第二十四話 星明かりの宴
エリーゼが回復の呪文を唱える。
唱え終えるとほぼ同時に、ミラがうっすらと目を見開いた。
「エリーゼ……?」
「気がついた?」
ヴァルターに助け起こされて、ミラは寒さに咳き込みながら立ち上がった。
恐怖の余り気絶はしていたが、酷い怪我はしていないようだった。
「無事で、良かった。もう大丈夫」
エリーゼは自分より年下の女の子に駆け寄ってそう言った。ミラは、まだ現実感がわかないのか、ぼうっとしている。
そこに、アッシュが歩いてきた。
「今、猫がいた」
砂浜を遠く眺め回して探しながら、アッシュは続けて言った。
「三毛猫がいた。ミャウそっくりの……いなくなったけど、どうしたんだろうな?」
「ミャウ!?」
ミラは慌てて跳ね上がり、辺りを見回した。
そのとき、ミラははっきりと、見たのだった。そのことを、固く、彼女は信じ込んでいる。
夜の砂浜、星命灯の不安定な光の下に、転々と、猫の足跡があったことを。
思わず声をあげたのは、その足跡が、湖の打ち寄せる波に、あっという間にかき消されてしまったことだった。
だが、彼女は見たのだ。--ふてぶてしい猫の、砂浜への足跡を。
「ミャウ、守ってくれた……」
ミラはその場に、再び座り込んだ。泣いてしまった。
ミラには、そうとしか思えなかった。ミャウの真似をして、ミラに害をなそうとしたバケモノを、ミャウ自身が決して許さなかったのだ。
自分の誇りのため、そして何より愛する飼い主のために、ミャウは猫なら猫として戦ったのだろう。そうして、勝った。
「ミャウが?」
ヴァルターは、妹の言葉を信じたようだった。彼は、砂浜に猫の足跡については、嘘くさいと思った。ミャウを思うあまりのミラの錯覚なのではないかと疑っていた。だが、そういう錯覚をするぐらい、ミラはミャウを可愛がっていたし、一人と一匹の繋がりは本物だったのだろうと思い、目頭が熱くなった。なんにせよ、純粋に信じられる家族がいるということはよいことなのだ。
エマは、泣き崩れるミラを抱きしめた。ぽんぽんと肩を叩いて、何も言わずに慰めた。ミャウが守ってくれたとしても、もう、ミャウは目に見える存在ではないのだし、ミラもそれはわかりきっているのだから。
クルトは、自分がタンクトップの上に一枚重ねていたシャツを脱いで、ミラの肩にかけた。
「寒いだろう?」
それが精一杯の優しさだった。クルトは、まだ、ミャウが自分の手を噛むふりだけしてくれたことを、誰にも言っていない。亡くなったミャウの最後の判断だったような気がするからだ。そんな特別な事、ミラ本人にも言えない。だからこそ、照れくさくて、それ以上接近する事も出来なかった。
そのまま、一人で湖のほとりの会場に戻ろうとすると、パウルとルーカスが待ち構えていた。
口笛を吹き鳴らして、クルトをからかう。
「結婚式はいつですかー!?」
全く、小学生そのもののからかい方をしながらクルトにまとわりついていった。
それが聞こえるためにミラは、彼シャツ状態で真っ赤である。だが、シャツを脱いで突っ返したりは、しなかった。
その後、クルトとエリーゼ、合流したヨナスに手伝って貰って、アッシュは、夜空を漂い続ける”灯り舟”を調整した。
もう、周りはアッシュが何かをヤラカシたということは認定していたし、それを止めるそぶりをする者もいなかった。
いたとして、村長のカールは村の広場まで村人を逃がして整理するのに夢中で、それどころではなかったのだ。
ヨナスはアッシュに護符を渡され、やり方を教わると、さすがにコツの飲み込みが早く、テキパキと魔素の流れを整えた。
クルトも同じく魔素を整え、アッシュが気流を動かしやすくしてやった。
アッシュは風の流れを細かく調整しながら、透明ネットの前に止まって漂っている”灯り舟”を綺麗に整列させていった。
やがて、それは、真夏の星空の前に並ぶ、美しい図形となって、誰の目にも一目瞭然の結果となった。
「あれは……!!」
村の中央広場に逃げていた村人達にも、夜空の灯り舟の光景は分かった。
「凄い……!!」
「虎だ……!!」
驚き喜んだ若者達が、湖畔の広場に駆け戻ってくる。続いて、他の大人も子どもも、まだ妖がいるのではないかと不安がりながら、恐る恐る戻ってきた。
そして、鏡のような湖面の上に浮かぶ、星空と灯り舟の図形に、皆、笑顔になった。
「白虎……!」
アストライアの夏の星座の主役は、白虎座である。ミトラ十二神の神話に出てくる、ミトラの朋友である白い虎。
白虎座の真下に、アッシュは、虎の顔を、”灯り舟”で演出したのであった。子どもの落書きとは言えない程度に綺麗に、虎の顔を皆の”灯り舟”で作った。
「フランツ!!」
村人達が勢揃いした事を見てとったアッシュは、フランツ達に声をかけた。フランツは、自分の母親が安全な場所にいるのを確認した上で、星命灯の灯火を手動で切った。真っ暗になった湖畔の広場では、いっそう、明るく美しく--幻想的なまでに美しく、白虎の”灯り舟”が浮かんでいた。
