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世界樹の甲虫王~孤独な元警官、最後の甲虫族として転生する~  作者: トウヒ


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第七話 違和感

 翌朝。


 食事を終えた迅は、小屋の外へ出ていた。

 森の空気は澄んでいる。

 深く息を吸う。

 肺の奥まで冷たい空気が入り込んだ。


「悪くない」


 二十年間。

 まともな空気すら吸えなかった。

 そう思えば何もかもが贅沢だった。


 その時。

 遠くから声が聞こえた。


「おーい!」


 聞き覚えのある声だった。

 迅は振り向く。

 リュネだ。

 手を振りながら走ってくる。


「朝から元気だな」


「普通よ」


「そうか」


「そうよ」


 いつものやり取りだった。

 リュネは小屋の前で立ち止まる。


「今日は何するんだ?」


 迅が尋ねる。


「散歩」


「観光か?」


「違うわよ」


「じゃあ何だ」


「長老様から言われたの」


「?」


「里の中には入れられないけど、周囲なら案内していいって」


 迅は少し目を瞬かせた。


 そういえば自分はまだ里の住人として認められたわけではない。


 長老の許可で外れの小屋を借りているだけだ。


「なるほど」


「だから今日は小屋の周辺と外縁部を回るわ」


「了解」


 二人は並んで歩き始めた。


 朝日が木々の隙間から差し込み、森全体を柔らかな光で包んでいる。


 世界樹大森林。


 その名に恥じない壮大な景色だった。

 巨大な樹木が空を覆い、枝葉が天然の天井を形成している。

 地面には色鮮やかな草花が咲き、見たこともない小動物が駆け回っていた。

 迅は周囲を見渡しながら感心する。


「改めて見るとすごい場所だな」


「そう?」


「少なくとも俺の知ってる森じゃない」


「甲虫族の森ってどんな感じなの?」


「知らん」


「え?」


「俺、自分が甲虫族だと知ったのつい最近」


「あ……」


「だから甲虫族の里も知らん」


「そうだったわね」


「むしろ聞きたいのはこっちだ」


「?」


「甲虫族ってどんな連中だったんだ?」


 リュネは少しだけ困った顔をした。


「私もよく知らないわ。甲虫族が滅びたのは私がちょうど生まれた頃だから」

「けど、私も知りたいの」

「甲虫族のこと」

「迅のことも」 

 

 そして少しだけ笑った。


 異なる種族。

 異なる文化。


 だが、それでもこうして会話し、

 価値観を共有できることが不思議だった。


 ◆


 二人は小屋の周辺を歩く。


 里の外れだけあって人影は少ない。

 代わりに森の景色を存分に見ることができた。


「この辺りは狩人たちもよく通るわ」


「なるほど」


 迅は周囲を観察する。

 発見しにくい獣道。

 踏み固められた地面。

 木々につけられた目印。

 自然とそうしたものに目が向いてしまう。


「本当に周りばかり見てるのね」


「職業病みたいなもんだ」


「職業病?」


「ああ」


 リュネは少し首を傾げた。

 

「前から違和感だったんだけど、甲虫族の記憶はないのに、迅はどこで生活してたの?」

 

「あーそれな」

「俺は、おそらく別の世界で生きていた記憶がある」

 

「えっ?さらっと大事なこと今話さなかった?」

 

「もう、リュネならいいよ」

「信じる信じないはまかすよ」

 

 迅は、肩をすくめた。


「信じるかは分からない」


 リュネは少し困ったように笑った。


「でも迅が嘘をついているようには見えないわ」


「それで十分だ」

  

 リュネは真剣な顔だった。

 

「それで、仮にその世界で迅はどう生きてたの?」

 

