、よく行ったショッピングモールも行ったし、近所の公園にも行った。彼の姿はどこにもなく、いつもと同じように思い出話をするばかり。
そんな時、心がおそるおそる喋りだした。
「……私達の家に行ってみない」
それは避けていた目的地の一つでもあった。家を引き払えば、空き地になっているかもしれないし、他の誰かが住んでいるかもしれない。彼と私達の思い出の宝箱であるあそこが変わってしまっていることを見てしまうことに嫌悪を感じる。なにかを言うことはなかったが、私と心はお互いにそこを避けているのだ。
それを心から提案してきたのだ。心は少しずつ成長し過去と向き合おうとしているのだ。私はそれを断ることなんてできない。
「うん、行こうか。私達の家に」
少し体が震える。あの温かな場所が変わってしまうことが怖い。
「行こう」
大羽心はそうはっきりと言った。震えはピタリと止まる。私は一人じゃない。私達は家に向かって歩き出した。
※
家は昔のままでそこに立っていた。当たり前の話だが、本当に昔のままのようだ。庭の花壇も多少は荒れているが殆ど変わらずに玄関のポストも錆も目立たずに赤を保ったままで名札のところは白紙だった。名前がないということは人が住んでいないということ。
「良かったね、お姉ちゃん」
そう言う心もホッとしているようだ。
「ねえ、入ってもいいかな。入れないのかな……」
鍵は管理会社が管理している。そうそう鍵なんて開くはずもない。声で止めるよりも早くドアノブに手を伸ばす心。
――ガチャリ。何か世界が変わる音にも何かが始まる音にも聞こえたのは私だけなのだろうか。
「うそ……」
自然と私は驚きの声を漏らす。
「あ、開いたよ! お姉ちゃん! これ開くものなの!?」
「えと、普通なら開かないものだけど……どうするの」
普段は私が彼女を引っ張る立場だが、この状況を作り出した彼女に気づくとそんなことを問いかけていた。
「――入ろう。入らないと後悔する気がする。きっと」
大羽心は家の中に吸い込まれていく。家の中から。
――ただいま! と心の大きな声。
私も慌ててそれに続く、そしてそれが当たり前のように五年前のあの頃のように。
「……ただいま」
私もそう言っていた。昔のように先に家に着いた彼の声を聞きたくて。
もう少し続きます。