皆、ため息をついてその光景を眺めた。
自分の作った”灯り舟”が、いきなり何に使われているのかと思ったが……アッシュが何をやりたいのか、分かる人間もいれば、分からない人間もいた。だが、主神ミトラを背に乗せて走り、数々の冒険をともにした白虎となれば、いい意味しかないので、多くは納得してくれた。
誰かが拍手を始め、拍手の波は次第に大きくなっていく。
「アッシュ、またろくでもないことをしおって……!」
カールは怒りの形相である。
「説教なら後にしてくれよ、親父。終わったら、いくらでも聞くから。今は、精霊祭なんだ」
アッシュはヌケヌケとそう言った。
頑固者の父親と、自分が衝突する事はわかりきっていたのだ。その空気をカールも感じ取り、むっと黙りこくってしまった。
ここで怒りを爆発させても、精霊祭の宴の前に、ケチをつけてしまうだけのことは分かったらしい。
「次は、もっと安全にやろうね」
エリーゼは、村長の怒りを感じ取って、そっとアッシュの袖を引っ張りそう言った。
「ああ」
アッシュは小さく頷いて、エリーゼの指に指をかすめた。
ほんの一瞬、指がふれあっただけだったが、エリーゼは、アッシュがしたいことを分かってあげられればと、切実に願った。
精霊祭の会場は、湖畔の広場から村の中央広場に戻った。
湖畔では、酔っ払いが湖に落ちてしまうからである。
村の中央広場で、持ち込まれた酒樽が次々と開けられていった。
楽器が演奏出来る者は家から持ち出してきて、片っ端に好きな曲を奏で始めた。
この日のために、女房連中は、自分の家のご馳走を仕込んで持ってきて、旦那達が急ごしらえで作ったテーブルの上に振る舞っていた。
あちらこちらに並べられたテーブルの上には、年に一回の肉や魚の料理が並び、ジャガイモだけではなく、様々な珍しい野菜のサラダやピクルスも並んでいた。
子ども達には子供用のテーブルが与えられ、精霊祭でだけ食べられる甘い菓子や、甘い飲み物が大量に出された。子ども達は、「虫歯になる」とからかわれながらも、狂喜乱舞した。
年に二回しかない祭なのだ。
爆発的な勢いで、大人達は飲み、食べ、歌い、踊った。
子ども達は、喧噪の中で、好きなゲームに興じた。
先ほどまでの恐怖が嘘のようだった。皆、妖が出たことなど忘れていたかもしれない。
ミラでさえも、泣いていた事などなかったように、エマと一緒に、祭に来ていた行商人の茣蓙を見て回っていた。祭のたびに、遠くから、商人が来て、珍しい話と品物を売っていく。それはどこの地方でも同じ事だけど。ヴィスター村まで来てくれる行商人は、多くはないが居ないわけではない。
滑稽な話を聞かせながら、珍しい顔の人形や小物を売りつけようとする商人の前で、エマとミラは笑い転げている。その様子を見て、ヴァルターも安心した。
アッシュは、彼を英雄視して煽り寸前の褒め言葉を連発するパウルと、それをやんわり窘めているルーカスと供にいた。
悪い気はしていないようだった。アッシュの隣にはクルトとエリーゼがいて、パウルはエリーゼがいつものシンプルな薄茶色のドレスではなく、綺麗な空色のワンピースであることに今更気がついた。
パウルはエリーゼを”姫”と呼んだ。
「やっぱり、姫のサポートがあったから、アッシュが成功出来たんだよな!」
「そ、そんなことないよ……」
もったいつけずにあからさまに褒められて、エリーゼは真っ赤になってしまった。先ほどのミラの気持ちが分かるような気がする。
「アッシュももっと褒めろよ! 女が着替えをしたら綺麗になったって褒めてやらなきゃ殺される、ってうちのとーちゃんが言っていたぜ!」
「なんだ、その殺されるっていうのは?」
クルトが呆れてそう尋ねた。
「クルトんちのかーちゃんだって言うだろ? 綺麗にしていたら褒めてくれって」
パウルが、目を見開きながらクルトに詰め寄る。
「そりゃ、女が綺麗にしていたら褒めろは、俺も言われた事があるけれど」
クルトは苦笑してそう言った。
「訳わからん……褒めればいいのか?」
アッシュはエリーゼの方を見つめながらそう言った。
「えっ!? いや、違うっ……そんな、褒めるとか、いいってば!!」
エリーゼは大慌てで両手を顔の前でふり、否定した。
「エリーゼ、今日の服似合うな、綺麗だ」
ところがアッシュは妙に真顔でそう言い、エリーゼは硬直してしまった。
パウルが指を口にくわえて口笛をふく。クルトはアッシュのあり得ない反応に唖然としている。
「お前……」
「俺、女を褒めるとかわからねえよ。お袋いねーから」
アッシュはあっさりとそう応えて、自分の頭をかいていた。
「え……」
エリーゼは、別の意味で固まった。今、アッシュはなんと言った?