「そこで警官をやってた」

「まぁーあれだ、警備隊みたいなもんだ」


「そうなんだ」

「それで、事件とか調べてたの?」


「毎日のようにな」


「大変そう」


「実際大変だった」


 迅は苦笑する。


 平和な日などほとんどなかった。


 だからこそ、この森の静けさは少し眩しく感じられた。


 ◆


 二人はさらに歩き、森の外縁部へ向かう。


 やがて見張り台が見えてきた。

 高い木の上に組まれた監視施設だ。

 数人の月族が周囲を警戒している。


「結構しっかりしてるな」


「昔から外界との戦いがあったから」

「魔獣はもちろん、周辺国とのいざこざがあったから」


「なるほど」


 その時。


「リュネか」


 聞き覚えのある声がした。

 振り向くと、そこにはルクスがいた。

 弓を背負った青年戦士だ。


「ルクス」


「見回りの途中だ」


 そう言ったルクスの表情は硬かった。

 何かあったらしい。


「どうしたの?」


 リュネが尋ねる。

 ルクスは少しだけ沈黙した後で答えた。


「また一人消えた」


 空気が変わった。

 迅の目が細くなる。


「行方不明か?」


「ああ」


 ルクスが頷く。


「今朝になって戻っていないことが分かった」


 迅の中で警察官としての感覚が反応した。


 事件発生だ。

 誘拐の二文字が頭をよぎる。


「最近多いのか?」


「ここ半年で十人以上だ」


 ルクスの声には苛立ちが混じっていた。


「里のみんなは王国の仕業だと思ってる」


「証拠は?」


 迅が即座に尋ねる。

 ルクスが眉をひそめた。


「無い」


「目撃情報は?」


「ほとんど無い」


「最後に確認された場所は?」


「森の中が多い」


 迅は腕を組む。

 情報を整理する。

 一人ずつ消える。

 痕跡が少ない。

 目撃者もほとんどいない。


「消えたのは戦士だけか?」


「違う。狩人も薬師もいる」


「男女は?」


「両方だ」


 迅はさらに考える。

 犯人がいるなら目的がある。

 だが現時点では共通点が見えない。


「何か気になるのか?」


 ルクスが尋ねた。


「まだ分からない」


 迅は正直に答える。


「ただ、王国だと決めつけるには材料が足りない」


 ルクスは不満そうだったが反論はしなかった。

 彼自身も確証があるわけではないのだろう。


「実は妙な話もある」


 見張り役の一人が口を開いた。


「妙な話?」


「黒い影を見たって奴がいる」


 迅の視線が向く。


「どこで?」


「森の外側だ」


「人影か?」


「分からん。一瞬だったらしい」


 迅は黙る。

 黒い影に正体不明者。

 神隠しのように消える行方不明者。

 偶然とは思えなかった。


 ◆


 迅は見張り台へ登る。


 高所から見る世界樹大森林は圧巻だった。

 どこまでも続く緑。

 巨大な樹木の海。

 普通の森なら遠くまで見渡せるはずだ。


 だがここでは違う。


 木々が巨大すぎる。

 視界はすぐに遮られる。


「隠れるには最高の場所だな」


「何が?」


「人も獣も」


 リュネは少し不安そうな顔をした。

 迅は周囲を観察する。


 足跡に獣道。

 見張りの配置。

 身を隠せる場所。


 無意識に確認していた。

 完全に職業病だった。


 その時。


 視界の端に何かが映った。

 一瞬だった。


 木々の隙間に黒い影。


「……ん?」


 迅の目が細くなる。

 だが。

 次の瞬間には消えていた。


「どうしたの?」


 リュネが少し不安そうに尋ねる。


「いや」


 迅は森を見る。

 風が吹き鳥が鳴く。

 異常は感じられない。


 だが。


 警官として長年培った勘が告げていた。


 何かいる。

 誰かが見ていた。

 そんな気がした。


「気のせいか」


 迅はそう呟く。

 だが胸の奥の違和感は消えなかった。


 きっと見間違いではない。

 ほんの一瞬だったが、確かに人影だった。


 獣ではない。

 月族でもない。


 少なくとも見張り台からこちらを観察していたように見えた。


 迅はその方向を記憶する。


 距離と角度。

 さらには周囲の地形。


 もし必要になれば後で調べられる。

 そんなことを考えていた。


 そしてその頃。


 森のさらに外側。

 誰にも気付かれない場所で。

 数人の黒装束が静かに移動していた。

 彼らは木々の間を音もなく進む。

 熟練した兵士のような動きだった。


「次の標的は決まった」


「予定通り進める」


「痕跡は残すな」


 短い会話。


 一人が地図らしき紙を取り出す。

 そこには世界樹大森林の一部が記されていた。


 複数の印。


「監視対象は?」


「問題ない」


「月族の動きは?」

 

「変化なし」


 その言葉に別の男が反応する。


「引き続き監視を続けろ」


 淡々とした声。


 感情は感じられない。


 まるで任務だけを遂行する機械のようだった。


「上への報告は?」


「今夜行う」


 その一言で全員が頷く。

 そして影は森へ溶けるように消えていく。


 彼らが何者なのか。

 まだ誰も知らない。


 ただ一つだけ確かなのは。


 世界樹大森林の平穏が、

 少しずつ終わりへ向かっているということだった。


 迅が感じた違和感。

 月族たちの不安。

 増え続ける行方不明者。


 それらはまだ一本の線には繋がっていない。

 しかし確実に何かが動いている。


 静かに。


 誰にも知られないまま。


 森の奥深くで。

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