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幽霊少女エリーゼ  作者: スズシロ
祭の準備

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第十八話 天才の発見(2)

 そのときクラウスは、執務室で、自分の領地の税金の問題で抱えていた案件で頭を悩ませていた。どこの領主だって、自分の土地の税金では悩むものである。そしてはからずも、前例に頼ろうと思った。


 クラウスは執務室を出て書斎に向かった。すると、書斎の中から元気な子どもの声が聞こえてきた。




「”ここで……体制で、神聖バハムート帝国の中の諸侯(各地の小国家)の権限が強まり、バハムートは統一国家にならず“諸邦の寄せ集め”が固定化しやすくなった。この時代に「バハムート」というより「ノイゼン」「シュルナウ」「アルタ=セレス」「ライヒ」などの領邦では、まず“国が違う”感覚が強い。その背景は……”」


 エリーゼが10歳の女児の明るい声で淡々とそんなことを言っているのを聞いて、クラウスは、最初、彼女が本を読んでいるのだと思った。だが、一人で本を読み上げる理由はなんなのだろう。


 クラウスは、大人の書籍がぎっしり詰まっている自分の書斎に、エリーゼが無断で入ったのだと思い、困惑した。


 こっそり隠れているならともかく、堂々と音読しているのにも違和感があった。




「エリーゼ? 勝手に書斎に入ってはならない……」


 クラウスは、説いて聞かせようとしながら書斎のドアを開けた。そして絶句した。


 そこには、相変わらず動きやすい格好のアッシュが、エリーゼの前で分厚い大きな本を持って立っていたのである。


 そのアッシュに向かい、エリーゼは何も持たず、目を閉じたままスラスラとこう言った。


「”五十年戦争における 庶民のトラウマが「戦争=地獄」という感覚を作った。五十年戦争では戦闘そのものだけじゃなく、略奪・飢饉・疫病が同時に起こり、社会が崩壊した。そのため、後世の人たちにとっても「戦争とは、英雄譚ではなく、まず生活の破壊」という生々しいイメージが残った。この感覚は文学にも出て、戦争の悲惨を描く数々の文学・芸術が「記憶の器」になった。その代表作はフンボルトの……”」




「あ、オッサン……」


 そのとき、アッシュは事典を持っていたが、「オッサン」に元気に何か言いかけた後、咄嗟に、帽子のかわりに事典を抱えて、大人のするのとそっくりの挨拶をクラウスに行った。この間、クラウスが教えた通りである。


 クラウスはあらゆる意味で唖然とした。




 エリーゼが、何をしているのか、見て取ったのだ。


 しかも、それを……事典の丸暗記と暗唱をさせて遊んでいるのが、村の餓鬼大将のアッシュであるらしい。




「エリーゼ? ……何をしている?」


 嫌な予感と良い予感が同時にした。どちらにしろ、異常事態だとは分かった。


 ぞくぞくしてくる。




「お父様?」


 エリーゼは、やっと目を開いて、父の顔を見上げた。エリーゼはずっと高い位置にある耳の長い父の立派な顔を見つめている。


「アッシュが、私の記憶力が珍しいって言うので、実験していました。私、変なコなんですか?」


 銀色の三つ編みを揺らしながら、父親に尋ねた。


「変なコなんて言ってねーよ。エリーゼはすげーなって言ってるんだよ!」


 事典を抱えながらアッシュがそう言い切る。




 クラウスはまじまじと娘の顔を見つめ、最近また背が伸びたことやまた顔色がよくなってきたこと、女児の少女の域に明らかに成長し始めている事に気がついた。ほんの数日前までは、手が着けられない奇行に走る病気の子どもだったのに。


 子どもの成長の早いことに関する数々の金言や警句を思い出しながら、クラウスはエリーゼに向かった。


「今、事典の中身をそらんじていたのか?」


「はい。事典の項目を一回だけ読んだ後、アッシュに事典を持ってもらって、目を閉じたまま、読んだ項目を唱えてるんです」


 エリーゼは落ち着きない様子だったが、小声でもはっきりとそう答えた。


「すげえんだよ、エリーゼ。完全に間違わずに全部言えてるんだ!」


 アッシュはかなりのハイテンションで、目を輝かせながらそう言った。




「む……」


 どうやら嘘をついたり、大人をからかったりしているわけではなさそうだ。


 だが、本当にそんなことがあり得るだろうか。エリーゼは、麻疹にかかって以来、ろくに貴族学院にも通えず家で寝てばかりいたのである。起きている時間の大部分を、読書に費やしていた事は知っているが……。




 クラウスがまだ疑っている様子を見て、アッシュは早速、持っていた辞書をぱらりと開いて、エリーゼに項目を読ませた。


 エリーゼは素直にランダムに開かれたページを読んでいる。クラウスもエリーゼの後ろからその、百年前の神聖バハムートの庶民の生活を読んだ。


 アッシュが本を閉じて、エリーゼに目配せをする。


 エリーゼは目を閉じて、口を開いた。


「”農村の家は、人と家畜が近いつくりが普通にあった。居住スペースと牛馬のスペースが近接(同じ屋根の下)する形式は、大雪原を含む多くの地域で見られる。暖房は、暖炉とタイル張りのストーブ(カッヘルオーフェン/Kachelofen)のような“蓄熱系”が重要だった。火を入れる時間は限られても、熱を溜めてゆっくり長く暖める発想である。都市でも、職人の家は店・工房・住居が一体になりがちだった。とくに親方クラスは徒弟や丁稚が同居することもよくあった”」