すると、クルトがかわりに、エリーゼに向かって困ったような笑いを浮かべた。
「ああ、言ってなかったか。アッシュの母ちゃんは、アッシュを産んで、体調崩して亡くなったんだって。それで、アッシュは母ちゃんの事がわからねーんだ」
「…………」
エリーゼは黙りこくった。宴の喧噪の中、何を言えばいいかわからなかった。
「お袋の記憶はねえよ。だけど、俺のお袋なら、今、帰ってきてるだろう」
アッシュは、平然とした口調でエリーゼにそう言った。パウルもびっくりして口を押さえている。
どうやら、アッシュの母親の件の事を忘れていて、口を滑らせただけらしい。
「ごめん……アッシュ」
パウルがすまなそうにそういうと、アッシュはやはり平然と笑い、彼の肩を叩いた。
「気にするなって。俺も、気にした事ないから」
「アッシュ……」
気にした事がないとアッシュは言うが、彼はまだ10歳だ。どんな気持ちだろうと想像し、エリーゼは何か言いかけた。パウルのそういうところにも、無性に腹が立った。
「エリーゼ」
クルトが、そのエリーゼを制した。彼女の耳にそっと囁く。
(アッシュが気にしてないって言ってるんだから、気にしてないんだよ)
エリーゼはその言い方にこめられたものを察して、自分もさりげなくふるまうことにした。それに、パウルは、自分の言った事に傷ついているようだった。本質的には優しい子らしい。これからは、自分の言動に気をつけてくれるだろう。
「エリーゼ! アッシュ! こっちに面白いのあるよー!!」
そのとき、行商人の方でエマとミラが両手を振って、仲間を呼び始めた。
年寄りの行商人が、紙芝居とオモチャの人形を広げて、商売を始めようとしている。
「うん、今行く……! アッシュ、一緒に行こう!?」
エリーゼは、わざとらしいぐらい明るくそう言って、アッシュは彼女に頷いたのだった。
子ども達は、エマ達のいる紙芝居の方に駆け寄っていき、そのまま、夜が更けるまで、宴の中で遊びほうけた。
遊んでいる間は、エリーゼも、心から楽しんでいた。ずっと心の中に引きずっていたことを、すっかり忘れることが出来た。
精霊祭が終わるまで、空には白虎の灯りが輝いていて、その向こうには、宝石箱をひっくり返したような星空が広がっていた。
その真下で、大人も子どもも、祖霊も現世の人々も関係なく、歌い、踊り、飲み、語らっていた。
その宴の中で、ミラは、ミャウが自分のそばにいると思い込んでいるようだった。言うまでもないことなので言わないだけだ。同じように……アッシュも、記憶にない母の存在を、感じているといいと、エリーゼは思った。無論、そんなことは大きなお世話だろうから、口に出して言う事はしなかった。
アッシュが、精霊祭を盛り上げようと必死だったのは……ミラの事もあるけれど。
きっと、10歳なりに、母に会う方法を、考えていたのではないだろうか?
彼は性格上、女々しいと言って、そんなことを口に出さないのだろうけど。
そんな彼のために、今、出来る事は、彼と作った「今」を精一杯楽しみ、心から笑う事だけだった。
精霊祭は、楽しかった。--本当に。
そして、喧噪と現世の楽しみにまみれた、精霊祭の傍らで。
”触るな石”に細かい罅が入った事に、誰も気づかなかった。黒い岩の苔むした肌に、細かい傷が刻まれていくのを、見たものはいなかった。
--遠くで鈴が鳴った。
その音も、高らかな宴の音楽と、けたたましい笑い声にかき消された。
その日、その夜からだった。
ミラが異界にさらわれかかった、10歳の精霊祭の夜から、頻繁に、魔族の目撃情報が増えていったのは。
魔族、妖の起こす事件が次々と増えていったのは……。
精霊祭。開かずの扉が開いた夜の時からなのだ。




