残った記憶を忘れぬように
君の名前を呼ばなくなってから、
もうどれくらいの季節が通りすぎたのか思い出せない。
春の花が咲いていたこと。
夏が焦げつくようだったこと。
秋の風が寂しさを連れてきたこと。
冬の雪が胸の奥まで染みたこと。
そのすべてをどこかに置き忘れてきた気がする。
最初からちゃんと覚えていなかったみたいに。
僕はただいつかの記憶を慰めたかっただけなんだ。
あのとき、言えなかったことを、
今さらになって、
胸の奥で何度も反芻している。
君にじゃない。
あの日の君に。
僕の目をまっすぐ見て、
何も言わずに頷いた、
あの夏の終わりの君に。
声は届かなかった。
もう、届かない。
それでも意味がなかったとは思っていない。
伝えようとしたことが無意味になるのは、
伝えないことを選んだときだけだって、
今でもどこかで信じてる。
だから僕は、
何も書かずに、
ただ口を開いてしまう。
夜道を歩いているとき。
風の音に紛れて。
誰もいない部屋で。
「また、会いたいな」
気づいたときには、もう声に出ていた。
相手がいるわけでもないのに。
返事が返ってくるはずもないのに。
それでも言葉にしないよりはましだった。
あの河原の風景は今でも夢に出てくる。
君が空を見上げて、
「雲の形が誰かに似てる気がする」
なんて呟いた、あの午後。
夕日が君の横顔を金色に染めて、
僕は一瞬だけ、
世界が静かになったような気がして、
何も言えなかった。
あのとき、君は笑ってくれたね。
その笑い方をもう思い出せないことがある。
それが、何より怖い。
誰かを想うってたぶん、こういうことなんだろう。
今はもう届かない相手に、
届かないと分かっている言葉を、
それでも、
つい口に出してしまう。
君が好きだった歌は今でもときどき耳に入る。
コンビニの店内。
車の中。
街角のスピーカー。
そんな偶然に僕の心はまだ揺れてしまう。
そんなはずじゃなかったのに。
もう、終わったはずなのに。
それでも、
何かの拍子に呼吸が浅くなって、
胸の奥が、少しだけ痛む。
ねえ、君。
僕は君を、
ちゃんと愛せてたのかな。
今でもときどきわからなくなる。
優しくすることと、
我慢することを、
取り違えていたのかもしれない。
それでも、
あの時間が嘘じゃなかったって、
胸を張って言える日が来ると信じたい。
君がいない世界は、思っていたよりも静かだった。
朝起きて、
カーテンを開けて、
味気ないパンを食べて、
また一日が始まる。
日々は続く。
僕が望んでも、望まなくても。
それはきっと、生きているってことなんだろう。
生きている以上、
君の記憶も、
どこかでずっと、僕と一緒にいる。
そう信じたい。
そうじゃなきゃ、苦しすぎる。
今日も僕は、
誰にも向けていない言葉を、
小さく零してしまう。
忘れてしまわないように。
忘れてしまっても、
君に出会えたことだけは、
確かだったと信じられるように。




