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幽霊少女エリーゼ  作者: スズシロ
はじまりの日へ

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第二十八話 学院を抜ける日

 校長室を一歩出て、エリーゼは深いため息をついた。

 もうすぐ、春の三月だった。

 そうはいっても、帝国の大雪原にあるデレリンの雪は深い。雪の降る寒さは、四月まで続く。

 二月の校舎はまだ屋根も窓際も真っ白で、光を受けてきらきら光っていた。廊下には暖房の魔法がかかっていたが、部屋の中に比べれば遙かに寒かった。エリーゼは一瞬、身震いをした。

 昼休みに校長室に呼ばれたエリーゼだったが、午後の授業までには教室に戻る必要があった。

 エリーゼは校長室の前の長い廊下を歩き始めた。外の光が眩しくて、目を細めた。窓を見れば、透明な氷柱の向こうに、真っ白な雪に覆われた工程が見えた。腕のように大きな太い氷柱が光を反射して煌めいていた。

(この雪……アッシュ達の所にも降っているんだな……)


 昨年の夏の事はエリーゼの一生の財産だと思う。ずっと忘れる事の出来ないヴィスター村の夏。

 昨年の秋からデレリンに戻って貴族学院に復学し、半年経つ。今年、エリーゼは11歳になる。

 子どもは無邪気で悩みがなくていいというのは、大人の都合による偏見で、この半年の間、エリーゼは貴族学院の中で息が詰まる思いもしたし、世の中理不尽と思うような事もたくさん経験していた。

 その上で、今日、校長室に呼ばれた件については、そのまま、両親に話すしかないことで、話した後は、自分の生活にどんな変化が起こるか、想像する事も出来なかった。


 いつでも完璧な礼儀で振る舞い、学業も申し分のない成績を取り続けているエリーゼ。


「小学校の高学年過程をスキップし、そのまま貴族学院の中等部に進級させてはどうか?」

 というのが、貴族学院校長の判断であった。

 びっくりしているエリーゼに彼は言った。

「もっと喜んでいいんですよ。認められた証拠なのですから」

(--認められた?)


 エリーゼが優秀である事を認められたのは、そうなのだろう。そうでなければ、本来小学五年生に進むところを、中学一年生として進級しろと言われる訳がないのだから。

 それでもエリーゼは複雑な気持ちだった。

 クラウスには、能力を隠しきれなかった事は、それとなく伝えていたが、まさか、いきなり中学生になるなど考えていないことだろう。そんなふうに目立ってしまえば、いつか、エリーゼの頭脳の事はどこかにバレてしまうかもしれない。

「恐いな……」

 学院の廊下で、エリーゼは一人呟いた。

 誰も聞いていないだろう。その声は、冬の冷たい空気の中にしみこんでいった。


◆◆◆


「そうか……」

 夕刻、青蝶(ブラウファルター)城に馬車で戻ると、エリーゼはすぐに執務室のクラウスに校長の判断を伝えた。クラウスは流石に驚きに目を見開いた。そして顔を曇らせた後は黙ってしまった。

 エリーゼと同じライムグリーンの瞳が、娘の事を長い間見つめていた。何を考えているのか、エリーゼには分からなかった。

「エリーゼ、ディアナと話した後、またお前を呼ぶから、部屋に戻りなさい。夕飯の時刻は守るように」

 結局、クラウスはそれだけを言った。

 四の五の、くどくど言うような事ではないということを、知っているようだった。

 エリーゼは責められはしなかったにほっとしたが、まだ不安は消えなかった。


 部屋に戻ると、今日の事を書こうと、ディアナのくれた日記帳を開き、校長に言われた事を書き留めてみた。

 恐いと呟いてしまった事も書いた。

(何が恐いんだろう)

 そのことを考えて見て、エリーゼは、結局、自分がまた知らない人間達の中に入っていくからだということと、それも二歳以上年上の中学生の中に、一人で入っていく事の不安だという事に気がついた。同学年の女の子達とうまくいかないのに、二歳も年上の女の子と上手にやっていけるだろうか?

