第十七話 天才の発見(1)
-三人称-
ヴィスター村には小さな公立学校がある。
現代日本の言うところの、小学校と中学校が一つの建物になっており、なけなしの校庭と体育館もついている、村では一番大きな建物だ。
ヴィスター村は人口2000人程度の、デレリンの近辺では人口が多くも少なくもない村で、そこに住む六歳以上十五歳以下の子どもたちは、皆この公立学校に通っている。
公立学校の教師は三人。年配の校長と副校長、そして比較的若い主任と呼ばれる女性教師だ。後は用務員の老人が一人。
子どもの数はそんなに多くはないので、6~7歳、8~10歳、11歳以上のクラスに大雑把に分けて、それぞれが担任のクラスを持ち、がっちりと助け合って学校を運営している。子どもは低年齢ほどどうしても手がかかるのでそうなった。
アッシュたちは中学年と呼ばれる、8~10歳のクラスに属し、その担任は若い女性教師である。当然、彼女が毎日胃が痛めている原因はアッシュであった。
夏休みの間であっても、アッシュが派手な問題を起こしたら、担任教師は公立学校に呼ばれる仕組みになってるからだ。
その、木造三階建ての村では立派な方に入る校舎の手前に、掲示板が建っている。
村での重要な情報や、広告などが掲載される大事な場所だ。そこに、精霊祭についての張り紙が、村長のカール・カッツの名前で出された。
「小学校に入った児童は精霊祭に参加して良い」
--そういう内容である。
クラウスは有言実行して、村長であるカールに、子どもたちが精霊祭に参加すること、魔法の風船「精霊灯り」を飛ばしても良い事を、飲ませてくれたのだった。子どもとの約束を守る大人は、いつだってかっこいい。
精霊祭に参加したい子どもたちは掲示板の話を聞いて、朝から公立学校に向かって走って行った。
「スゲー! 本当に、書いてある!」
「精霊祭に俺たちも出ていいんだ!!」
9歳のヴァルターとヴィルヘルムがほぼ同時に叫んだ。どちらも、8歳の自分の妹を連れてきていた。妹たちも喜び、顔を見合わせて笑っている。
「あとはなんて書いてある……?」
真っ先に駆けつけていたアッシュは、張り紙を食い入るように見つめ、書いてある事を覚え込もうとした。
・子どもだけで精霊灯りや火に近付いてはならない
・必ず大人の監督のもとで行うこと
・危険行為は禁止
などなど、守るべき事柄がしっかりとした筆で書かれていた。
アッシュの前でクラウスがいっていた事とほぼ同じであった。それはつまり、ハルデンブルグ伯爵家が後ろ盾になって、祭で何かあっても責任を取ってくれるということなのだろう。
どっちにしろ、子どもが火を扱う事についての危険性や不安が伝わってくる。アッシュは緊張して、心臓の動悸が高鳴るのを感じた。
「良かったな、アッシュ。これで俺たちギャング団は、全員参加出来るぞ」
アッシュの隣にクルトが来てそう言った。ギャング団とは村人たちがアッシュたちのグループにつけたあだ名だが、本人たちも便利なのでそう名乗る事もある。
「ああ。頑張った甲斐があった。これもエリーゼが……」
アッシュは、クルトに返事をして、そこでエリーゼがまだ掲示板前に来ていない事に気がついた。この特大ニュースがまだ伝わってないのだろうか?
