第二十二話 鈴の妖
神聖バハムート帝国の北方--。
帝国の実に1/3は大雪原と呼ばれる豪雪地帯である。北に行けば行くほど冬が長く、一年の半分は雪の中で生活すると言われていた。
その大雪原の北東部に、ザビーネ湖という巨大な湖がある。一昔前までは、氷海アイスミアと呼ばれていたほどであった。そのザビーネ湖のそばにあるのがデレリンで、湖から南に延びているズーゼ川のほとりを中心に栄えている。湖も川も、年の1/3は凍り付いているが、それでも恩恵は多々あった。デレリンの街は勿論、近くの漁村、農村にも湖や川から水がひかれていたし、漁業は盛んで、ザビーネ湖の冬の氷の絶景を見るため、帝都から来る観光客も多かった。
ヴィスター村は、漁業と農業の両方で生計を立てていた。多くの家では、女性達がジャガイモと寒冷地用に改良された小麦や、寒さに強い野菜を育てていた。そして、湖の氷が解けると男性陣が漁を開始する。また、畑に害をなす獣を狩った。たまたま、ザビーネ湖は魚の種類が豊富で、固有種も多く、夏の間は食べるのには困らない。問題は冬で、長い長い冬の間は、多くの男はデレリンやツテのある都会に出稼ぎに出た。
牧畜は家庭用の乳製品のための牛、移動用の馬。
村民の過半数が自給自足で、自分たちの食べる分の他は、デレリンの街か月に2回開かれる近所の大市に、特産品の魚の干物や主食の穀物、いくらかの野菜を売った。
はっきり言って村は貧乏であり、地味で目立たなかった。
よって、アッシュは、10歳ながらに、村を何とかしたいという強い使命感を持っていたし、その使命感故に、村長である父親としょっちゅうぶつかっていたのである。
アッシュにしてみれば、精霊祭などのイベントは、近所の街のデレリンや、うまくいけば帝都シュルナウから観光客を呼び込めるいいチャンスなのだ。
なんといっても、ヴィスター村の夏の精霊祭は、ザビーネ湖のほとりにある風光明媚な広場で開かれるのである。
”灯り舟”の光が湖に反射しながら夜空へのぼっていく、幻想的な光景は、人々の心を奪うのは間違いなかった。カールは、同じ事を近所の村でもやっていると言うが、それなら、ヴィスター村の独自の路線を作って、差別化すればいいだけではないか。
何でもいいから、村をよくする事が出来るなら、リーダーは行うべきなのである。
村人の生活レベルをあげ、意欲のある良い村にするために骨を折らずして何がリーダーか?
そういうわけで、アッシュは、初めて、”灯り舟流し”というメインイベントに参加出来る、この精霊祭に気合いを入れまくっていたのであった。
暗い夜空。
花水晶の小石に魔素の火をつけた”灯り舟”を手に、村人たちが、湖のほとりに集っている。ザビーネ湖は澄んだ鏡のように、星空を写しだして、濃い色に輝いていた。蒸し暑い夏の夜だったが、湖から何とも言えない涼しい風が吹き渡り、汗ばむほどではなかった。エリーゼは湖の風で深呼吸をした。鼓動が高鳴るこれから、アッシュが連日頑張ってきた、壮大な仕掛けが始まるのだ。
ただでさえ、精霊祭に参加するのは初めてだったので、余計に緊張した。
「本日は、村の精霊祭のために集まってくれてありがとう」
集会の最前列に、矍鑠とした老人の風精人が進み出てきた。エリーゼは、彼が、アッシュの父のカール・カッツであることは見て取った。あまり、アッシュに似ていなかった。容姿に優れた種族である風精人なのは間違いないのだが、アッシュの親しみやすくやんちゃな雰囲気がまるでなく、正反対の厳めしさがあった。
「今年も精霊祭で無事にご先祖様と過ごせる事を感謝する……今年から、小学校に入学した子ども達も、精霊祭に参加出来る事になったが、それもこれも、ハルデンブルグ伯爵家のお力添え、皆、安全、無難に事故のないように”灯り舟”を空に流して欲しい、何事もこのヴィスター村のゆかしい伝統に従い……」
などなど、厳めしい老人は、長ったらしい挨拶を始めた。責任のある村長の立場からして、心配な事がたくさんあったのだろうが……。
言いたい事をまとめると、ヴィスター村の伝統に従って、事故のないように、この地方の王様であるハルデンブルグ伯爵家に恥をかかせたり、機嫌を損じたりすることがないように、ということであり、そのためにカールは五分ほど、同じ話を繰り返した。
そしてやっとの事でカール・カッツが挨拶を終えると、息子のアッシュの方にターンが回った。
次期村長と目されているアッシュは、カールのそばに駆け寄って、自分の彗星型の”灯り舟”を掲げた。光り輝く星の舟。
