第3章:地上への降下
地下層の通路はまだ焦げた金属の匂いと瓦礫の粉塵に包まれていた。リーパーズの襲撃で崩れた防衛ラインは、そのまま戦場の跡となり、訓練生たちは息を整えながら後退を続けている。カイも深く息を吸い込み、神経同期グローブの微細な振動を頼りに、足元を確かめるように歩いた。ロウの声が頭の中で反響する——瓦礫の向こうで消えた声。胸に刺さるような喪失感が、カイの決意をより固くする。
「カイ、行くぞ」トーレスの声が背後から聞こえた。地下層の昇降管までの短い道程を、彼は冷静に誘導する。しかし、その瞳の奥に、父親のような心配が滲んでいるのをカイは感じ取った。「無茶はするな」と言われたが、振り返ることもなく、前へ進むしかなかった。
昇降管の前に立つと、トーレスは短く指示を出した。「装置に接続。慎重に降下するんだ。地上は……まだ誰も把握していない」。カイは神経同期グローブを確認し、ブレードを腰に装着したまま、昇降管の制御パネルに手をかける。管の内部は狭く、壁面の配線が微かに青白く光っている。空気はひんやりとしており、外界とは別の閉鎖された世界だ。カイは深呼吸し、管内の安全ロックを解除する。振動と共に管が下降を始める。下から伝わる微細な振動が、地下層の構造を伝え、彼の体を揺らす。
管の中で、カイは過去数日を思い返していた。リーパーズ襲撃の混乱、ロウの声、ナギサの顔、瓦礫に埋もれた防衛ライン。全てが現実の重みとして、心の奥底に刻まれている。誰もが無力ではないが、同時に限界を抱えている。地下層の訓練では感じることのなかった、現実の戦いの恐怖。それがカイの胸を締めつける。
下降する中、頭の奥で微かな残響が響いた。——あの電脳世界で感じた“存在しないデータの声”だ。カイは眉をひそめる。戦闘の混乱で一瞬忘れていたが、あれは確かに何かが呼びかけていた。耳を澄ませると、微かに——確かに、人間の声にも、機械の信号にも似た響きが混ざっている。ヴェイルの言葉が脳裏に浮かぶ。「地上で“出会う”よ。君の運命を変える誰かに——」
管がさらに下降し、壁面の光が徐々に変化する。青白い光は赤みを帯び、外界の廃墟帯に近づいていることを示していた。管の下端が広がる開口部に差し掛かると、地上の大気が微かに流れ込む。カイは息を吸い込み、外の空気を肌で感じた。湿ったコンクリートの匂い、鉄錆の匂い、そして瓦礫の埃が混ざる独特の匂い——地下層にはない、地上の現実の香りだ。
管の出口に足を踏み入れると、視界が一気に開けた。目の前に広がるのは、廃墟と化した都市の残骸。巨大なビル群は崩れ、鉄骨とガラスの残骸が不規則に積み重なる。遠くの空は灰色に覆われ、かすかな霧が立ち込める。地上には誰もおらず、静寂の中に金属の軋む音だけが響く。風に舞う埃が、廃墟を幽霊のように揺らす。
その瞬間、カイの背後で微かな気配を感じた。振り返ると、電脳世界の残響を知るヴェイルの影が、管の出口に静かに立っている。仮面アバターの無機質な顔は動かないが、声だけが通路を満たした。「君が地上に来るとは思っていなかった。だが、ここで運命は動き出す……」
カイは言葉を返すことなく、視線を前に戻す。廃墟帯を慎重に進みながら、瓦礫や崩れた建造物を避ける。足元には破損した電線や金属片、半壊した車両の残骸が散乱しており、踏み外せば怪我の危険もある。背中のブレードとEMPガンに手を触れ、万が一のための準備を怠らない。
歩を進めるたびに、管の中で感じた微かな残響が強くなる。——誰かが、あるいは何かが、地上で待っている。声はまだ明確ではないが、波形が二重に揺れ、通常の人間の意識とは異なる。カイはその感覚に背筋が寒くなる思いを抱きつつも、興味と恐怖が入り混じる。
瓦礫の間を抜けると、崩壊した研究施設の跡にたどり着いた。建物の内部は暗く、天井は崩れ、壁には割れたパネルが散乱している。微かに赤い光が点滅し、異常な信号を発していた。カイは警戒しながら近づき、その光源の奥に、かすかな人影を見つける。小さな少女——彼女の体は細く、無防備に倒れている。だが、微かに二重化した思考波形の痕跡が、カイの神経同期グローブに伝わる。
「……誰だ?」声は低く、震える。少女は目を閉じたまま、微かに呼吸をしている。カイは近づきながら、状況を観察する。彼女の意識は不安定で、生身の肉体でありながら、電脳世界の残響を漏らしている——富裕層システムから逃れた、異形の存在である可能性が高い。
カイはその場で立ち止まり、深く息を吸う。収容されれば、少女の存在は失われる。だが、目の前にいるのは、間違いなく——ヴェイルの言葉が示した“誰か”の片鱗だ。心臓が高鳴り、背筋に冷たい緊張が走る。——地下層での戦い、ロウの行方不明、残響の声、ヴェイルの告げた運命、すべてが、この少女と繋がっている。
カイは少女に手を伸ばす。
「大丈夫……俺が、守る」
言葉は小さいが、揺るぎない決意が込められていた。
瓦礫に囲まれた廃墟の中で、カイは初めて、地上での戦いの先にある希望の一端を見た。
その瞬間、微かに電脳網の奥で、何かが蠢く気配を感じた。——この少女は、単なる偶然ではなく、カイの運命を変える存在。その予感が、地下層で失ったものの痛みと、地上で得られる可能性の両方を、彼の心に刻み込む。




