二十九章
「僕は……君が好きなんだ。今、殺そうとしている僕が言うのはおかしな話と思うだろ。……いや、もう君にそういう概念はないのかもしれない。今の君はただヨロイを生み出し続けるだけの存在なんだよね」
犬飼は自嘲気味に笑みを浮かべる。
「本当、気持ちが悪いお兄様。だから友達がいないのよ。なにも信じるものができないのよ。だから……妹に母を重ねて恋人を重ねて接してしまうのよ」
降りかかる妹の言葉に犬飼は頭を垂れた。
「……そうだ。僕は君の言う通りの愚かな存在。だけど……君が好きだ」
垂れていた頭がゆっくりと持ち上がると原初に視線を返した。その瞳からは覚悟を感じられた。
「好きなんだ! 君が本当に好きだ心の底から! 君は僕の妹であり家族でもある。好きになってはいけない相手なんだ。例え異常でも狂気でも……好きなんだよ。心の底から」
犬飼はふらふらと立ち上がる。震える腕で原初を抱き寄せた。目の前に居るのは化け物としてではなく、愛した女性を優しく抱擁するように。
「お兄様、私の答えは言った通りよ。これで終わり。貴方の物語はこれで終わりなのよ。さようならお兄様。貴方の言葉と挙動に込み上げた吐き気は忘れはしないわ。これからは私は原初として」
「――いや、終わらせるのは僕だ」
原初の目が大きく見開く。小さく空気の抜ける音がした。
原初の背中に回っていた犬飼の手には一本の空になった注射器が握られていた。
原初は一歩ずつ足場を確認するように後方へ。五、六歩後退したところで原初は前髪をグッと引っ張り歯ぎしりをギリギリと響かせた。悔しそうに忌々しげに。
「狐め……」
顔を歪める原初は振り絞るように声を出す。
犬飼は空の注射器を足元に転がすと踏み潰した。甲高い音が状況の変化を知らせるようだった。
「僕は嘘つきなんだ。……今、君に射した注射器はね。ココロちゃんから採取した血液から作られたものなんだ。前にヨロイ使いに実験したことがあるんだけど、ヨロイのチカラを消すと同時に被験者の心まで壊してしまった薬なんだ。普通ならそんな薬は使えない。けどさ、今みたいな状況なら、これ以上好都合な物はないんだ」
先ほどの爆発でヒビが入ったメガネを持ち上げ整える。
薬の効果だろうか。原初の充血した目が犬飼を睨む。
「お前、実の妹を殺すのだぞ。愛した女を」
犬飼は頭を振った。
「――殺すんじゃない壊すんだ。……僕は嘘つきだけど、愛しているていうのは本当のことだ。君は僕の大切な妹になれはしない。まず僕の妹は君みたいに下品じゃないし、人なんて殺せない。虫も殺せないような子なんだ。それに僕に酷いことなんて絶対に言わない天使のような子なのさ。……だから僕は妹の姿をした偽者を壊すことにした。僕の天使は絶対に君じゃない」
原初の口元からは我慢できずに血が溢れ出していた。
「狂っているなお前ぇ。……妹の体を借りている私を殺したら妹も死ぬぞ」
ひゃひゃひゃ、と小さくも不気味な笑い声を上げる。
犬飼はため息をついた。
「何を言っているんだお前は。君は妹じゃないんだ。君を壊した後で、この世界のどこかにいる彼女を探しに行くよ。偽者の君がいるから本物の彼女は出てこれないでいるんだ。きっと」
俺は背筋が冷たくなるのを感じた。奴は、自分に都合の良い性格をした妹しか信じていない。さらに、この世界で妹がどこかで隠れ住んでいると信じている。その時、フレイムの言葉を思い出した。
――それからなのだろう、男が壊れたのは。
確かに壊れている奴は確実に。その言葉が今になってはっきりと身に沁みる。妹を一人の女として愛し、自分の理想の性格しか信じようとせずに、天使として崇める妹が死ぬわけないと妄信してる。狂っているとしか言えない。
「私の顔に泥を塗ったんだ……覚悟ぉ……できてるねぇ……」
原初は大きく凶悪的に顔を愉快に歪めた。目は充血どころか瞳の色も分からないぐらい赤く染まる。
犬飼は胸元から拳銃を出す。
「もういいよ、ばいばい」
容赦なく引き金を引いた。句読だった原初を殺した時のように無造作に。一発の銃弾は原初の頭を貫通する。あ、と小さく声を漏らす原初が体を仰け反らせながら地面に仰向けに倒れ込む。ビクビク、と痙攣を起こすとそのまま動きを止めた。
※
先ほどのようにケタケタと笑い出さない原初を黙って見つめること五分。
緊張の糸が切れたように、その時初めてフレイムが声を漏らした。
「終わったの?」
その声に俺も初めて緊張が解けていくを感じる。
「これで、終わるんだ。やっと……」
犬飼は俺とフレイムを見渡せばにんまりといつもの笑みを浮かべる。
「これでオシマイ。どうやら、ココロちゃんの出番はなかったみたいだね」
そのいつも通りのヘラヘラした顔に毒気を抜かれつつ、ため息をつく。
「うるせえぞ。ド変態」
犬飼は俺の方を向くとジッと見つめた。
「違うよ、僕は妹が大好きなだけ。……僕は彼女に永遠の片思いをしているだけ」
「え、お前それって――」
本当は妹が死んでいるって分かっているのか。そう聞こうとした。間抜けに開いた口に何か飛び込んできた。
鉄の味。それが犬飼の血液だと知るのは三秒後の話。
「い……犬飼……」
犬飼の胸を女の腕が貫いていた。その腕の一撃は犬飼の心臓を潰すには十分な位置と威力を持つ一撃だった。
「準備して。来るよ」
気づくとフレイムが俺の隣でそう言う。覚悟を決めた眼差しは、強い意志の元に動いているようだった。
ピクリとも動かない犬飼は宙を舞う。二度三度舞い上がると体が浮き上がるような突風。犬飼の体は遥か彼方の大木へ叩きつけられた。そして、今犬飼の代わりに立つのは血まみれの右腕をぶらりと揺らす原初。薬が効いているのだろう。先ほどよりは色が薄くなったが赤く染まる目で俺達を見据える。
「クソメガネェ……コイツら始末したらメガネの体バラバラにしに行くから待ってろよぉ! おい、私をコケにしたんだ。無事に帰れないて分かってるよなぁ。置いていくもんは置いていけよ。体を命を! 私に差し出せよ!」
その声に辺りが震える。大気が揺れる。
俺は震える体に鞭を打ち立ち上がる。
――ブルー……。今までいろいろあったけど、これが最後だ。お前の契約を叶えるぞ。
――任せろ。
頼もしい声だ。ブルーの過去を聞き、俺はブルーに不思議な親近感を感じていた。もしも人として同じ時間を過ごしていたらいい友達になっていたかもしれない。なんて考えると同時に、そんな余裕がまだあったのかと苦笑を浮かべる。
「行くぞ、ブルー」
俺は刀を抜くと刀にブルーを寄生させた。青の輝きは今まで見た中で一番爛々と輝く。青に染まる刃を原初に向ける。
絶対にコイツを止める。必ずこの戦いを終わらせる。今日ここで。