「今とそんなにかわらねーじゃん!」




 アッシュがそう突っ込んだ。エリーゼは目を閉じたまま続ける。




「”主食はライ麦パンや麦粥、スープ。そこにキャベツ類、カブ類、豆、地域によっては乳製品が加えられる。肉は“たまに”しか食べられなかった。塩漬けの保存肉や内臓も重要なタンパク源だった。旅人記録でも、村で手に入るのが乳製品とパン中心で、肉は年に一度食べられたらよい方という記録があげられる。ジャガイモはすでに栽培されていたが、バハムート全土に広く普及するのはナビール戦争後である。飲み物は安全面もあってビールや薄めた酒、ハーブ茶などが主だった”」


「それも今とかわらねーな。だけど、肉は週に一回は食べられるよな?」


 これだけの文章を、淡々した様子でエリーゼは即座に暗唱した。アッシュはそれにそう返答した。


 クラウスは唖然として我が娘を見た。


 種も仕掛けもないのは、自分も、アッシュが事典を開いたところから見ていたので分かる。


(これが本当に娘の能力なら……守ってやらなければならない)


 クラウスは即座にそう判断し、自分から書架に向かった。


 百科事典の一番目、アルファベットで言うならばAの事典を取り出すと、戸惑い、困惑顔のエリーゼに手渡した。


「読みなさい。覚えられるなら、全部覚えなさい」


「は、はい……」




 本来、親に対しては従順な良い子のエリーゼは、両手で本を受け取るとテーブルに持っていって椅子についた。




「オッサン?」


「伯爵と呼べ」


 不思議そうにしているアッシュには、クラウスは半ば諦めた声でそう答え、自分は税金の問題の前例が掲載されていそうな昔の本を探す。


「お前は、何をしに来た」


「俺は魔法風船の勉強をしに!」


「なるほど……精霊祭で目立ちたいのか」


「目立ちたい訳じゃねーよ! みんなと最高になりたいだけだよ!」


「同じ意味だろう」


 クラウスは笑ってそう返し、自分の求める本を見つけると、その場で読み始めた。


「オッサンはどんな風船飛ばすんだ? やっぱデカい奴? 偉そうな奴?」


「さあな……当日までの楽しみだ」


 勉強に飽きたのか、ひっきりなしにクラウスに話しかけるアッシュに、クラウスは余裕の態度でいる。一方、エリーゼは父の言いつけ通り、真面目な顔で事典をAの番号の1ページ目から真面目な顔をして読み始めていた。




 それから三日たった。


 その三日の間に、アッシュはクルトやヴァルターたちと、村の公立学校に通う子どもたちを班分けして編成した。精霊祭の際に効率よく動いて貰う為である。その合間に、クラウスの図書室に通い、魔法紙や魔素の火の取り扱いのことなどを、自分なりに詳しく調べた。


 そのとき、必ず、図書室にはエリーゼがいて、ずっと事典を読んでいた。アッシュは根を詰めるなと声をかけたが、エリーゼは平気だと言って笑った。実際、ゆったりとした優雅な笑い方だったので、アッシュは安心した。


 アッシュは夜中に村長宅の自分の部屋で魔法紙を折りたたんで魔法の風船を作った。デザインは色々凝ったつもりだった。これで本番で滑らなければいいのだが。




 そして三日目、エリーゼが、アルファベットで言うならば、Zの順番の事典を読んでいる事に気がついた。それまで気にしていなかったが、流石にびっくりしたアッシュはエリーゼに尋ねた。


「エリーゼ、もしかして、50冊全部読んだのか?」


「読んだわよ?」


 エリーゼは当然のようにそう答えたあと、可愛らしく小首を傾げた。


 なんでそんなことを聞かれるのか、分からなかったらしい。


「……中身、覚えたのか?」


「覚えたわ」


 それも、極めて平然とそう答えた。彼女にして見れば、自分の何が異常なのか、さっぱり分からないらしい。




「伯爵ぅ!」


 驚いたアッシュは慌てて、彼女の父親であるクラウスを呼びに行った。執務室にいたクラウスはすぐに図書室にやってきた。


 そして、きょとんとしている自分の娘に、アッシュから聞いた話を尋ねた。


「エリーゼ、本当に、そこにある百科事典50冊、全部読んで覚えたのか。三日で?」


「はい。お父様。全部読んで覚えました」


 エリーゼははっきりした声でそう答えた。クラウスは沈黙した。かなり長い間沈黙した。


 そのあと、百科事典を適当に二冊取り出し、当てずっぽうな項目を数カ所あげて、エリーゼに暗唱するように言ってみた。


 エリーゼはそのどれも、完全に正確にそらんじてみせた。どうやら、本当に、百科事典50冊覚えてしまったらしい。


「………………」


 これには、クラウスも再び絶句した。


「スゲエエエエエエ!!」


 アッシュは目を丸くして驚嘆した。自分の仲間のお嬢様の信じられない天才ぶりを、喜んだ。


 クラウスも鼻息を荒くして興奮した。自分の娘は、このままいけば、将来、帝国に貢献する学者か官僚になれるかもしれない。地方領主どまりの自分よりずっと、遙か上を行くかも……!


