第十九話 大事な仲間(1)
精霊祭の二日前。
村外れの広場。あの、秘密基地のある広場には、村中の子どもたちが集まっていた。どの子どもも、胸を高鳴らせ、そわそわと落ち着かない。
普段は人気がなく、だだっ広い空き地は、火の使用が許される場所である。そこに今日は、砂場と水桶が並び、地面は踏み固められている。
万一に備えた準備が整っているのは、誰よりもアッシュがうるさいからだ。
「水桶はそこ。砂はこっち。走る通り道は空ける。……よし」
そう言いながら、アッシュは手袋を直す。
その横で、彼の相棒のクルトが、板に墨で書いた紙を掲げていた。
「チェックリスト。読むぞ。――紙の厚み、均一。形状固定の符、角が潰れてない。魔力の通し方は、最初は浅く。深呼吸……」
「クルト、真面目すぎて先生みたい」
エリーゼが小さく笑った。だが、すぐに口を引き締める。笑ったあとに“正しい”顔になる癖が、まだ抜けない。
アッシュはそれを見て、わざと大げさに肩をすくめた。
「先生っていうか、クルトは“事故を起こさない神”だからな。拝んどけ」
「拝む? 賽銭は?」
そう言ってクルトは、指先でコインの形を作った。調子に乗るな、とアッシュがクルトの頭に軽くチョップを入れる。
まるでクラウスがやったときのように。
思わずエリーゼはまた笑ってしまった。空気がカルクなり、アッシュとクルトは顔を見合わせて笑った。
今日の目的はただ一つ。
精霊祭の本番で使う“魔法風船”を、より安全に、より夢っぽく、仕上げること。
エリーゼが百科事典を抱え、ページの端に挟んだ紙片を確認する。
「……本来、火精霊の色を直接出すと熱量が上がります。だから今回は、膜を薄くして、屈折――光の曲がりで色を変えて……」
「難しい言い方禁止」
アッシュが突っ込んだ。
「要するに、火の色をそのまま出さなきゃいいんだろ。見た目だけキラキラにすれば」
エリーゼは「……そう」と頷き、わずかに頬を赤くした。
三人は役割がはっきりしている。
アッシュは現場監督。危険の気配に一番早く気づく。
クルトは手順と理屈の整理役。チェックリスト担当。
エリーゼは辞典。知識庫。手順と禁則を暗唱できて、微調整のヒントも出せる。
「じゃ、まず俺から行くか~。星型、出すぞ」
アッシュが言うと、クルトが頷き、エリーゼがすぐに続ける。
アッシュが自分のカバンから取り出したのは、彗星型の風船だった。半透明の魔法紙に銀色の絵の具で着色されたそれは、超小型だったが、本当に、エリーゼの目には前世で漫画などで見かけた、オーソドックスな宇宙船のミニチュアに見えた。
「凄い……!」
感激して褒め称えるエリーゼにクルトが言った。
「アッシュは手先が器用なんだよ。それで誰からも重宝されてる」
アッシュは照れくさそうに首の後ろをかいている。
次はエリーゼのターンだった。エリーゼは、既に、百科事典にあった大昔の呪文を、アッシュに伝えている。魔素の使い方は、アッシュは元々うまい方だ。
「いにしえより伝わるぬくもりよ。汝、赤き輝きよ。我が指先に宿り、氷の風を吹き飛ばせ。汝はミトラの落とし子、尊き生命の灯り。我が手の襞に宿れ、炎フラム」
少し長い詠唱だったが、呪文の詠唱と供に魔素を動かした事は、目に見える結果を出した。
「ーーやった!」
アッシュの掌の上に、暖かい火が一つ灯った。火は燃え上がり、金赤の揺らめきを見せる。
アッシュは、魔素による火を、宇宙船のミニチュアに見える風船の中に入れた。
風船の背中のドアは、クルトが開けてくれた。
エリーゼは思わず身を乗り出してのぞき込んだ。魔素の火はキラキラと輝き、魔法の風船を少しだけ浮かせた。
アッシュが指先で“灯り舟”の角を押さえ、エリーゼが魔力の流し方を声に出して教える。
「通すのは、細く。線みたいに。……はい、止める。次、少しだけ濃く」
クルトが近づいて覗き込む。
宇宙船の周りに魔素の膜が張られ、その表面に、淡い虹が浮いた。星の形がふわりと立つ。
「凄い……!」
三人の声が重なる。
魔法の風船”灯り舟”は、少しずつ、少しずつ、宙に浮いていった。その舟は、熱くないのに、温かい光を持っている。
