第3話「日本の文化」
その後、二人は並んでゲームに興じていた。
画面の中でキャラクターが跳ね回るたび、短い声や笑いが部屋にこぼれる。
シオリはその様子を、キッチンの向こうから眺めていた。
フライパンの上で焼きそばを炒めながら、その背中を追う視線は、どこか穏やかで――まるで、成長を見守る母親のようだった。
しばらくして。
キッチンから漂っていた香ばしい匂いとともに、
「お待たせ〜!」
という声が響く。
シオリは湯気の立つ皿を抱え、リビングへと向かってきた。
それに気づいた二人は、同時にゲームを起き、
「おぉー!」
と声を上げる。
木製のお盆の上には、焼きそばの載った二枚の皿と、二膳の箸。
テーブルにお盆が置かれると、シオリは慣れた手つきで、それぞれの前へと料理を配分した。
「さっ!冷めないうちに食べて食べて!」
その声に促され、二人は迷いなく、手を伸ばす。
皿に向かって、そのまま――素手で。
次の瞬間。
「え、まってまって!」
シオリの声が弾ける。
慌てた調子に、二人の動きはぴたりと止まった。
「嘘でしょ......?」
戸惑いを含んだその言葉に、二人は何が起きているのか分からず、互いの顔を見合わせる。
その様子を見て、シオリは静かに、言葉を落とした。
「2人とも......お箸使ったことないの?」と。
すると、ハルが首を傾げるようにして言う。
「お箸......って?」
その一言に、シオリは思わず言葉を失った。
ゆっくりと視線を隣へ移す。
ソラもまた、同じように理解できていない表情で、そこに立っていた。
その反応を見た瞬間、シオリは小さく息を吐いた。
はぁ、という短いため息が、どこか諦めと呆れを含んで落ちる。
「まぁ......それも仕方ないか」
そう呟きながら、彼女は一度テーブルに手をつく。
そして、ふっと気持ちを切り替えるように顔を上げ、
「じゃあ、私が教えてあげる!」
と、今度は明るい声を出して立ち上がった。
次の瞬間、シオリはそのまま二人の間へと入り込み、自然な動作で腰を下ろす。
距離が一気に詰まったことに、空気がわずかに揺れた。
思いがけない近さに、ソラは一瞬で顔を赤くし、視線の置き場を失う。
対照的にハルは、新しいことを教えてもらえるという事実だけで胸を躍らせ、期待に満ちた表情を浮かべていた。
そんな二人を見比べるようにして、シオリは言う。
「じゃあまずはハルから!」
それを聞いたソラは、反射的に、
えー、いいなー
と、不満とも羨望ともつかない声を漏らした。
シオリはハルの前に置かれていたお盆に手を伸ばし、そこに載っていた箸を取る。
軽く指先で整えながら、
「いい?お箸はこう持つの」
と言って、ゆっくりと、はっきり分かるように手元を示した。
ハルは思わず目を見開き、その動きを食い入るように見つめる。
一つ一つの指の位置を逃すまいと、真剣な眼差しで追っていた。
やがてシオリは箸を差し出し、
はい、じゃあやってみて!
と促す。
ハルは受け取った箸を見つめ、
こうかな?
と呟きながら、慎重に指を動かした。
その手元は、迷いながらも不思議なほど素直に形を作り、
結果として、一度で綺麗な持ち方に収まっていた。
それを見たシオリは、わずかに目を見張り、
「おぉー!上手いじゃん!」
と、素直な驚きとともに声を上げた。
その状況を見て、ソラはどこか落ち着かない様子で視線を逸らした。
「俺だってできるし......」
そう言いながら、一人で箸を手に取り、見よう見まねで練習しようとする。
するとシオリは、その気配に気づいてソラの方へ振り返り、
「はーい、嫉妬しないの!」
と、からかうように言った。
その言葉に、ソラは一瞬言葉を詰まらせ、
思わず声を荒らげる。
「し......嫉妬なんて、してねえよ!」
するとシオリは、
あれ?