……もう浮きこぼれる事はないと思うけど、またひとりぼっちになるのは恐い、寂しい。

 エリーゼは素直な気持ちでそう書いて、ディアナの日記帳をぱたんと閉じて、今度は母に対する申し訳なさで泣きそうになってきた。


 ディアナは、ヴィスター村の子ども達と同じように、デレリン貴族学院でも楽しく過ごして、かけがえのない思い出をたくさん、たくさん、ここに書いて欲しいと言ったのだ。そのつもりで、リッチな装丁の日記帳を買ったはずなのに。それなのに、自分は何をやっているのだろう。

「ごめんなさい、お母さま……」

 エリーゼは、自分の能力がばれてしまうことよりも、母を悲しませるのではないかという事が、気になってしまう程度には、10歳らしい子どもであった。


 エリーゼが部屋の中で相変わらず、ああでもないこうでもないと、頭でっかちな悩みを繰り返している間に、両親はクラウスの書斎で話し合っていた。

 ディアナはクラウスから話を聞いて、素直に喜んだ。

「エリーゼはギフテッドだったんだわ。なんていい子なの! あの子なら、出来るわ」

 しかしすぐに、夫の顔色に気がついた。父親は、そんなに喜んでいないようだ。顔つきが険しい。

「あなた、どうしたの? エリーゼには絶対的な記憶力があるわ。中等部でだって、平気よ」

「それはそうだ。あの幼さで、百科事典を全部覚えてしまったんだ。田舎の学院の勉強など、片目をつぶっていても片付けられるだろう」

 クラウスは、淡々とした声音でそう言った。冷静な顔をしているが、なんだかんだ言って、娘を自慢に思っている事が声色に出ていると、妻は思った。

「それならどうして……」

 不機嫌なの、という言葉をディアナは飲み込んだ。

「エリーゼは浮きこぼれだ」

 クラウスは、椅子の背もたれに背中をくっつけて大きく息を吐いた。

「それだけでも、当人には大変な負担だ。中学校に行けば、思春期剥き出しで難しい子どももたくさんいる。その中に、ちんまいのが一人で、優秀だからって入ってきて。元々、小学校の時から浮いているという事が分かったら、何をされるか分かったもんじゃない。俺が気にしているのはまずそれだ。勿論、エリーゼは優秀だから、いざとなったら魔法や俊足を使って逃げ切る事は出来るだろうが、それだけで解決出来るなら誰も苦労しない」

「……」

 ディアナは考えていなかった事に気がついて沈黙した。

「後は、エリーゼが自分が天才だという事を隠しきれていないということだ。特異な優れた能力は、それだけで褒めそやされるし、そうあるべきなんだが……。残念な事にこの世は濁世だ。小さい女の子が天才であることがバレたら、どんな犯罪や事件に巻き込まれてもおかしくない。だから俺はエリーゼに、自分が普通の子と同じく振る舞って欲しかったんだ。だが、そうはいかなかった……残念だが、それは言ったって仕方がない。問題は、中等部をどう乗り切るかだ」

「校長先生には、中等部を受けるとお返事するの?」

 ディアナはそれを確認した。

 クラウスは苦々しそうに頷いた。

「断ったって仕方ないだろう。こういう話は漏れるのが早い。エリーゼが、中等部行きをことわって、小学課程にいたとして、それこそイジメのネタになるかもしれないぞ。嫉妬だ。お前、なんでここにいるんだ、出て行け……ってな」

