うつくしきもの(桜のシロップ)
本編完結後……さらに後日談の結婚式より数日後の話になります。
「さて、行こうか」
リドルフィが悪戯っぽい顔で手を差し出す。いかにもエスコートします、ってジェスチャーに私は苦笑する。その手を取らずに、代わりに持っていた籠をはいと差し出した。中に大したものは入っていないので自分で持つつもりでいたけれど持ってくれるなら渡してしまおう。
彼はそんな私を見て、まずは籠を受け取り逆の腕にかけ、もう一度手を差し出す……かと思ったら、問答無用で私の手を掴んだ。そのまま歩き出す。なんでだろう、負けた気分になるんだけども。
「まだ冷えるねぇ」
扉を開き外に出れば、頭上には無数の星が煌めていていた。もう春だといってもまだ時折雪が降る。
「そうだな。寒いか?」
「大丈夫」
言いつつ、ふるりと体が震えた。暖かかった家の中から出てきたからね。その様子を見て彼は私の手を自分の肘にかけさせる。頭一つ分ちょっと高い彼の顔を見上げれば、この方が暖かいだろうと微笑まれた。結局思惑通りエスコートされる形で歩くことになってしまったけど、確かにこの方が暖かい。
二人で暗い道をゆっくりと歩いていく。村の勝手口になっている裏の門を抜けて畑や牧草地、果樹園のある方へと向かう。今日は月が大きく出ているおかげで魔法で灯りを出さなくても結構明るい。よく知った道なら灯りなしでも大丈夫そうだ。
しばらく無言で春の夜の風を楽しみながら歩いて行けば、向かう先に白いものが見え始めた。
「あぁ、今年もよく咲いてるな」
「えぇ。とても綺麗」
その近くまで来れば、二人揃って見上げる。
月明かりの下、白く見える花が大きく広げた枝いっぱいに咲いていた。
香りはそれほど強くないが、その木全体を覆う満開の桜の花は見事でとても見ごたえがある。昼間ならごく薄く紅を混ぜたような花弁は、柔らかな月明かりの下ではほぼ白に見える。それもまたどこか幻想的で美しさを際立たせている。
あぁ綺麗だ。なんて美しいんだろうと見上げていれば、横でふっと笑う気配があった。
「……何?」
「いや、初めて見に来た頃を思い出してな」
言いながらリドルフィは持ってきた籠から敷布を出して花をめでるのにちょうど良さげな場所に広げる。よく旅先で野宿する時に使うようなあまり大きくはない敷布だ。その上に彼はあぐらをかいて座ると、ぽんぽんと自分の膝を叩いた。気づかない振りをして隣に座ろうとすれば腰を下ろすところで横からひょいと引っ張られてしまい、私のおしりが着地したのは彼の膝の上だった。
「何を思い出したの?」
私を膝に座らせた壮年マッチョはいそいそと籠からブランケットを出し私の膝にかける。私はもぞもぞと彼の上から退こうとするが、さりげなくがっちりと捕まえられてしまっていて抜け出せそうになかった。諦めてそこで力を抜く。もういいやと彼を座椅子扱いして背を預ければ後ろから腕が回ってきた。
「あの頃、お前、一生懸命口調直してただろ。あれは可愛かったなぁと」
「……そんなのは忘れてちょうだいっ!」
「いや、思い出して楽しむぐらいいいだろ。子どもたちには話さないし」
唐突に出された私の暗黒史に思わず振り返る。彼はどうした?と余裕そうな顔でこちらを見て、ついでのように私の頬に口づけを一つ落とした。
「……っ」
「まさかそんなところまでこだわると思ってなかったからな。鏡の前で練習してたり、いざやってみようとして微妙に恥ずかしがってたり、噛んだり、あれは可愛かった」
「それ以上続けると当分エール出してやらないよ!」
「はは、悪い悪い」
笑いながら謝るのにやめようとしない男の腕をぺちぺち叩くが、どうもそれすらも嬉しいみたいで全く効果がない。背後から抱きしめたまま彼は片手を上げると私の頭を子どもにするみたいにゆっくりゆっくり撫でる。
リドルフィが言っているのは、村が出来たばかりの頃の話だ。
私が神樹をこの身に受け入れて半年もの眠りから覚めた後。リドルフィから村を作る、お前には食堂を任せる、と言われて私は大変困惑した。なにせ聖女としてしか生きてこなかったからね。養成校では料理も少しは習ったがそれもほんの少しだ。困った私は料理の本を読み漁りつつ、自分がなる食堂の店主のイメージを固めることにした。
その時に思い浮かべたのが養成校の寄宿舎で育ち盛りの聖騎士見習いたちの食事を一手に引き受けてくれていた食堂の中年女性だったのだ。口は悪いけど愛情たっぷりのごはんをいつも用意してくれて、生意気盛りの少年たちにも一歩も負けない。女子は私一人だからと特別にかわいがってくれ、時々一緒にお菓子を作らせてくれたりもした。懐が深くてあったかい女性だった。
「……やるならしっかりやらないとと思ったんだもの、しかたないじゃない」