 だが、そこで、調子に乗ってばかりもいられないのが、大人であるクラウスの役割だった。


「アスラン。エリーゼ」


 重々しい声で、クラウスは二人に向かった。


「今の、エリーゼの記憶力の事は、黙っておきなさい。世の中には、悪人という者がいる。まだ子どものお前たちは、自分の能力のことで、悪人につきまとわれて悪用されるかもしれない。そうされないためには、身を守るために、黙るということを覚えなさい」




「……悪人に、利用される……?」


 元来、正義漢のアッシュには、その言葉は聞き捨てならなかった。


「私……そんなに、おかしなこと……したんですか?」


 エリーゼはまだ、自分の異常な記憶力の事が分かっていなかった。だが、自分が普通ではない事はうっすら分かったようだった。


「アスラン・カッツ」


 エリーゼではなく、その場にいたアスランの両方の肩に、クラウスは自分の両手を置いた。そうして、真剣な表情で告げた。


「娘を守ってやって欲しい。エリーゼが、この先、悪人や、自分に害をなす者に出会った時、一人では可哀相だ。この先ずっと……娘の良き友人でいてくれ。そして、ピンチの時には、娘を助けてやって欲しいんだ。頼めるか?」


「もちろんだよ、オッサン!」


 アスランと呼ばれたアッシュは、自分の胸をどんと叩いて快諾した。いい笑顔だった。


「エリーゼは、子どもギャング団だ。もう俺の仲間だ! 仲間の事は守ってやるのが男だ!」


「そう。これは、男と男の約束だ。何かあったら、何でも私に言いなさい」


 クラウスは内心ひやひやしながらそう答えたのだった。


(エリーゼの能力の限界がどこにあるのか、俺にコントロール出来ることかどうか、そのために試したんだが……これは大変な事になった。百科事典50巻! 本棚一竿分! 全部完璧にそらんじるって、どんな能力だよ。俺一人の手には負えない……だが娘の事は守ってやらなきゃならねえ。とりあえず、コイツには一番きく口止めをしたはずだが……大丈夫かなああ……)


 親の言いつけをよく守るエリーゼだったら、いいと言うまで黙っているだろうが、アッシュの方はどうだろう。かなり背筋が寒いクラウスであった。


 何しろ子どもギャング団である。その名称だけでも何とかして欲しいもんだと、クラウスは内心呟いた。




「え? 本当にあったのか、前例」


「……あったわよ」


 クラウスが執務室に戻った後、妙に気恥ずかしそうな表情で、エリーゼがそう言った。


 百科事典を50冊、丸暗記したところ、本当にあったのである。昔子どもが、魔法で火を使っていた前例が。




「大昔、大雪原で、子どもや老人が寒さでバタバタ死んでいた時代があったんだって。その頃の暖房器具は今と違って粗末なもので、一酸化炭素中毒とかもざらに起きていたらしいの」


「いっさんか……何?」


「ええっと、空気が悪かったらしいの。煙、そうね、煙のせいで人が死んじゃうぐらい、粗末な作りだったんだって。それで、子どもたちは、魔素の火を調整して、寒さをしのぐ事で自分の身を守っていたの。その頃の呪文なんか、ここに書いてあるわよ。ちょっと長いけど、子どもにも簡単に使える火の呪文」


 そう言ってエリーゼは、一冊の事典を取り出して、その項目を指し示した。実際に、そこに、魔法の言葉で呪文が書き付けてあるのを見て、アッシュは感心した。


「そうか。やっぱり、子どもでも、火の呪文は使えるんだ。これをうまく利用すれば、精霊祭は楽勝だな!」


 アッシュは、拳を握りしめてガッツポーズでそう叫んだのだった。


 エリーゼは、うんうんと何度も頷いた。


「……でもどうして、伯爵の前でいわないんだ。すぐに、伯爵に許可を取りに行こうぜ」


「……アッシュが言ってきて」




「へ? なんで?」


 アッシュは、エリーゼが今、非常に父親と顔を合わせづらい心理が分からない。娘としては、男親が、少年に、「娘を守ってやって欲しい」と言うところなど、そうそう見られるものではないのだ。


 しかもそれを、アッシュが、実に快活な笑顔で承諾したのである。本来なら羞恥心でいたたまれなくて、自室に駆け込んで鍵をかけるところなのだ。


 だが、責任感の強いエリーゼは、アッシュに、前例の話はしなければならないと思って踏みとどまったのである。




「ご、ごめん……アッシュに言ってきて欲しいの」


「いいけど……何、一人で真っ赤になってるんだ、エリーゼ?」


 アッシュだけが、エリーゼの複雑な心境を理解していなかった。

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