三十四章
世界が揺れる。大地の躍動を体に受け震える世界の中に青い騎士が立つ。
不思議なものだ。あれだけ拒んで恐れた存在を受け入れるというのがここまで心地よく思えるとは。沈んでいく、沈んでいくようだ。深い海の中に。その深海の中で男が立っていた。顔は見えないがそいつがブルーだと理解できた。
――まさかこんな時が来るなんてな。
俺が軽口で言えば。
――お前には感謝している。ありがとう。
男の低く落ち着いた声。
――お前からお礼を言われるなんて思いもしなかったよ。お喋りしている暇もないし……さあ、行くぞ。
――ああ、俺とお前ならできる。遅れるなよ。
聞いたことがない今までで一番頼りがいのある声。トーンが少し上がっているようにも聞こえる。
何故だか俺は嬉しくなる。だが、俺も言われてばかりではない。
――追い越しても知らねえぞ。
ブルーは楽しそうに笑い声で返事をした。
※
人間三人分はある青い巨人が出現する。鋭い眼光が勇ましく輝く。腰を落として原初を見据える。そして、その数秒後。青い騎士は地面を蹴った。蹴り飛ばした土は爆発するように弾け飛ぶ。先で待つのは原初。
「ごちゃごちゃくだらないんだよ!」
原初は手を振るう。猛烈な勢いで突っ込んでいたブルーの動きがピタリと止まる。右腕を構えたままで見えない壁にブルーの拳は遮られた。しかし、そこで足を止めない。
「こんなことで……!」
ブルーからは二人の男の声が響いた。凛渡とブルー。心を持つヨロイと共に覚醒した証明だった。地面に着地した足に力を入れた。
「ぐっ…… ! ヨロイ使い風情が! 偽者が!」
原初は少しずつ少しずつ後退していく。歯を食いしばり、腕や足から滲むように流れる血は原初の体を保てない証。この世界に存在を残せないという結果。
「――偽者かもしれない! だが、俺達は生きてる!」
ブルーは叫ぶ。それはブルーという青年の心の奥底から響く真実の声だった。
ブルーの背中の装甲にヒビが入る。その隙間から煌く青い翼が出現した。十数メートルはあると思われる大きな翼。両翼を羽ばたかせる。奴を穿てと。
――キンッ。グラスにヒビが入るような音が響く。それは原初の見えない壁を粉砕する音。舞い上がる羽、再び原初へ向かう。
「ここで終われるか――」
気づけばブルーは遥か後方へ叩きつけられた。飛ばされた際に薙ぎ倒された木々の間から奴の姿が見えた。
「私がこの姿になるんだ。……絶対に生かしておけない」
原初の姿は先ほどの女の姿から黄金の鎧へと姿を変えていた。顔は鮫のように獰猛さを感じさせるほどシャープに体の大きさはブルーとはさほど変わらないが、両肩には虎、両足には竜、胸部には鷹の頭部の装飾がされていた。その獣達を従わせるような姿は自分が王だと宣言しているようだった。
なるほど、この姿なら俺を殴り飛ばせるわけか。だが、これではっきりした。
「それがお前も俺達と同じだという証明だ!」
原初の一撃に対してのダメージを抜け切れないままで再び地面を蹴る。呼吸をするよりも早く原初の懐に入り込んだ。すかさず、握り締めた右腕の拳を原初に振るう。
「この……! 違う、私はお前達ほど愚かではない!」
拳が原初の頭部にヒビを入れる。すかさず左のストレートを決めようと左腕に力を入れる。
「くっそたれ……!」
それよりも早く原初の左腕がブルーの左目を抉る。よろめくことすら我慢して、再び下ろした右腕を原初の顔面へ浴びせる。
「愚かなのは人じぇねえ……! 愚かだと思うその心だ!」
渾身の一撃が原初の顔を揺らす。
※
壮絶な殴り合いが続く。どれだけ殴っているのか分からない。どれだけ殴られたのか分からない。しかし、殴れば殴るだけ俺が消えていく。殴られても消えていく。いろんなものが崩れていく。愛した君の笑顔も。守りたい大切な人も。信頼できる友人も。
鎧の腕はひしゃげながらも殴り続ける。それは原初の黄金の鎧も一緒だ。豪華絢爛な装飾は弾けとび、残るのは醜い原初の執念と醜くただれた鎧。
二体の鎧が体液を撒き散らしながらも殴りあいを続ける。
俺は大羽凛渡。俺は大羽凛渡。俺は大羽凛渡。忘れないように刻み続けるんだ。
※
今俺はなにをしている。俺はなんだ。俺は俺は。俺は何故目の前の奴を殴っているんだ。分からない、なぜなんだ。体が痛い、意識が遠くなる。ここはどこなんだ。暗いよ、助けてよ、怖いよ。僕は何でここまでしないとけいないの。……理由が分からないよ。
青い鎧が膝をついた。
もう分からない。分からないから、ここでやめておこう。うん、それがいい。ここでやめてしまえばきっと楽なんだ。そうだ、うん。このまま、このまま……。
片腕の黄金の鎧が震える腕を上げた。それは青い鎧へトドメの一撃のために。ゆっくりと傷だらけの腕が落ちる。
これで終わる……。
――凛渡!
時に笑顔をくれて時に全てを託せる男の声。
――がんばれ、お兄ちゃん。
自分よりも年下と思われる女の子の声。
――凛渡さん! 負けないで!