「みんな! 年に二回のことだ、ちからいっぱい、盛り上がろうぜ!!」
それこそ力強くシンプルな物言いに、わっと会場から声が上がる。
「さあ、”灯り舟”を、空に放とう!」
アッシュが号令をかけるように言い、自分の”灯り舟”を両手から放して、古代から伝わる呪文を口の中で唱えた。
短いが複雑な発音を終えると、”灯り舟”はアッシュの手から離れ、フワフワと、空中に浮かび上がり始めた。半透明の乗り物の内部から、オレンジ色の暖かい輝くが広がり、遠い夜空まで、ゆっくりと登っていく。スピードを出す事も出来るが、あまり負荷をかけると、火が暴発することもあるため、安全のためにゆっくりと湖の風に乗せていく。
暗い星命灯は村人達の足下、手元を照らして、安全をはかった。
アッシュの声に釣られて、次々に、村人達は手から”灯り舟”を放ち、空に流していった。オレンジ色を中心に、黄色、白、赤の輝く様々な形の舟が、空へと風に乗って登っていく。風に乗せるために、風精人達は呪文を唱えて制御する。その短い言葉がさざ波のように広がり、何だか荘厳なコーラスのようにも聞こえた。
思い思いの位置から登っていく、空を行く”灯り舟”達--最初は、本当に、誰もが勝手な位置から自分の想いをのせた灯り舟を、空に放流していたのである。
アッシュがにやりと笑ったのはそのときだった。
彼は、懐から、古代の呪文が綴られた護符を取り出し、念をこねる仕草をした。
途端に、湖からの風が揺らいだ。……ように、人々には感じられた。
(大丈夫かな、アッシュ)
これから彼が始める大がかりないたずらについて知っているエリーゼは、固唾を飲んで気流の動きを見守った。
風の流れが変わった事、風と同じく、辺りを渦巻く魔素と呼ばれる不思議な力の流れが変わった事が、多くの風精人に悟られた。
なんだ、と目を見開いた大人達は、ようやくあることに気がついた。
最初はフワフワと不規則に辺りを漂っていた”灯り舟”が、そろって上昇している。
例年ならば、タイミングも列もバラバラに、ただ人々が好き勝手に手を放した通り、無軌道に上がっていく”灯り舟”。
それが、整列した気流に乗って、妙に規則性を持ってタイミングを整え、ふわり、ふわりと登っていくのだ。
「スゲエ!」
「なんか線みたい……空に光の線が引かれている!」
「舟、カッコイイ!!」
それに気づいた子ども達が真っ先に声を上げ始める。
大人達は唖然として、線が次第に重なり合い、何かの図形を描こうとしてるのに気がついた。
魔法による悪戯であることは間違いない。そして、厳粛な精霊祭の夜に、こんな悪戯をしそうな奴と言ったら……!
「アッシュ!」
カールが、息子の名前を叫んだ。
アッシュは平然として、護符を握りしめ、古代の呪文に念を送っている。父親の怒鳴り声など聞こえていない様子で、熱心に、この”仕事”を完成させようとしていた。
「お前は何をする気なんだ!」
カールが叱りつけても、アッシュは気にも留めない。それよりも、”灯り舟”が自分の魔法の指示通りに図形を描いているかどうかを気にしている。
夕方にエリーゼ達と作った仕込みは、風の流れを魔素でコントロールするためのものである。護符と護符が通じ合って、魔素を練り込んだ紐を浮かび上がらせる。紐は自らが風に乗ることで風に同化し、魔素を放ってアッシュの意のままに風を動かし始める。暴風のような強い力を出す事は出来ないが、魔素
魔素の流れを作る事は出来るため、風による細かい調整は可能だった。
「ん……?」
古代文字の描かれた護符を利用して、魔素を動かしてみる。それでも、一つの”灯り舟”が、途中から動かなくなっていた。一箇所に安定して止まり、浮かぶ事も流れる事もない。
「ミラの魚……?」
絵本に出てくるような可愛い魚の舟が、空中にピタっと止まって残っている。
ミラもおかしいと思ったらしく、大きく目を見開いて、魚の舟を見上げている。
「ミラ、魔法を使っているのか?」
一瞬、アッシュはそれを疑った。だが、ミラは、エマと同じく真面目な女子であり、イベント中に騒ぎを起こすようなことはしないはずだ。
「ミラ……」
ミラと、彼女の隣にいるエリーゼ達も、魚の舟だけ上に上がっていかないので不審に思い、顔を見合わせていた。
「どうして? 空に昇っていかなければ、ミャウを迎えに行けないじゃない」
ミラは慌てている。
「変だよね……どうしたんだろう」
エマもそう言うが、まだ子どもで、魔法にそれほど詳しい訳でもないので、何も出来ない。
