第1章:眠れない街の亡霊たち
— 電脳世界の日常と、地下層の現実 —
《Arcology Tower:レムナント塔》の最下層。
無数の鋼鉄とコンクリートが積み重なり、薄暗い通路を無機質な光が淡く照らす。
その冷たい空気に包まれ、カイは目を覚ました。
培養槽の隣に立つ端末に近づき、瞬時に生体データを読み取らせる。
心拍、脳波、筋肉活動——全てが数字として彼の目に映る。
昨日より少し高い数値が表示される。無理はしていないはずなのに、身体のどこかが微かに疲弊している感覚が残っていた。
「お、まだ眠そうだな。」
背後から声がかかる。振り向くと、同期のロウが腕を組んで立っていた。
短い黒髪、面倒くさそうな表情。毒舌を口にしながらも、どこか生き生きとした雰囲気をまとっている。
「眠れなかったんだ。昨夜の訓練がきつすぎて……」
カイはため息をついた。「それに、電脳世界で妙な残響を拾った気がして。」
ロウは眉をひそめ、短く口を開いた。
「残響? またヴェイルの仕業か、それとも幻聴?」
「分からない。でも……確かに、誰かの声だったんだ。」
そのとき、ナギサが静かに入ってきた。
長い栗色の髪をひとまとめにし、落ち着いた目で二人を見渡す。
「カイ、また無理をしているわね。数値が少し高い。」
彼女は端末を操作し、わずかな警告音を止めた。
「無理をすると、身体が悲鳴をあげる前に危険になるわ。」
カイは小さく笑った。
「大丈夫、心配いらない。」
だが胸の奥には、昨夜の残響が深く引っかかっていた。
——誰の声だ? 存在しないはずの音源が、俺の脳に残っている。
夜になると、カイは培養槽に接続され、電脳世界へと入り込む。
仮想都市は現実の地下層とはまるで別の世界。
空は深く青く、人工の星々が淡く瞬き、街は無限のネオンに彩られている。
空中歩道を歩きながら、任務の準備を整えるカイ。
光の粒子が足元で踊り、周囲には無数の仮想住人が存在感を示す。
「今日はどの任務?」
横に現れたロウが尋ねる。
彼の仮想アバターは現実よりも誇張された姿で、少しだけ軽口を交わす。
「偵察とデータ回収だ。でも、昨夜の残響が気になる。」
カイは声を潜めて言う。
胸の奥にわだかまる違和感——現実と仮想の境目が微かに揺らいでいた。
すると、ビルの影から虹色のノイズをまとった人物が現れた。
無表情の情報屋、ヴェイル。
電子的に光る瞳、淡々とした声、そしてその全てがどこか異質な存在感を放つ。
「——君は、誰の声を拾った?」
カイは言葉を失う。
声は直接脳に響き、現実の感覚まで揺さぶる。
「君は……?」
「今は説明できない。しかし忘れるな——何かが動き出す。」
ヴェイルはそう言うと、空気に溶けるように消えた。
ロウが慌ててカイの肩を叩く。
「おい、どうした? 顔色真っ青だぞ!」
カイは首を振り、自己暗示のように呟いた。
「気のせい……だ。」
しかし、胸の奥に残った違和感は、確かに“現実”だった。
任務を終え、カイは培養槽から離脱した。
下層の空気は湿った鉄の匂いが混ざり、重く静かに立ち込める。
階段を下りると、数百人の訓練生たちが日課に追われていた。
廃材を整理する者、機械をメンテナンスする者、電子端末でデータを整理する者——
皆、地下層の歯車として機能している。
トーレスが冷静に声を張る。
「近く、地下層への“何か”の接近が確認されている。各員、準備を怠るな。」
カイは無意識に背筋を伸ばした。
——地下の世界も、決して安全ではない。
“何か”は、確かに動き始めていた。
カイはロウと並んで日課の肉体訓練に取り組む。
汗が滴り落ちる中、頭の片隅には残響のことが浮かぶ。
ナギサは黙ってその動きを観察し、疲労度を計算していた。
訓練を終え、地下層の薄暗い通路を歩きながら、カイは心の中で問いかける。
「——このまま地下層に閉じ込められたままでいいのか?」
違和感、恐怖、好奇心——
それらが徐々に小さな決意に形を変え始める。
ネオン・スフィアの人工の星々を思い浮かべる。
希望と不安が入り混じる瞳で、カイは静かに拳を握った。
——物語は、ここから静かに動き出す。