エリーゼはクラウスの娘本人なので、知らないはずがないのだが。
アッシュは思わず、エリーゼを探して掲示板前の人混みを見回した。
掲示板の前には、公立学校に通う子どもや、その親が、人だかりを作っていた。
「……精霊祭に子どもが参加? 危ないんじゃないかしら」
そのとき、アッシュの耳に、母親たちの密やかな声が聞こえてきた。近くにいる、別の学年の母親たちが、小声でひっきりなしに話している声だ。
「火は危ないわよね、悪い事覚えちゃうわ」
「うちの子が、火で悪戯するとか、真似したらどうするのよ」
そんなことを言って悪い顔をしている。アッシュは一瞬かっとなって、母親たちを振り返った。
トドメに、彼女達はこんなことを言った。
「貴族のお嬢様なんていってるけど、どんなものかしらね。お祭りで混ざられたら、面倒だわ」
「前例がないわよねえ、子どもが火を使う事も、貴族のお嬢様が村の祭りに参加することも」
アッシュは拳を握りしめてこらえた。言ってやりたいことはたくさんあったが、それは、アッシュとエリーゼの関係性の一部を言い当てていた。何故、この場にエリーゼがいないのか? 答えは簡単だ。エリーゼは、ヴィスター公立学校の児童ではなく、デレリンの貴族学院に通うお嬢様だからだ。
(くっそ……!)
エリーゼが、クラウスの処置と、その結果である噂を耳にしたのはそれから小一時間後の事であった。
いつもの通り、屋敷の庭で、アッシュはエリーゼに掲示板の話をして、珍しく愚痴のような事を言った。
二人は涼しい木陰で、芝生の上、隣同士で座っている。
「--母ちゃんたちが、文句ばっかり言ってる。俺たちは、火なんか恐くないのに」
エリーゼが陰口を言われている事は言わなかった。言いたくなかったから。
エリーゼが悪口を聞いて悲しむところは見たくない。
「そうなの?」
庭の夏椿の木陰で、エリーゼは白い顔を曇らせた。元々、引きこもりのせいかエリーゼの皮膚は透き通るように白かった。それが、最近は外で元気に遊ぶようになったため、日焼けして健康的な色合いになってきている。顔つきも前は涙っぽかったのに元気な笑顔が見られるようになってきていた。
それが、今は、唇をかみしめて首を左右に振っている。
「村の母ちゃんたちが言うには、前例がないそうだ。大人ってのは前例が大事なんだよな。それが、なんだっけ--保身? それに繋がるかららしいけど」
「前例?」
エリーゼは首を傾げた。アッシュは頷いた。確かに、母親たちは前例がないとヒソヒソ言っていたのだ。
「それじゃあ、前例を探すわ。規則と慣例を確認してみる」
「そんなこと出来るのか?」
エリーゼは木陰の下で読んでいた小説本をぱたんと閉じた。
「出来ると思う……お父様の書斎に、そういう本や、百科事典がたくさんあるもの。それを読んで調べれば、分かるはずだわ」
「本当か!」
アッシュは身を乗り出してきた。
「やってみるわ。子どもだからダメ、危ないからダメ、だけじゃ腹立つよね。理由を知りたい」
エリーゼは立ち上がると、クラウスの書斎に向かう事にした。
精霊祭までは、もうそんなに時間がない。あちこちに相談したり、許可を取ったりする時間さえないと思えた。
「オッサンの図書室に行くのか?」
領主であるクラウスの書斎は、子どもたちから見れば学校の図書室より大きかった。並んでいる本は全然違うけど。
「うん。急いだ方が、いいよ。精霊祭に気分良く参加したいし」
「俺も行く」
アッシュは自分も立ち上がってエリーゼに並んだ。
「アッシュ、慣例とか調べるの?」
「そういう小難しい事は俺にはわからねえよ。エリーゼに任せる」
彼はまだ、十歳の子どもらしい子どもであった。
「それより、魔法風船の仕組みとか、デザインとか調べたいんだ。当日に、俺が一番スゲエ奴飛ばしたいからな!」
これまた非常にアッシュらしい理由に、エリーゼは緊張していた表情を思わずほころばせた。
「そうだね。今から準備すれば、一番かっこいい魔法風船作れるよ。一緒に、色々、調べよう!」