エリーゼは、目をこらして、魚の舟をよく見てみた。魚の舟の周りに暗い靄がかかっているようだった。夜更けで、湖の広場についている星命灯しか人口の灯りはなかった。そのため、はっきりは見えないが……。
「何……あれ」
エリーゼはエマ達を振り返るが、エマもミラも怪訝そうな顔をしている。
そのとき、三人の耳に明らかに、鈴の音が聞こえた。
「ちりん」と……。
「……ミャウ?」
ミラは動揺して辺りを見回した。だが、すぐに気がつく。ミャウのお気に入りだった猫鈴は、上空の魚の”灯り舟”の中に入れてあるのだ。何故、ここで聞こえるのかわからない。
「ミャウ?」
それでも、ミラはミャウの姿を探そうとした。今日は精霊祭だ。どんな不思議な事が起こってもおかしくはないのだから。
「ミラ、待って!」
エマとエリーゼが驚いている間に、ミラは祭のどよめきの中、ミャウを探して早足に歩き始めた。
時間にしては何分にもならなかった。
ミラは、祭の人混みの中、鈴の音のする方にどんどん移動していく。エマとエリーゼは不規則に動く人混みに邪魔されて、ミラの方に追いつけない。だが、見失ってはいなかった。
(ミャウ……来てくれたの? もう、私のそばにいるの? 姿を見せて)
ミラはミャウが戻ってきてくれたかどうか半信半疑だった。だが、既に半ば以上、信じていた。この祭の会場のどこかにミャウがいる。精霊祭なのだから、アトゥルの神様が、開かずの扉を開けてくれたのだ。ミャウが異界から、この世に戻ってきて、また一緒にミラと遊んでくれるのだ。きっと、そう。早くミャウを探して、迎えに行かなきゃ。
ミラは次第に、湖の方に近付いていった。湖--そこにも、”触るな石”は一つ、ある。その”触るな石”、ごつごつした真っ黒な岩の近くから、ミャウの声が聞こえたような気がした。
「ミャウ」
声に出して猫の名前を呼んでみる。そのとき、ミラの声に応えるように、澄んだ金属音が聞こえた。
カン……!
小さな音だったが、ミラの耳にはっきりと聞こえた。他にも、祭の人混みの数人が、不思議そうな顔をして”触るな石”の方を振り返った。
ミラは水辺を眺め渡した。
そこに、猫の……明らかに、ミャウの暗い影が見えた。
猫の影は次第に濃くなっていき、暗い形を保ち始めた。そこには明らかに、緑色の瞳の三毛猫がいるように、見えた。
猫の鈴の音が響き渡る。
「ミャウ!」
ミラは声を上げた。手を伸ばし、ミャウの方に駆け寄ろうとした。
「おい、やめろ、ミラ!」
そのとき、クルトが追いついた。エマとエリーゼが、ミラがいないと騒いだのだ。
クルトは、ミラが水辺の方に走り出すのを止めようと、右手を伸ばす。
だが、届かない。
そのとき、凄まじい冷気が、その場を駆け抜けた。
8月の祭の熱気の中で、そこだけ息が白むほどだった。
近くにある星命灯の火が青白くきらめく。
湖の水面が薄く凍り始める。
金属の鳴る音。
「--凍る息……”凍息”だ!」
何事かと成り行きを見ていた村長のカールが叫んだ。
「皆、下がれ! 妖にかまっては、ならんっ!! 妖は、人を襲うぞ!!」
風精人の村人達の間に驚愕が広がる。皆、口々に恐れを叫びながらその場から退散しようとした。だが、何人かは、クルトやミラ達、小さな子どもが凍息のそばにいるのを見て残った。子どもを連れて逃げようと思ったのだろう。
「クルト!!」
逆に、アッシュは自分の相棒の方に走り寄った。クルトとワンセットのミラに何が起こったのか確認しようとした。
「何をしている、アッシュ。ああ、もう!!」
カールは、アッシュを呼び止めようとしたが、それより先に、妖の出現に驚き戸惑う、村人達を安全な場所に連れて行かなければならない。カールは村の自警団に指示を出し、村人達を中央広場の方へと逃がし始めた。
ミラは、それらの騒ぎにかまっていられなかった。ミラは、妖に正しく魅せられたいた。
”触るな石”の隣にいる水辺の猫、ミャウそっくりの猫の方に一歩ずつ歩いて行った。寒いのも何もかも、気にならなかった。ゆっくりと、自分の判断を失った動きで、凍息や猫の影……鈴影達のいる方に近付いていく。
「ミラ、行くな!!」
そのとき、クルトのそばに、ヴァルターと、エリーゼとエマが追いついた。だが、自分たちも、妖あやかし達のすぐそばまで近付く事は出来ない。子ども達は、妖がどんなことをするか知らない。
どうする……!? 緊張が走り、エリーゼは自然と、走ってくるアッシュの方に視線を投げた。