「貴族学院ですよ。そんなことがあるんですか?」

「子ども同士で、そういう諍いが全くない学校があるわけないだろ」

 クラウスは取り出したタバコにマッチで火を付けて、ゆっくりとふかしながらそう言った。


「そんな……それじゃあ、どうするんです?」

「逃げ切る」

 クラウスはあっさりとそう答えた。

「エリーゼが浮きこぼれなら、とことん浮いて、逃げ切る」

「どうやって」

「中等部の勉強を、全力でやらせる。スキップで進級出来る機会があったら片っ端からそれを受けさせる。そうやって、最短時間で中等部を卒業させる」

「そ、それじゃ……エリーゼが天才だとバレてしまいます!!」


 クラウスは、それで苦々しい顔をしていたのだった。

「今だって、バレたようなものだろう。だったら、それを逆手に取って、全力で能力を出し切らせて、針の筵からは逃げた方がいい。そのかわり、若いうちは、俺の目の行き届かないところには絶対行かせない。言い方は悪いが、城の中で軟禁生活だ」

「軟禁って、あなた」

「冷たい人間関係の学校生活で、針の筵で我慢を続けるか、城の中で好きな事やって、世間知らずの温室育ちで過ごすか、どっちかだ。お前だったらどっちを選ぶ? ディアナ」

「あなた……」

 ディアナは呆れた。よっぽどの変人ではない限り、後者を選ぶに決まっているではないか。

 するとクラウスは、珍しいぐらい真剣な眼差しでこう言った。

「俺がエリーゼを守る。父親だからな」

「…………」

 ディアナは、むっとしてクラウスを睨んだ。エリーゼには母親だっているのだ。だがその目配せを、クラウスは変な方に受け取った。

「なんだ」

「あなた、私はね」

 ディアナが何か小言を言いそうな雰囲気を感じ取り、クラウスは焦った口調で言った。

「もちろん、エリーゼの母親だって全力で守るぞ?」

「もう……そういうことじゃなくて」

 脱力してしまって、小言を言う気をなくすディアナであった。


 そういう事情で、エリーゼはスキップして、デレリン貴族学院の中等部に入学した。そこからは、今までよりも本気を出して勉学に励んでいいと親に許可された。

 ただでさえ二つも三つも年上の生徒の中に一人で放り込まれたのである。何も遠慮することはない。好成績を取って少しでも早く、学院を卒業するように言われた。エリーゼは、クラウスが何故いきなり方針を変えたのかは聞けなかったが、自分の能力を隠す事に疲れてもいたので、自分の好きな科目を中心に、勉強に打ち込むことにした。エリーゼは本をよく読むため、語学や文学関係に極端に強かった。そのためか、外国語や古語も恐るべき速さで習得したし、呪文も基礎から勉強すれば、田舎の貴族学院の教師と同等かそれ以上の魔法を扱う事が出来るようになった。そのほかにも、貴族学院とはいえ、芸術だけではなく家政(家庭科)や、体育などもまんべんなくテストはあったが、どれも無敵状態で満点で撃破していった。

 結果として、一年の間に、エリーゼは三年分の知識と技術を習得した。11歳の一年で、中学卒業が決定してしまったのだった。

 これにはディアナも呆れた。クラウスは予想の範疇だったが、何とも言えない気分になった。

 何しろ三日やそこらで百科事典50冊、覚えてしまう娘である。それぐらいは楽勝だろう。だが、なんにしたって、アウトプットするにはインプットする時間がいる。では、その情報や知識をインプットする時間はどうやって手に入れたのか。

 ひとりぼっちだから、出来たのだ。

 友達と遊ぶ時間が、ないからだ。

 ひとりだからこそ発生する自由な時間を、父親に言われるまま、学校の求めるままに、使い放題勉学に使ったのだろう。

 貴族学院の年上の生徒達は、エリーゼをどう扱っていいのか分からなかったらしく、遠巻きにするだけで、まるで接触してこなかった。嫉妬は確かにあっただろうが、それは何の行事にも入れてやらないという形の徹底的な無視で憂さ晴らしされていた。小学校でそれに耐性がついていたエリーゼにとってはへっちゃらで、孤独な自由を満喫した。