と小さく声を漏らし、少しだけ首を傾けた。
「私はてっきり......」
そう言いかけたところで、ソラが遮るように口を挟む。
「いいから!持ち方教えてよ」
その様子を見て、シオリは一瞬だけ目を細め、
ふふっと笑ってから、
「いいよ!」
と、軽やかに答えた。
そして先程ハルに教えた時と同じように、ソラの手元へ視線を落とし、箸の持ち方を示していく。
ソラは言葉少なに頷きながら、数回、指を動かした。
ぎこちなさは残るものの、形は次第に整っていく。
それを確認したシオリは、
「よく出来ました!」
と、自然な流れで手を伸ばし、頭を撫でようとする。
だが、その瞬間、恥ずかしさが勝ったのか、
ソラは「いいから!」と言いながら、手で振り払うような素振りを見せた。
その反応に、シオリは少しだけ意外そうな表情を浮かべ、
「あれ......?釣れないなあ」
と呟く。
そうして立ち上がると、元いた場所――二人の正面へと戻り、再び腰を下ろした。
二人は、教えられたばかりの箸の感触を確かめるように、慎重に焼きそばへと箸を伸ばした。
ぎこちなさは残っているものの、その動きには確かな意志があり、先ほどまでの戸惑いはもうなかった。
その光景を前に、シオリは思わず頬を緩める。
声に滲んだのは、誇らしさにも似た感情だった。
「箸はこの国の大事な文化だからね、2人が使えるようになってくれて私は嬉しい」
やがて、二人は同時に焼きそばを口へ運ぶ。
次の瞬間、ぱっと目を見開き、反射的に口を動かす。
慌てて噛み、飲み込み、まるで確かめるようにもう一度息を吸った。
「美味しい!」
弾けるような声が、ソラの口から飛び出す。
「うん!ほんとに美味しい」
ハルも遅れてそう言い、何度も小さく頷いた。
その様子を見て、シオリはふふっと笑う。
胸の奥に溜まっていた何かが、ようやくほどけたようだった。
「でしょ?良かった、そう言ってくれて」
ソラは勢いのまま、さらに言葉を重ねる。
「こんな美味しいもの初めて食べた!」
その言葉を受けて、シオリは一瞬だけ視線を伏せる。
そして、思い出すように静かに口を開いた。
「そうだよね......今は固形の栄養食がほとんどだもんね」
短い沈黙のあと、ハルが素朴な疑問を口にする。
「どうしてシオリは、こんな美味しいもの作れるの?」
その問いに、シオリは再び微笑みを浮かべ、
「後で教えてあげるよ!」
と、いつも通りの明るい調子で答えた。
そしてその後、二人は焼きそばを食べ終えると、シオリに案内されるまま食器を手に取り、キッチンへと運んだ。
慣れない動きではあったが、言われた通りに流しのそばへ置き、やがて再びテーブルへと戻る。
シオリはそのまま食器を洗い始める。
水音が規則正しく響く中、手早く洗い終えると、彼女はそそくさと奥の楽器スペースへと向かった。
しばらくして戻ってきたシオリの腕には、小さなテレビのようなものが抱えられている。
それを見て、ソラとハルは手伝おうと腰を浮かせたが、シオリは手に持ったまま、
「いいよいいよ、楽にしてて!」
と、そのまま言った。
その言葉に従い、二人はそのまま座って待つことにした。
シオリはテーブルの端にその機器を置き、画面を二人の方へ向けると、再び奥のスペースへ戻る。
ガサッと物を探る音がして、ほどなくして、満足そうな声が響いた。
「じゃーん!これがさっき言ってたゲーム機だよ!」
そう言いながら、シオリはそれを二人の前まで運んでくる。
彼女の手にあったのは、手元の画面で操作する、少し古い――ひと世代前の据え置きゲーム機だった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
気づけばもう大晦日ですね。
今年も、あっという間に終わってしまいました。
そんな年の終わりに、
少しでも彼女たちと一緒に時間を過ごしてもらえて、嬉しいです。
物語はまだ続いていきますので、
よければ、これからもお付き合いください。
それでは、良い年末を。