気持ちが温かくなる女の子の声。
俺には守りたい人たちがいる!
ガシン、と金属と金属のぶつかる音。ブルーは原初の拳を受け止めていた。そして、その受け止めた拳をブルーは握りつぶした。原初の悲鳴が聞こえた。
青い鎧はよろめきながらも立ち上がる。しかし、そのまま青い鎧は動きを止めた。腕をだらりと下ろすが、その腕も右腕のみ。顔は随分前に潰れていた。それは全ての力を使い果たしたかのように。金属と金属が激しくひしゃげ、ぶつかり合う音がもともとの静寂を取り戻す。
凛渡は問う。
今のはなんだ、今の人たちの顔は……俺は……どうすればいいんだ。消えていく男の顔、消えていく家族のこと……ぼくは……誰なのか……誰…だれ……ぼくは……君達は……。
――凛渡さんを愛してる。
暗闇の中に少女が浮かんだ。
ブルーの瞳に光が戻る。
「これで……ここで……終わりだ……!」
ブルーは右の拳を頭よりも高く掲げた。腕が青く輝く。世界中を青に染めるように強烈な輝き。
「行け――!」
ブルーの右の拳が原初の体を貫いた。
※
フレイムは衝撃波の中でその光景を見つめ続けていた。並の人間ならとっくに体は粉々になっているその衝撃もフレイムだからこそ耐えられた。楽ではなかったが、兄達の最後の戦いを見つめ続けた。自分にはその義務があるのだと。
そして、戦いが終わった。時間はもしかしたら一時間も経っていないのかもしれない。しかし、私からしてみればまるで永遠とも呼べるような時間に感じた。
黄金の鎧に青の鎧が腕を貫通させたままでそのまま覆い重なるように二体は完全に動きを止めていた。
「そこにいるのか……」
凛渡さんの声に私は慌てて駆け寄る。今ここが危険だとか自分の行動が迂闊かもしれないとか考えもせずに愛した人のもとへ。
「います……ここにいます……」
私は青い鎧に寄り添う。血液のように流れる体液が付着する。私にはそれが涙のように思えた。
「分からないことばかりなんだ。……教えてくれ……俺は何で戦っているんだ」
その声と言葉に私は苦しくなる。これだけ誰かの為に戦い続けた人がこんなことになるなんて。罰を受けなければいけないのは私なのに。私が背負わないといけないのに。
「……貴方は守りたい人がいるから、その人のために戦っているんですよ」
涙声になっていたかもしれない。私は私の涙を止めることができなくなった。そう、彼は大切な家族の為にここまで来たのだ。
「そうか、守りたい人のためか。……きっと君のことなんだろうな」
泣いてはいけない、泣いてはいけない。そう思いながら返答。
「ちがっ……違います。貴方には妹がいるんです。貴方はその人を守る為にここまでしてきたんですっ……」
落ち着いた声がその後に返ってきた。
「そうか、なんだかそんな気がするな。だけど、君はなんで泣いているんだ。……俺は君にも泣いてほしくないと思う。……きっと君も俺の大切な人なんだね」
涙は流れ続けるだけだった。
「違いますっ……私はそんな……!」
「ありがとう。……じゃあ、俺は行くよ」
その声に私はハッと顔を上げた。
「行くって……どこに行くんですか!?」
「僕……あ、俺か。俺が戦っていたコイツはまだ生きてるんだ。普通にしても倒せないから、俺はコイツを連れて行く」
原初の方に視線を向ければ。原初の鎧の破損した部分は少しずつ少しずつ隙間を埋めており、周囲を光の粒子が集まり傷口を癒していた。その光景に私は戦慄を覚える。コイツはここまでしても倒せない存在なのか。このために何人の人間が命を散らしたと思っているんだ。それでも……。
「分かってくれたかな。コイツを完全に倒すために必要なんだ。時間がないから急ぐよ」
そう言っている間も準備するように青の鎧が光りだす。原初を包んでいた光の粒子とよく似たものが包んでいく。
「ダメ、行かないで……! 行ってほしくない、貴方が犠牲になる必要なんてないの……行かないで! 凛渡さん!」
叫ぶ、彼が聞いてくれるはずがないと知りながら。それでも縋るように。
「リント、俺の名前か。君の名前を教えてもらえないか」
フレイムは首を強く振った。さらに輝きを強める青い鎧を抱きしめなら。行かないように離れないように。
「私に名前なんてない……!」
「え、そうなんだ。……じゃあ、俺が名前を付けてあげるよ。さっきから頭の中にずっとある名前なんだ。もし良かったら使ってよ。その名前はね――」
それはとても優しい名前だった。
「ありがとございます……ありがとうございます……! はい、私その名前を大事に大事に使わせてもらいます……」
表情は分からないが鎧姿の凛渡さんが嬉しそうに笑った気がした。
今まで強く握っていた腕が軽くなる。私はペタリとその場に座り込んだ。そこに残されたのは私だけ。二体の鎧の姿はもうどこにも見当たらない。
「朝……」
少しずつ夜が明けようとしていた。顔を出し始めたお日様の光に目を細める。
周囲の土をかき集める。彼がいた痕跡を探す。探せば探すほどに彼がいないのだという現実が私にのしかかる。泥だらけになった両手を見つめて、私はそこで一人泣き続けた。
この日を境に世界からヨロイが消えた。




