第三章 展開
小野雅はゆっくりと漆黒の剣である黄泉剣を下段に構える。
「噂に聞いた道を踏み外した陰陽師か? 哀れだな」
雅は意図的に相手の神経を逆撫でする事を言った。
「道を外したのは、お前も同じであろう、小野雅よ」
土御門晴信は不敵な笑みを浮かべて言う。
「何?」
雅はギクッとした。「道を踏み外した」と言われた事に反応したのではない。自分の名を知っていた事に驚いたのだ。
「何故俺の名を知っている?」
雅は晴信を射るような目で見た。晴信はニヤリとし、
「私はここに封じられて後の事を全て知っている。日本が外国との戦を何度も経験し、最後に恐るべき炎で焼かれた事も、小野源斎が根の国から戻り、敗れた事も、豊国一神教なる邪教が豊公の御霊を使って東京を滅そうとした事も、建内宿禰が現世に戻ろうとしてしくじった事もな」
雅は唖然としていた。
(ならばこいつは、自分の意志で戻って来たのか? しかし、どうやって……)
「私の事はどうでも良い。さあ、お前の力を見せてみよ」
晴信はあくまで悠然と構えている。雅は舌打ちした。
(こいつの自信は何だ? ハッタリではない。どういう事だ?)
考えてみても仕方がないと判断した雅は、敢えて晴信の挑発に乗る事にした。
「ならば見せてやる。お前の黄泉路古神道がまだ入口で彷徨っている程度のものだという事をな」
雅は剣を地面に突き立て、
「黄泉醜女!」
と十指の全てから黄泉の化け物を繰り出した。
「黄泉醜女合わせ身!」
更にその十体を全部合体させる。
「黄泉醜女!」
続けて、再び黄泉醜女を十体出し、
「黄泉醜女合わせ身!」
と繰り返し、
「黄泉路古神道奥義、魔神霊憑衣!」
雅は黄泉の別の魔物を召喚し、黄泉剣に憑衣させた。
「行け!」
十体が合わさった巨大な黄泉醜女二体が同時に晴信に向かう。
「ほお、さすがだ」
晴信は袂から更に呪符を取り出す。
「そんな紙切れでどうにかできるようなものではないぞ、陰陽師!」
雅はそう言いながら、走り出す。黄泉醜女二体の攻撃の後、間髪入れずに斬りかかるつもりなのだ。
「それはどうかな?」
晴信はニッとして呪符を空中に投げる。呪符は式神に変化し、黄泉醜女に向かった。
「ぐおお!」
黄泉醜女一体に数体の式神が取りつく。
「ふおおお!」
黄泉醜女は取りついて来る式神を黄泉の妖気で溶かす。
「ぎぎぎ!」
式神は雄叫びを上げながら、消滅して行く。式神を消し去った黄泉醜女は晴信に向かう。
「終わりだ、陰陽師!」
その後を雅が走る。
「終わりはお前の魔物だ」
「何!?」
式神を消滅させたはずの黄泉醜女の中から、式神が飛び出て来た。そして黄泉醜女と融合し、突進を止める。
「何だと?」
雅はハッとして立ち止まった。二体の黄泉醜女は、式神に乗っ取られていた。
「ふおああ!」
スーッと雅の方を見る黄泉醜女二体。
「滅せ!」
晴信の号令で、二体の黄泉醜女が雅に襲いかかる。
「くそ!」
雅は後ろに飛び、剣を構えた。
「その剣で斬れるとは思えんがな!」
晴信が哀れむように言い放つ。雅は歯軋りした。
(確かに黄泉剣ではあれは斬れない……)
雅の額を汗が伝わる。
「雅……」
膿を噴き出す傷口を押さえ、仁斎が呟いた。
「ぬ?」
その時、晴信は、信じられない程の光の力を感じた。
「まさか……?」
彼にとっては悪夢の力である。
(小野、楓?)
晴信は思わず後ずさった。
「はああ!」
空から舞い降りたその光の塊は、一瞬で二体の黄泉醜女を斬り裂き、消滅させてしまった。
「藍……」
仁斎がフッと笑った。雅は驚きを隠せない。
(また強くなったのか、藍?)
