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三十二章

 俺が一歩、また一歩とフレイムに歩み寄る。それに反応してフレイムも後ろに一歩後退する。つい数十分前までの無表情とは違い、俺が近づくことに対して怯えていることが理解できた。

 「フレイム……」

 他に呼び方が浮かばずにそう口にした。

 「知られたくなかった。凛渡さんには……お兄ちゃんと一緒にいる凛渡さんには特に。……私はこんなに気持ちの悪い人間なの。異常なの」

 フレイムは両手を頭に置く首を左右に大きく動かした。その一つ一つの動きが俺の知っている大羽心のものだとはっきりと認識できた。

 ――……アイツが現れた。

 また声が聞こえた。今までの大切な手紙を読み返すような穏やかな口調のフレイムの声とは別人のような暗く沈んだ声。

 「ダメ……! それは一番ダメ……」

 悲痛なフレイムの声が聞こえた。

 ここで何か言えれば良いのかもしれない。しかし、俺はそうすることが当たり前のようにそのもう一つの声に耳を傾けた。目の前に本人がいるのにも関わらず。

 ――アイツが平穏を壊した。緩やかに崩壊していくだけの日常だったのかもしれない。だけど、私にとってはこれ以上ないってほどの世界の終わりだった。全て壊された。……本物が逃げ出した。私がアイツを追いかけたが奴のチカラに阻まれた。許せない。アイツはきっと凛渡さんに会う。

 「――いやぁ!」

 フレイムの声は悲鳴に変わる。

 俺は頭に直接響くこの声を聞いてから動けなくなっていた。

 本物、つまりは本当のココロ。……フレイムはココロを殺そうとしていたのか。俺はこの頭に直接響く声を聞き、俺の中のフレイムの誤解は解けると同時に素のフレイムを知ることになった。

 ――ほら、私の考えた通りになった。あの人は私の敵になり、戦わなくてもいい戦いに出向く。犬飼の計画通りというやつだろう。私と彼の穏やかな終わりに帰ることができない。……もう私に居場所など無い。生きていても未来はない。

 ――原初との戦いがもうすぐ始まる。これで終わる。勝っても負けても終わる。凛渡さん、貴方は私にたくさんの幸せをくれた。私のちっぽけな命で今度は恩返しをする番だ。最初はお兄ちゃんを奪った人間だと恨んでいる自分もいた。しかし、彼のことを知れば知るほどに愛していった。

 ――あの人と私は一緒。彼を兄の偽者と私は恨み、彼は私を偽者だと恨んだ。私の気持ちは変わったが彼の気持ちは変わることはない。いや、知ってしまえば、五年も家族として過ごした人間に恋愛感情を持ったのだ。戻るはずはなく、蔑ませるだけ。兄妹がいるということを知っている人間からしてみれば、とても気持ちの悪い感情。例え血の繋がりが無くても、私は偽者で異常者なのだ。

 「――ダメ!」

 世界を炎が包んだ。暗闇を見つめていた自分の視界の中に激しい光が焼きつく。目をうっすらと開ければ、俺とフレイムが立っている場所以外の全てといってもいいぐらい一面を炎の草原が続いていた。

 肩で息をするフレイムが声を荒げた。

 「なんで……こんなことに……!? 終わるつもりだった、さっきので死んでも良かった。それなのに、なんで……出て来い! 原初!」

 フレイムを囲む炎が巨大な鳥が羽ばたくように膨れ上がると頭上を飛び回った。それは原初を探すための攻撃なのだろうが、標的に命中している様子はない。

 『あらあら、大変ね。私のこと呼んだかしら』

 「原初……!」

 憎しみの声を上げたフレイム。 

 原初はそれを冷静に返事を返した。

 『楽しんでいただけたかしら。貴女の中に鬱々と溜まったクソみたいな想いを吐き出すお手伝いをしただけ。でも』

 本当にかわいいわね、と言葉を続けた。小ばかにするよう。

 『大好きな男の子ができて、慣れない恋愛に右往左往。本当にかわいいお嬢ちゃん。そして、自分の生の感情を大好きな人に見られただけで自分を保つこともできない。人生経験が不足してるよ』

 私の言えることじゃないか、とクスクスと笑い声が響く。

 「……何がしたいの、お前は」

 『今ここにいる三人は似ているの。とても近くて遠い三人。……貴女は何かズルイ気がしてね。知的好奇心てやつかしら。ここは私の作り出した貴女の深層心理よ。好きなだけ貴女を曝け出しなさい。大切な人に……』