そういうわけで、急いでいたエリーゼは、クラウスの許可を取ることもうっかり忘れて、アッシュが「図書室」という書斎に二人で連れ立って入っていったのだった。書斎には、天井まである本棚が壁いっぱいに並べられており、分厚いハードカバーの本がその本棚に整然と隙間なく詰めかけられていた。
エリーゼはその書架の背表紙を見比べながら、目的の本を探し始めた。
「かっこいい風船を作れる本は、あるか?」
「わかんないけど……そこの百科事典とか、使えるんじゃないかな?」
エリーゼはアッシュを、本棚まる一個分使っている百科事典の前に連れて行った。索引の書籍だけで二冊もある。
「これ、どうやんだ?」
「こっちの、索引の本を引いて、それから……」
エリーゼは使い方を説明し、自分も索引を上手に使いながら精霊祭を調べることにした。
図書室には頑丈そうなテーブルと椅子も備え付けられており、本を湿らせないように空調も魔法で行き届いている。アッシュとエリーゼは、テーブルに百科事典を持ってきて椅子に座り、それぞれ、必要な事を調べ始めた。
アッシュは、魔法紙を折りたたむデザインの前に、魔法紙が何故、魔素の火が燃え移らないのか、そこから確認し始めた。
(精霊祭で、俺たち子どもギャング団が一番を取る。その方法は、正しくなきゃならない。汚い大人のやるような、ごまかしやへつらいがあっちゃいけないんだ)
そういう気持ちから、魔法紙や魔素や、火の取り扱い全てのページを、エリーゼに教わった検索で調べ始めるアッシュであった。
彼は、派手な事も目立つ事も人を驚かす事も好きだったが、汚い事や正しくない事は大嫌いだった。
エリーゼは、自分が村の母親たちから悪口を言われている事は知らなかったが、アッシュたちが反感を買っているならそれを消さなければと思った。前世で、中学生ながらに炎上の火消しをしていた経験からである。その場合、安全確保と前例がどれだけ強いか知っていた。
エリーゼは、炎上の事を思い出しても、簡単には泣かなくなっていた。
「……精霊祭において、児童年齢の子どもが、火に近付く場合は保護者、もしくは監督責任のある代行者が同席し……」
エリーゼは、元から、読むのに難しいと感じる場所は、ゆっくりと声に出して本を読み上げる癖があった。それは、学校に行かない彼女が、孤独に一人で勉強しているうちに自然とついた癖だった。
「今の、何?」
手前の席で、魔法紙のカラクリを勉強していたアッシュは、顔を上げてそう尋ねた。
「精霊祭の条例文。二百年前ぐらいだけど、今と変わらないみたい」
「へ~、そんなの読みこなせるなんて、凄いな」
「そ、そんなことないけど」
エリーゼはやや頬を赤くした。
「もっかい言ってみて、大事なところだろ」
「精霊祭において、児童年齢の子どもが、火に近付く場合は保護者、もしくは監督責任のある代行者が同席し、必ず、領主の制定する消火系水魔法をただちに使える状態にしていなければならない」
「……」
アッシュは呆気に取られた。
条例文の内容ではない。否、それもあるのだが、エリーゼは、今--。
アッシュの方を向いて、スラスラとそう答えた。
辞典の方は見ていなかった。まっすぐ、アッシュの方を見て、その条例文を口にしたのだ。
「どうかした? アッシュ」
アッシュがきょとんとしているので、エリーゼがそう問いかけた。
「す、すげーなエリーゼ。一瞬にして覚えたたのか、それ」
「……え? 何か変?」
「変? 変ではないけど……辞典の内容、覚えたのか?」
エリーゼは自分が妙に思われる事をしていると思っていない。そのため、アッシュが何を驚いているのか分からず、綺麗なライムグリーンの瞳をぱちくりさせた。
「覚えたけど、いつものことだよ」
エリーゼがそう答えると、アッシュは釈然としないようだったが、本人が平然としているし、自分も忙しかったのでその場は気にしないことにした。それぞれが、自分の仕事に戻った。