雅と晴信の間に降り立った藍は、強く光り輝き、二振りの剣を両手にそれぞれ持っている。
「何者なの、貴方は?」
藍は晴信を睨みつけて尋ねた。晴信はようやく我に返り、
「そうか、お前が源斎と建内宿禰を打ち破った小野藍か?」
藍は自分の事をしっている晴信に眉をひそめた。
「私の事を知っているの?」
晴信は藍の面差しが楓に似ているのに気づいた。
「楓……」
一瞬懐かしさがこみ上げたが、すぐにそれを打ち消す。そして呪符を取り出そうとした時、彼は藍の後ろに二人の倭の女王を見た。
(何と!?)
晴信は驚愕した。
(まさか……。二人の天照大神様だと?)
晴信は唖然としてしまった。
(私の知らない姫巫女流がある……)
晴信は不利を悟った。
「おのれ……」
彼は躊躇う事なく、根の堅州国に逃げ込んだ。
「え?」
藍は仰天した。
(何、今の? 黄泉路古神道を使った……)
藍は訳がわからなくなりそうだった。
晴信は、根の堅州国を通り、かつて潜んでいた洞窟に行った。そこには、昔と変わらず、彼の作った呪符が残っている。誰も入り込めないように結界を張った森なのだ。
(姫巫女流、全て知っているつもりであったが、あの小娘は……)
晴信がかつて戦った小野楓も、姫巫女合わせ身は会得していたが、二人合わせ身を会得したのは藍が最初なのだ。晴信はそれだけ知らなかったのだ。
「だが、私は負けぬ」
晴信はギリギリと歯を軋ませ、両の拳を握りしめた。
藍は、雅の手を借り、仁斎を家まで運んでもらった。
「入っていいのか?」
仁斎を背負った雅が、藍の家の玄関で尋ねる。
「いいに決まってるでしょ! 私じゃ、お祖父ちゃんを部屋まで運べないわよ」
藍はやや呆れ気味に答える。雅は苦笑いをして、玄関に入った。
(十五年ぶりか……。変わらないな、この家は)
雅は中を見回しながら、藍について奥へと進む。
「古くなったでしょ? 雅がいた頃に比べて」
藍が言う。
「いや。全く変わらないように見える」
雅はお世辞でも嘘でもなく、そう思っていた。
「そうかなあ。もう建て直した方がいいと思うんだけどなあ」
藍は嬉しそうに言った。雅はその顔を見て、思わず笑った。
仁斎を布団に寝かせ、注連縄で結界を張り、黄泉の穢れを祓う祝詞を唱える。
「随分楽になった」
血色を取り戻した仁斎が言った。それを見て、藍はようやく安堵する。
「あの人は誰? 何者なの?」
藍は早速仁斎に尋ねた。
仁斎の話は藍にとって驚くべきものだった。
明治初期、小野楓が宗家の仮の継承者であった頃、陰陽道の頂点である土御門家は明治維新の煽りを受け、衰退の道を歩み始めていた。その歩みに抗おうとしたのが、先程戦った土御門晴信である。晴信は神道系の宗派を怨み、呪符によってそのうちのいくつかを殲滅した。だが、楓と楓の許婚で、後に楓と夫婦となった耀斎、そして楓の跡を継ぎ、小野宗家を盛り立てた亮斎の力で晴信の野望を阻止し、時代の流れを受け入れた土御門家最後の当主である晴栄が封じた。そしてそこにそのまま社を建て、何重にも結界を張った。
「だとしたら、どうしてあの男は出て来られたの?」
藍は疑問を口にした。仁斎は頷き、
「そこなのだ。あの社に突っ込んだトラックに何かあると思う。調べてくれ、藍」
「ええ」
ふと気づくと、雅がいなくなっている。
「雅……」
寂しそうに呟く藍を見て、仁斎は心が痛む。
(藍、そろそろ気持ちを切り替えてくれ)
しかし、それを口にできない仁斎である。