アッシュは満足そうに息を吐く。
「よし。これなら――」
アッシュはにやりと挑戦者の笑顔を見せると、指先を器用に動かし、何事か呟いた。
途端に、魔法の風船はゆっくりとした気球のような動きを変え、俄然、前に向かってシャトルのように飛び出した。
宇宙の魔法の保護膜の一箇所が、ふっと歪んだ。
歪みは一瞬で裂け目に変わり、彗星がぱん、と乾いた音を立てて破裂する。
散ったのは火ではない。けれど火花に似た光の粒が弾けて、空気が一瞬きしんだ。
「――伏せろ!」
アッシュが叫ぶより早く動いた。
足で水桶を蹴り、手で砂を掴み、破裂地点に叩きつける。
水が飛び、砂が舞い、火の粉がジュっと音を出して消える。
騒然としていた広場が静まり返った。
心臓だけが、どくどく鳴っている。
「大丈夫?」
エリーゼが真っ先にアッシュに問いかけた。声が少し震えている。
「大丈夫」アッシュは短く答え、砂を踏みならして確認する。
「今のは……油断した。クルト」
クルトはすぐに紙をめくり、眉を寄せる。
「魔力の流量、指示より一段階上だった。……俺を困らせるなよ、アッシュ」
「やっちまったな」アッシュは首を振る。「“対処できる失敗”でよかった。……本番はもっと人がいる。同じ失敗は繰り返さない」
エリーゼが息を整えながら、暗唱するように言う。
「破裂兆候は、膜の端の揺れ、色の濁り、魔素の角の浮き……」
「うん。だから本番は――“教える”のが一番むずい」
アッシュは、ウルフヘアの銀髪をかきあげながらそう言った。
二人が不思議そうに大将を見る。
アッシュは笑ってごまかすように肩を回した。
「よし。次。いつか宇宙までぶっ飛ばすぞ。彗星よりも早く走る舟、作って見せる。夢だけどな」
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翌日。精霊祭の前日である。
村の広場は、すでに“学校”みたいになっていた。
縄で区画が切られ、端に水桶、砂袋、火の距離線。
監督騎士が腕を組み、村長が見守り、職人たちが道具を整え、母親たちが遠巻きに子どもを数えている。
そして――真ん中に立っているのが、子どもだ。
村長の息子、アスラン・カッツ。アッシュだった。
「集まれ。話、短くする」
子どもたちのざわめきが、一瞬で消えていく。
大人たちの視線が交差した。「子どもが仕切るなんて」という空気が、確かにある。
けれど村長であるカール・カッツがアッシュの背後で頷いていた。
今年で253歳になる彼は、矍鑠とした老人の風精人ウィンディである。
「伯爵家の条件の範囲でやる。――アッシュの指示に従え」
監督である、屋敷から派遣された騎士も重々しい口調で言った。
「火は遊びじゃない。指揮が必要だ。だが……彼なら、やれるとクラウス様が」
母親たちの表情はまだ硬い。
でも彼女たちの目が、桶と砂、距離線、そして区画の整い方を見て、少しずつ態度の角が取れ始めた。
アッシュは母親たちの視線を気にしていなかった。
気にしている暇がない。今日は特に、守るべきものが多すぎる。
「班を三つ作る。得意なことで選べ。無理して背伸びするなよ」
そう言ってから、アッシュは、白い細長い指先を立て、番号を示す。
「一、風船組。膜づくりと形づくり。細かい作業が好きなやつ」
「二、魔力通し組。安定して魔力を流す練習。焦らないやつ、呼吸がうまいやつ」
「三、火の監督補助組。水桶、砂、距離。ここが一番大事。……目がいいやつ、周りが見えるやつ」
ヴィスター村の子どもたちがわっと動く。
得意を言い合い、迷いを見せ、笑顔を見せ、それでも区画の中では走らなかった。
走りかけた子どもは、クルトの「チェックリスト!」の一言で止まる。
クルトは小さなボードに紙を貼って持って、子どもに説明して回る。
エリーゼは手順と禁則を、素で丸暗記しているため、いつでも教える事が出来た
「膜は薄く、でも均一。魔素で角を潰さない。火の色は直接じゃなく――」
「はいはい、直接じゃなく“キラキラ”」