「……帝国暦2371年、大雪原において、子どもの魔法習得率は80%を越えるがその多数が農耕に用いられるか、寒冷地帯の暖房の代替として用いられている。熱源を利用した上での風魔法は子どもの体を適度に温めていた可能性が高い。その場合、保護者ではなく……え?」
エリーゼは辞典のページに顔を近付けた。
「熱源を利用して風魔法を使い、子ども自身が自分の体を温めていた。……熱源って何?」
普通に考えれば、火であろう。暖炉のものか、もっと違うものかは分からないが。エリーゼがページをめくろうとした時、アッシュが手を止めて言った。
「今のもう一回言ってくれ。子どもが火を使っていたのか?」
アッシュも、エリーゼの方を見て鋭く言った。
「帝国暦2371年、大雪原において、子どもの魔法習得率は80%を越えるがその多数が農耕に用いられるか、寒冷地帯の暖房の代替として用いられている。熱源を利用した上での風魔法は子どもの体を適度に温めていた可能性が高い。その場合、保護者ではなく熱源を利用して風魔法を使い、子ども自身が自分の体を温めていた」
「……エリーゼ」
アッシュは喉元まで「変」という言葉が出てきたが、慌てて飲み込んだ。
エリーゼは相変わらず、アッシュの方をまっすぐ見てそう言ったのだ。その小難しい長文を、辞典の方を一切見ずに、アッシュの顔を見てそう言った。しかもそれは、何かをごまかした演技ではないことが、アッシュには見て取れた。
「お前それ、普通に出来るのか?」
「え、何が?」
「本の文章、覚えちまっているの?」
「うん。それが、何か変なの?」
「変っていうか……」
変だと言ったら、エリーゼが傷つくだろう。本当だったら、有り体な言葉で大騒ぎするアッシュだったが、何故かこの時は配慮した。
「普通でしょ?」
珍しくためらいを見せるアッシュに、エリーゼはもうその条例集は閉じて、別の百科辞典の「寒冷地帯」の項目を探して立ち上がった。寒冷地帯、もしくは大雪原の暖房の項目を調べていけば、子どもが火と魔法を使った記録が出てくるかもしれない。
「普通って……その帝国暦2371年? のことにエリーゼ元から詳しいのか?」
「帝国暦2371年には詳しくないけれど、さっきの本によると、2371年は五十年戦争の始まった年で、ティリアン王国の皇太子への投石事件が起こったそうよ。それから反皇帝・反教会の反乱が勃発して、帝国内全体に戦乱の火が回ったって書いてあったわ」
「戦乱! そうして、どうなったんだ?」
エリーゼは辞典の背表紙を見ながら淡々と答えた。
「"戦いの表向きの理由はミトラ教会の原理主義者に対する新興勢力ジーグン派の宗教・信仰の主導権争いとなる。だがその裏側は、皇帝ではなく皇后の実家ビンデバルド家に権力を集めたい勢力と、諸侯として自立したい勢力の政治対立であった。そこに周辺の大国(グリフォニア、ティリアン、ヴァンランドなど)が「自分の得」を取りに入って、戦争が拡大した”」
それはエリーゼが独自で考えた事ではなく、本でたった今読んだ事を暗唱したのであることが、アッシュにははっきりと伝わった。
「す……すっげええ!!」
アッシュは驚嘆した。目の前の陰気に見える少女の、特異な能力に。
アッシュの周りに、勉強の出来る男子はいた。ヨナスは村の教会の図書室から本を片っ端から借りて熱心に読み貪っているし、クルトは自分の魅力が頭脳にあることを知っているので、日々勉強で磨きをかけている。だが、エリーゼの今の能力はどちらとも違う事はよくわかっていた。
「すっげえ記憶力! それ、どうやってやるんだ? どうやって覚えた?」
アッシュは椅子から立ち上がって、エリーゼに駆け寄りながら興奮の表情で尋ねた。
「え? 何が?」
エリーゼにしてみれば何が何だか分からない。彼女にとっては、生まれた時からナチュラルに出来る事なので、誰でもそうなのだろうと思っていた。不登校で、貴族学院のクラスメイトの顔もよく覚えていないので、余計にそうだった。
本って、誰でも、一冊ごと丸暗記出来るものなんじゃないの?