 その結果が、どの教科もオール満点、内申点も授業態度礼儀正しく優秀、明るく素直で満点で、中学校を一年間で卒業する事となった。

 明るく素直で礼儀正しいのに、友達はひとりも出来なかった。そもそも、この一年間のクラスメイトの顔と名前が一致しているかどうかさえ、あやしいものである……。


 十二歳の誕生日の頃。

 神聖バハムート帝国では、貴人の娘は、誕生日当日に祝い事を行う。農村などでは、庶民は毎年元旦に一斉に年を取る事になっていて、そのぶん新年の祝いは派手なものになっている。

 エリーゼも本来なら華やかなパーティを行う事になるのだろうが、今は療病中ということで、身内で穏やかな食事会を設ける事となった。

 エリーゼの不眠症と夜半の手足の冷えは続いていた。ディアナと一緒にデレリンの良い医者にかかっていたが、なかなか回復しなかった。そのため、クラウスは大事をとって、デレリンの社交界ではなく、ごく身近なハルデンブルグ一族と、エリーゼでお祝いをする事にしたのである。

 クラウスは非常に気を遣い、仲の悪い弟のモーリッツの家に声をかけるほどだった。

 クラウスは現在150歳ちょうどの壮年の<ruby>風精人<rt>ウィンディ</ruby></rt>で、ディアナも同い年である。

 それより8歳ほど年下のモーリッツとは、100年ほどまえ壮絶な家督争いをした事があり、お互いに血を見たのだった。それ以来、疎遠にしていたが、これを機会に過去の事は水を流そうという話に持っていった。

 モーリッツは答えを渋る事もなく、少し年上のマインラートと言う息子と、エリーゼと同い年のモニカという娘を連れて登場した。

 他にも15歳~20歳ぐらいの若い娘を中心に城でパーティが執り行われ、少なくとも子ども達は楽しく過ごした。クラウスがモーリッツと歓談している所も、エリーゼ達は何度か見かけた。エリーゼは父親が何を考えているかはよくわからなかったが、本人は、楽しく過ごそうと努力した。

 昼間はそんなふうだったが、夜になるとすっかり疲れ切って、ベッドに倒れ込んでしまった。

 マインラートもモニカも、他の綺麗にめかしこんだ娘達も、エリーゼに対しては丁寧だったし礼儀正しかったが、心の通い合った会話をすることは出来なかった。パーティの間、表面だけ合わせる事は出来たけど。

 どうしても、そういうときは、アッシュやエマやミラの顔が瞼にちらついてたまらなかった。

(みんな……どうしているかな。私の事……覚えていてくれるかな?)

 手紙は毎週のようにやってくる。それを、読み返すのが日々の楽しみで癒しだった。

 パーティの後は、城の中の安全な暮らしは、とても穏やかなものだった。大抵は優しい母のディアナと一緒に家政を取り仕切る訓練をして、後は独学で魔法と文学の勉強をしていた。たまに、父と領内を馬で散歩して見回りなどもした。だが、それだけだった。

 

(この事は書かない方がいいわね。心配かけちゃう……)

 エリーゼは、夜中に一人で起きだし、自分の机のところでペンを握りしめている。

 アッシュに向けての手紙を書きかけていたが、自分の「夢見病」のことは結局書かずじまいだった。

 真っ暗な夜の海の夢、不眠症、寝ている間の手足の冷え……そういったことを、アッシュに知らせてどうするというのだろう。その事は伏せて、エリーゼはアッシュからの手紙を読み直している。

 相変わらず、村の学校で楽しく暴れて過ごしているらしい。彼は現在、小学校で最高学年で、村長の息子で、子どもギャング団の団長で、それはもう栄光に満ちた冒険を毎日のようにしているように、書いていた。エリーゼはそれを読んでくすくす笑った。アッシュがこういう手紙を書くのはよく分かる。

(寒いな……)

 手足が冷たい。医者に教わったマッサージを、自分の手や足に施して、エリーゼは考え込んだ。いつまでこの”何もない幸せ”が続くのだろう。


 その穏やかで優しいが退屈な日々が破られるのは、アッシュからの一通の手紙だっ

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