 その言葉を最後に静寂が包んだ。フレイムの放つ憎しみの炎が全方位を燃えつくしていた。

 フレイムは泣いていた。悲鳴を上げて怒りを撒き散らした。炎が手となり口となり原初の姿を隠す。フレイムが泣けば炎は大きく跳ね上がり、聞いてる俺の耳が痛くなるほどの声を上げれば周囲を包んでいた炎がいくつものを竜巻を作り出す。

 どれだけチカラを発揮しても原初がいるはずない。ここはフレイムの世界。奴は外側からフレイムに揺さぶりをかけているだけ。たぶん、現実の世界のフレイムはチカラの暴走に苦しんでいるんだろう。口でどれだけ言っても奴の狙いはフレイムの暴走なのだろう。

 彼女を壊してしまったのは俺が原因だ。そして、今大事な気持ちは指をくわえて見ていることじゃない。大事なのは、俺の感情だ。彼女に対して抱く俺の真実の気持ち。

 俺は歩き出した。

 「こういうところは現実なんだな……」

 彼女までの道のりを拒むように炎が体にまとわりつく。体中の皮を引きちぎられるような痛みが襲う。歯を食いしばって歩き出せば、その痛みは体内まで焼き尽くしそうだ。自己満足かもしれないが、この痛みは自分への罰に思えた。そう思えばどれだけ苦しくても耐えられる。

 ついこの間まで彼女を本当の妹として接していた。洗脳のチカラはもう解けているのだろう。今ならはっきりと彼女は妹じゃないということが分かる。似ても似つかないあの子とずっと一緒に暮らしてきた。身寄りのない二人が一緒に生きていくために必要だと管理局で自宅を交互に過ごしてきた。寄り添うように二人で生きてきた。彼女が俺と過ごした時間をかけがえのないものに感じているように彼女がいたからこそ俺も生きてこれた。本当の彼女を知ったからこその気持ちもある。答えは簡単なんだ。

 やっと辿り着いた。彼女の目の前に俺は立つ。

 泣き叫んでいたフレイムは動きを止めた。

 「……見ないで」

 あれだけ強さを感じさせたフレイムはもういない。俺の目に映るのは怯えきった表情の少女がいるだけだ。言葉を続けるフレイム。

 「本当にごめんなさい。……私なんていなければ良かった。貴女を好きにならなければ良かった。ただ戦うだけの機械でいれば良かった。……ごめんなさい、ごめんなさい。お兄ちゃん……凛渡さん……ごめんなさい」

 「――関係ねえ!」

 大粒の涙を流すフレイムは顔を上げた。

 「お前が偽者かどうかなんてもう関係ない。今ここにいるのは大羽心でもフレイムでもない。一人の少女がいるだけだ。……俺の大切な人がいるだけだ」

 俺の言葉が終わる頃には彼女は充血した目で顔を上げた。

 「凛渡さん……」

 そっと彼女の頭を撫でた。

 「お前がいるから俺は生きてこれた。救われたのはお前だけじゃない、俺も救われた。近くにいてくれたから、守りたいと思ったからだ。未来ならここにある。居場所もここにある」

 「でも、ココロが……凛渡さんの本当の妹が……」

 「それがどうした! ……アイツは俺の妹だ。お前のことぐらい受け入れられる奴だと信じてる」

 「……私、まともな人間じゃないから。きっと、後悔する」

 「後悔なんてしない! 俺はお前と過ごして後悔したことなんて一度もない! これからだって絶対に後悔なんてしない! それに、俺やココロだってもうまともな人間とは呼べないしな。だから、とは言わないが……この五年間と同じように俺とココロと一緒に生きていくんだ。お前の居場所はここにある。お前が望む限りここにあるんだ!」

 フレイムは俺の言葉を聞くとしゃっくりを上げた。小さな子供のように顔を赤くして。

 「私は最初から人と違うの……貴方が思っている以上に私は……」

 「――うるせえよ。俺の近くにいろ。お前がいないと俺が困るんだ。ただ俺のそばにいてほしいだけなんだよ。お前が誰だろうと俺はお前のことが大切だ。さあ、早くこのくだらねえ世界から抜け出そうぜ。……行こう、今度こそ俺が守る。安っぽい常識もくだらねえ理屈も全て壊してお前を守り抜く」

 俺は彼女に手を伸ばす。

 フレイムは手を伸ばす。握ると思われた手は途中で止まり、宙でその動きが停止する。その手は震えていた。迷い続けるその手を俺は掴んだ。

 天井の暗闇にヒビが入る。少しずつその割れ目から光が射す。割れ目から無数のシャボン玉がふわふわと頭の上を流れていく。

 「ほら、迎えも来た」

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