「まぁ、グレンダの場合はそうなるよな」
時折風が吹いてはらはらと花弁が舞う。桜の花は脆くて儚い。花の見ごろはほんの僅かの間だけだ。その僅かの間を逃さず、毎年二人で少しずつ大きく立派になっていくこの木を眺めながら、過ぎた年月を想う。……でもまあ、今年も二人で行くと誘われると思っていなかったのだけどね。子どもたちもいるし、何気にリドルフィは学校設立関係のことでかなり忙しい。一人で見にくるのも何だから今年からは昼間の桜だけかなと思っていたら、ごく当たり前のように行こうと誘われた。
「今ではすっかり馴染んだな、食堂のおばちゃん役も」
「気が付いたらもう二十年もやってたからね」
当初は気を抜くとすぐに元の口調に戻ってしまうし、演じようとしてる自分が恥ずかしくなったりと中々苦戦したが、今では食堂の店主役もすっかり板についた。リリスには自分で食堂のおばちゃんだなんて名乗ってたぐらいだしね。
「聖女やってるお前も好きだが、おばちゃんやってるお前も生き生きしてて好きだ。我ながらいい仕事を振ったなって思ってる」
「……あなたの、その臆面もなく口に出すところは何年経っても変わらないのね」
照れる様子もなく言う壮年マッチョの胸を、私はぐいーっと背中を反らすようにして押す。……嫌がらせのつもりでやったのにびくともしない。少しむなしい。
「言わなきゃ伝わらないだろ、俺の嫁さんは特にそういうところ鈍いし」
「……っ」
こっちが言葉に詰まってるのすら楽しんでる壮年マッチョの腕を、私はもう一度ぺちぺち叩くのだった。
◆◇◆◇◆◇◆
数日後。
厨房で私は瓶に詰めておいた物をボウルに出す。花見をしてた時は感じなかった桜の香りがふわっと漂った。入っていたのはふんわり優しい色合いの桜の花の塩漬けだ。数日前に花を摘み作っておいたものだ。それを水の中で優しく揺すって塩を落とす。ボウルの中の水がほんのり色づいた。
「っと、新しい瓶……」
厨房から繋がっている貯蔵庫の方へと行き、塩漬けが入っていたのと同じ瓶を三つほど持ってくる。その瓶を水と一緒に鍋に入れて火にかける。
その隣でもう一つ違う鍋に水を入れ、こちらはお砂糖を入れて温めながら溶かしていく。ヘラでゆっくりかき混ぜるごとに溶けていく砂糖が全く見えなくなったところで、先ほどの桜の花を鍋に入れた。また静かに静かにヘラで混ぜていく。あまり強く混ぜたり早く混ぜたりすると花が崩れてしまうから、そーっとそーっとだ。一混ぜごとに美味しくなーれ、と祈りも込めてみる。
そうしているうちに一つ目の鍋の中で瓶が踊り、ゴトゴトと賑やかになり始める。そのまま五十数えて私は鍋を火から下ろしトングで瓶を出した。綺麗な布巾の上に逆さにして水分を飛ばす。
桜の花の方の鍋もそろそろいいだろう。火から下ろせば、またほんのりと桜の香りを感じた。
「これも後でエマに教えるかねぇ」
まだホカホカと熱い瓶にこれまたまだ冷めていない桜のシロップを静かに注いでいく。透明な瓶に入っていく液体はごく淡いピンク色だ。とても繊細で優しい春の色。
私は瓶の蓋を一つずつしめて、布巾で周りを軽く拭く。どうしても瓶に入れる時に少し垂れてしまったりするからね。
「綺麗」
ジャム瓶と同じでこういうシロップの瓶も光に透かして見たくなるのは何故なんだろうね。一つ持ち上げて窓の方へと掲げるようにしてその色を楽しむ。作った者の特権だね。
その日の晩、ミルクで作った白いプリンの上に作った桜のシロップをかけたものをデザートに出したら大変好評だった。エマはきらきらした目で私を見てくれたし、リチェは三つも食べた。
さらに翌日、それを聞いたリンに自分も食べたかった!と大いに主張され、私はもう一度同じものを作ることになったのだった。次からはリンも居る時に作るかね。二度手間は大変だし……なんて思っていたのだけど。
春の香りの桜シロップを使ったデザートをあと四種類考えろって言うのは、ちょっと横暴じゃないかね、リンよ。
数年後。
モーゲンに増えたカフェでは期間限定の桜のデザートが大変人気が出て、それを食べにわざわざ王都からくるスイーツ好きが村を賑わせた。
桜の時期ですね。お花見をした時にまた降りて来たので文にしてみました。
★ 桜のシロップ ★
材料:
塩漬けの桜、砂糖、水
作り方:
1.塩漬けの桜を軽く洗い、塩を落とす。
2.花を一つずつに分ける。花びらだけにしても綺麗!
3.鍋に湯を沸かし砂糖をしっかり溶かす。
4.3に2の花を入れてそーっとかき混ぜながら数分だけ煮る。
5.煮沸消毒した瓶に詰めて、出来上がり!
冷蔵庫に入れておけば1年ちかく楽しめます♪
出来上がったシロップは炭酸水で割ったり、ミルクプリンの上にかけてどうぞ♪
ゼリーにしてもとても綺麗なのでおススメです。