二章―5年後―
五年後。とある高校のホームルームから始まる。教壇に立つのは男性教諭。
「以上で、今学期最後のホームルームを終わります。夏休みに入るからといって、羽目を外し過ぎないように。節度を持った生活を……以上、日直」
担任の古鉄教諭の一言で、解放的なムードへと雰囲気を変えた。長身の古鉄教諭は、威圧感を与えるような鋭い瞳でクラスを見回すと、そそくさとその場を後にした。残るのは、夏休みへの高揚感へ浮かれる学生のみ。それがこの2年A組である。
「凛渡ー。早く帰ろうぜ」
振り返るとクラスメイトの大狩雷太。浅黒く焼けた肌は、さっそく遊んでいる証拠だろう。夏休みが終わるころには、全身真っ黒になっているだろう。
「雷太か。ちゃらちゃらやかましいぞ」
「挨拶しかしてないのに冷たい!? 夏休みを目前にした学生のテンションじゃないぞお前! アレか、アレだな。あの日だな!」
周りの目をものともせずに、ぎゃーぎゃー喚くのがこの雷太。俺はため息を一つ吐く。
「すまない、俺はお前に冷たくし過ぎた。俺だって最初から、お前に冷たくしようと思ってるわけじゃない。夏休み前にこのテンションもおかしいよな」
「……ど、ドキン。優しいじゃない、凛渡ちゃん」
胸を押さえ、私のハートは打ち抜かれましたというリアクション。つくづく気色の悪い奴だ。
「気持ち悪いなお前……帰る」
「どれだけクールなお方なの!? お供します!」
敬礼のポーズととると、教室の外へ向かう俺の後ろにすたこらついてきた。ぶっきらぼうな俺には友人が少ない。俺も口ではこうは言っているが、付き合いが長い雷太は、俺の貴重の友だと言えるだろう。そんな雷太は何かを思い出しように声をあげた。
「あれ、そういえば、お姫様は今日どうするの?」
「安心しろ、校門で待っているはずだ」
雷太は苦笑を浮かべた。
「安心しろ、て……。それは俺じゃなくて凛渡のことだろ。お兄ちゃん」
「おええ……」
雷太の芝居のかかったお兄ちゃんの言葉に吐き気を感じつつ、歩みを進めた。
※
校門のところまで来ると髪の長い女生徒が立っている。すらりと伸びた長い足に、風にさらさらと揺れる黒髪が、夕日に照らされて眩しい。
「ん……?」
女生徒に近づく影が二つ。男子生徒が二人話しかけている。夏休みの開放感に浮かれた二人がちょっかいに出しているようだ。
「どうする、お兄ちゃん」
「次、お兄ちゃん言ったらぶん殴る」
横からそういう雷太を冷たくあしらえば、俺は足早にお姫様のところに向かった。
※
「まだかな、お兄ちゃん」
腕時計を見れば、十六時十五分。いつもならお兄ちゃんと一緒に帰宅途中の時間だ。また雷太さんに捕まっているのかもしれない。やかましいだけならまだしも、お兄ちゃんと独占するとは許せない。実に許せない。
「こんにちはー。ねえ、なにしてんの」
やれやれ、心の中でそう呟いて声のするほうへ顔を向ける。そこには、だらしない顔をした年上と思われる男が二人。流行の髪型を二人していじりながら話しかけてくる。
「人を待っています」
引きつった笑みを浮かべる私の心中を察することもなく、その内の一人が言葉を続ける。
「いいじゃん、そんなの気にしないで。これから俺達と遊びにいこうよ。楽しいとこたくさん知ってるよー」
声を出した一人の後ろの一人はニタニタと笑みを浮かべる。私は大きく、これみよがしにため息をついた。
「うるさいですね、貴方たち」
冷たく射抜くような言葉に、男子生徒二人は動きを止めた。
「流行の髪型にして、流行の服を着れば女がついていくとでも。あなた方のような人のそうした神経理解できません。……外見をどうこう言うのは私の好みではありませんが、もう一度鏡を見てから出直しなさい。その鏡にはきっと、下品な笑みを浮かべた気味の悪い男の顔がうつるんでしょうね」
先ほどまで、私が引きつった笑みを浮かべたが今度は逆だ。二人組は、よほど頭にきたのか頬をひくひくと動かしながら言葉を発した。
「おい、調子に乗っているんじゃねえよ。せっかく俺達が優しく言葉をかけてやってるのによ……おい、ちょっとこい」
何を考えているのだろう。こんなところで騒ぎを起こせば、一発でなにかしらの処分を受けるだろう。頭の軽い二人だ。私は、僅かな痛みと引き換えに男子生徒が伸ばした手を甘んじて受けようとしていた。しかし、予想は裏切られた。
「おい、いい加減にしろ」
その手は寸前で、新たに現れた男子生徒に跳ね返された。そこにいたのは、いつもクールで私にはとびきり甘い男。私の兄、大羽凛渡。
凛渡の切れ長の瞳が相手を強く睨みつける。男子生徒二人は額に汗を浮かべる。凛渡は再び口を開いた。
「こいつ、俺の妹なんで。ちょっかい出すのやめてくれませんか」
小さくも相手を威圧する声を出す。兄の背中しか見ることができないが、兄は今どんな顔をしているのだろう。男子生徒二人は凛渡の顔を見て口をパクパクと動かす。一人がやっと呼吸をできたように、ひっ、と声を出すと二人は一目散に駆け出した。
「たく……。本当によくちょっかいを出される妹だよ。大丈夫か、心」
そう言い、振り返る兄は優しい笑みを浮かべた。私はこの笑顔を見れば、今さっきまでの不安や虚勢は失せてしまう。
「うん、大丈夫だよ。お兄ちゃん」
私の言葉に安心したように兄は微笑む。私の頭にポンポンと頭をおく、兄の笑顔に加えて頭を撫でてもらえた。これはもう既に最強コンボなのだ。
「お見事、凛渡」
雷太さんがひょこり顔を出せば、いつものお気楽ムードでそう言い。
「……ちっ」
「今、おたくの妹さん舌打ちしましたよ!?」
「ちっ……」
「お兄さんまで!?」
私は兄と目配せすれば、私にしか分からないような小さな笑みを兄は浮かべた。
世界で唯一の大切な家族、私は兄を愛している。