エマが笑って、エリーゼの言葉を柔らかく言い直した。
エリーゼは「……キラキラ」と言い直して、真面目な顔のままちょっとだけ照れた。
アッシュはそれを遠目に見て、軽く息をついた。
ちゃんと回っている。
でも――本番は、練習よりもずっと大勢の人が混ざり合ってイベントをこなすのだ。緊張は、ある。
「次、ペア指導」
アッシュが呼び声をかけた。
彼の周りに、子どもが急ぎ足で集まっていった。皆、笑顔だった。
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「ヴィルヘルム、こっち」
アッシュに呼ばれたヴィルヘルムは、少し背筋を伸ばして近づいた。
彼は器用な方だ。既に、風魔法の中に冷気を混ぜるなどの技は得意だが冷気ではなく熱気となると、ちょっと感覚が分からない。
その他にも、高価な魔法紙は今までの人生で使った事がなかった。
「魔法風船はな、合成だ」
アッシュは地面の砂に小枝で絵を描く。膜、魔素、キーゼル。
「膜ってのは、風船の皮。魔素は火とか風。小石キーゼルは……花水晶クロリスのキーゼル。そのまんま。形を固める“留め具”だ」
エマと同じ薄い金髪を揺らして、ヴィルヘルムが頷く。アッシュは頷き返して続けた続けた。
「粘土を丸めて、息を入れるみたいなもん。息を入れすぎると破裂するだろ。魔力も同じ。通せば動く。通しすぎると壊れる」
「……魔法を帯びたものは、魔力を通すと動かせる」
ヴィルヘルムが公立学校で教わった事を、確認するように言う。
「そう。好き勝手に、じゃない。範囲がある。安全ラインがある」
アッシュは指を二本立てる。「ここ。越えたら破裂」
ヴィルヘルムが緊張で息を飲んだ。
アッシュはそこで笑った。
「怖がっていい。怖がれるやつは、守るもんを守れる」
そのアッシュの笑い方と言葉に、ヴィルヘルムの肩が少し落ちた。
大分、安心した。彼は今まで触った事のなかった、魔法の紙に手を触れた。大丈夫、怖がったって、なんだって、魔法の合成は出来る。
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一方、エリーゼはエマに向き合っていた。
エマは手が早い。魔法の保護膜を伸ばし、小石キーゼルを置き、形を整えるのがうまい。
でも、彼女は勢いがある分、禁則が頭から飛ぶことがある。
「手順は――一、膜を作る。二、小石キーゼルを置く。三、魔素マナは最後に少しだけ」
エリーゼは正確に言う。
「はいはい。わかるよ」
エマは笑って、指先で膜を撫でた。「でも、エリーゼさ。言い方が、なんかお堅い先生みたい」
「……正確に言わないと、事故が」
エリーゼが真剣な目を向け、緊張の仕草を見せる。
エマはその目を見て、自分も思わず真面目な顔になった。
「うん。だから、ありがと。……でも、たまに笑って」
エリーゼは一瞬戸惑い、次の瞬間、頷いた。
「……はい。笑うのも、手順のうちです」
エマが吹き出す。
「それ、ズルい。かわいい」
エリーゼは耳まで赤くなった。自分が何を言ったか、気づいていない顔だ。
そのやり取りの端で、エマはふと視線を動かす。
アッシュがヴィルヘルムに教えながら、ちらりとこちらを見た――気がした。
“今の、エリーゼ見た? ”
エマの胸の中に、小さな火種みたいなものが落ちる。
その直後、アッシュの声が飛んできた。
「エリーゼ、危ない。髪」
「え?」
エリーゼがきょとんとする。
アッシュは手でエリーゼの三つ編みを示して見せた。
「髪。魔素マナの火に近付けるな。魔素マナが燃え移らなくても、心臓に悪い」
「……はい」
エリーゼは素直に三つ編みをさらにまとめて後ろで一つにくくった。
エマは、その様子を見て、口の端を上げる。
(アッシュ……意識してる?)
心の中で呟いたが、エリーゼは聞こえない。気づくはずがないだろう。
エリーゼは真面目に次の禁則を言う。
「小石キーゼルは、濡れた手で触らない。魔素マナの火は、遊びで振り回さない」
エマはニヤついたまま、「はーい」と返事をした。




