三十一章
「お前が何で俺を助けるんだよ……!?」
俺は虚ろな瞳へ向けて叫んだ。
背中に回した手の生温い血液に触れることで胸の鼓動が早くなる。
「気づいたら……」
「――助けたのかよ! なんで……お前は俺を助けるわけなんて……」
そう、俺を助けるわけなんてない。これじゃ、まるでコイツは――。
――本当に良かった。
え、俺の口元からそう漏れた。誰かの声が聞こえた。それは聞こえるはずがない言葉。そして、嫌というほどに聞き覚えのある声。俺の胸の中で小さく呼吸をするフレイムの声。
フレイムに視線を向ければ首を小さく振る。
……いったい、どういうことだ。そう考えた直後に再び声。
――凛渡さんを助けられて良かった。この人に何かあったら、私はもう……。
「う……そ……」
フレイムの表情が崩れた。驚きに目が見開く。
その表情を見てすぐに理解できた。これは本当のフレイムの声だ。そして、フレイムを無視してこんなことができる奴は一人。
「なにをしたんだ、お前は」
その光景を攻撃もせずに黙って見ていた原初は口を歪ませた。
「その子に変な違和感があってね。こう……なんていうのかしら。仮面を付けている感じなの。仮面は仮面でも全部本物の仮面ていうか。自分を隠そうとしているくせに全て丸出しなのよ。すごい……下品な感じ」
自分の顎を撫でながら舐め回すようにフレイムを見つめる。
「品がないのはお前だろ」
「そうかしら。自分がなんなのか分からなくてぐちゃぐちゃな感じがするのよ。成り立ての私みたいに。……だから、私が素直になれるように協力してあげるのよ」
やめて、とフレイムが小さく言った気がした。視線をフレイムに向ければ大きな影が映った。背後に奴が移動してきたのがわかった。
「――こういう風に、ね」
しまった、とそう思った時はもう遅かった。原初の手が俺の頭に触れた。ただそれだけだ。
※
暗闇の中に体が浮かんでいた。しばらく、ぼんやりと無音の空間で上を見上げていた。死んだのかと思ったがなにか違う。どれだけそうしていたのか分からないが音楽のように声が聞こえる。
――私はフレイム。名前はない。しかし、今日から私は名前を貰う。……それは、大羽心。いや、貰うわけではない借りるのだ。いつか返すまでの代役として。
フレイムの声が聞こえた。俺は地面に足がつくことを知って歩き出す。
――そして兄ができた。本物であり偽者でもある兄。大羽凛渡。私を妹と思い込まされたかわいそうな人。退院してからの再開という洗脳に気づきもせずに、大羽凛渡は私を本当の妹として強く抱きしめた。無事で良かった、生きてて良かった、絶対に守る。何故だか私は少し泣いてしまった。……あの時は分からなかったが、今ならその理由も少し分かる気がする。
小さなフレイムが見えた。泣いている。俺が駆け寄ろうと思えば、隣には男の子が立っていた。昔の俺だ。
――一年目。うまく感情を表現できない私にあの人は料理を作ってみせた。最初はおいしくなかったが少しずつおいしくなっていった。慣れない戦いで体中を傷だらけにしながら、家事をこなして勉強をして私を愛してくれた。……この時の私はまだ理解できていなかった。
まだ歩く、フレイムが形の歪な野菜がたくさん入ったカレーを食べていた。凄く食べにくそうに。フレイムの頬を涙が流れた。
――二年目。大羽心の誕生日。手作りケーキ、年齢の数並ぶローソクの火を消した。火をつけることばかりだが、火を消すという行為にあまり意味を感じられなかった。おめでとう、と大羽凛渡は手を叩く。去年も泣いていたが、今年も泣いている。この兄は本当に泣き虫だ。プレゼントのおもちゃの指輪は今でも私の……大羽心の引き出しにある。
歩き続ける。光がぼんやりと浮かんだ、下手くそなケーキが現れた。そして、ローソクの前でぼんやりとするフレイム。隣に立つのは少しだけ背の伸びた俺、背中を優しく押すとフレイムは火を消した。
――三年目。お兄ちゃんが戦いで活躍していると犬飼から聞いた。そう言えば、最近は怪我している様子もない。何故かほっとしている私がいる。お兄ちゃんを監視する任務についていれば戦わなくていいからなのか。……戦わなくていい、どうして私はそんなことを考えるのか。戦いは私の全て、戦うことで私は生きている。同じように戦うお兄ちゃんは、なんでここまで真っ直ぐに戦っていられるのか。……私がいるから?
今度は歩くのをやめた。すると、辺り一面を炎が覆った。その炎の中で悲しげに立つのはフレイムの姿。炎の色が青に染まる。フレイムは顔を上げる。炎が消えた。そこに立つのはフレイムに手を伸ばす俺の姿。
――四年目。最近、お兄ちゃんのことを考えると気持ちがおかしくなる。この間、クラスの女の子から告白されているお兄ちゃんをたまたま見てしまった。それから三日ぐらい気持ちが変になった。怒っているような悲しいような怖いような、あまり楽しくない気持ち。お兄ちゃんは告白した女の子を振ったのだと雷太さんから聞いた。……なんか、うれしい。
また歩き出した。部屋で体育座りをしているフレイム。ドアのノックする音が聞こえる。俺の横を今の俺の外見に近くなった大羽凛渡が通り過ぎた。フレイムは俺に駆け寄った。
――五年目。私は凛渡さんが好きだ。兄妹としてではない。一人の異性として彼を見ている。私の心を救い、私を守り続ける彼の姿はとても……素敵に思えた。彼との穏やかな毎日がずっと続いてほしいと願う。私も彼の為になにかできないだろうかと最近は考える。五年かけてやっとこれだ。立場的にも彼の気持ち的にも……この恋は絶対に叶わない。叶わないからこそ、この幸福の中で私は生きていられるのだ。これ以上願うことはワガママなのかな。……人を愛するというこの厳しさと温かさを知った。
――愛している。凛渡さんを愛している。貴方のそばにいたい。他の誰よりもずっと永遠に。この体が壊れても私の気持ちをヨロイに喰われたとしても貴方の幸せを永久に祈り続ける。……ねえ、これだけたくさん愛しても。私は近くにいちゃいけないのかな。化け物だからダメなの。最初から人と違うからダメなのなかな。嫌だよ、ずっと凛渡さんの近くにいたい。……愛しているの大好きなの。
気づいたら走り出していた。たくさんの五年間の記憶を駆け抜けた。そのほとんどの記憶の中に俺がいた。そして、辿り着いた。
暗闇にぼんやりと浮かび上がる姿を見つけた。大羽心として生きた……今のフレイムがそこに立っていた。
「い……や……。見ないで……」
フレイムは目を真っ赤にして泣いていた。ただ泣くのではなく、この世の終わりのような表情が見えた。世界で一番見られたくないものを世界で一番見てほしくない人に見られた。そういう顔をしていた。




