名前の理由
「あー、やっちまったか」
俺は己の左足を見やる。
さっき受けた石つぶてのせいで、ズキズキと脈打って痛んでいる。
戦闘中は無視して動いていたが、終わって緊張が解けたのか痛みが主張し始めていた。
「イーブン、大丈夫か?」
「あぁ、折れちゃいない。ただ、腫れているな」
それもこの後盛大に腫れそうな気配を漂わせて、だ。
ばかでかい剣を背の鞘にしまいながら近づいてきたリドルフィの旦那に言う。
すぐには出発しなさそうな様子に、俺は辺りを見渡して近くにあった岩に腰を下ろした。歩けているし、骨をやった時特有の周りに響く感じもしない。血がにじんでくる様子もないので、おそらくは単なる打撲だ。ただ、軽く見て油断すると碌なことにはならないことを、俺たちは身をもって知っている。
傷めた方の足を軽く上げ、ブーツのベルトを緩め、ズボンの裾を引っ張り出す。引っ掛かりを無視して、なんとか幹部までまくり上げた。膝の下が早速変色してきている。ぼこりと盛り上がり、その中央が固く凝っている。
「あーー……」
見たら痛みが増した気がする。認識したら患部がズキンズキンと更に主張し始めた。
「帰ってグレンダに直してもらえ。自分で馬に乗れるか?」
「馬の背に上がる時だけ手伝ってくれると助かる」
「分かった」
めくり上げたズボンの裾を戻し、ブーツに押し込んでベルトを締める。今日に限って膝当てを付けてこなかったのが失敗だった。あれがあったなら、ここまでダメージを貰わなかったはずだ。
ちょっと待ってろ、と言って、リドの旦那は放していた馬を呼び戻しにいった。
俺は、空を仰いで、深々と息を吐き出す。
見上げた空は、いつか見たのと同じような青さだった。
◆◇◆◇◆
あの頃の俺は、薄汚れ痩せこけたガキだった。
毎日つまんねぇことにイライラしながら、つまんねぇ仕事を受ける。その金で、もっと汚れて痩せたチビガキたちに飯を食わせてやることだけが、俺のちっぽけなプライドを守っていた。
戦乱期。人の社会が崩壊した時代。誰もが生きていくのに必死だった時代。
辛うじて魔物の襲撃を免れたフォーストンの街は、今以上に混沌としていた。放っておいても人は死ぬのに、ストレスに負けた者が己より弱い者を手にかける。保護者のいない子どもが生きるのにはこの上なく劣悪な環境だった。
俺は、孤児だった。いや、本当に孤児になっていたのかすらも分からない。ただ、状況的にそうなのだろうと判断するしかなかった。
母の記憶はないから、おそらくかなり早いうちに死別したのだろう。でも、父親のことは覚えている。俺の父親は騎士でも上の方の立場で、実直な性格から人々に慕われていた。近所の助けを借りながら俺を育て、将来騎士にもなれるようにと鍛えた。強くて頼れる父は俺にとって憧れの存在で、目に見える形の目標だった。「仲間を守れる男になれ」そんな父の言葉は俺の中に深く刻まれていた。
父がいなくなったのは、戦乱期も半ば。あちこちから逃げこんできた人たちで街が溢れ、人々が我慢し続ける日々に耐え切れなくなり、街のいたるところで軋轢が生じていた頃。勇者がこの混沌を晴らすために旅立ったなんて噂は幾度となく流れ、人々は期待し、だけど瞬く間に消えていった。勇者を名乗る者がこの街に来た時もあった。そんな中、父は一人の勇者と名乗る男に乞われ、剣士としてともに旅立っていった。既に十代半ばになっていた俺は、俺の存在を理由に断ろうとしていた父の背を押し、送り出した。
後は推して知るべし、だ。一人残った俺の世話をしてくれていた隣人とは、より一層食糧難になった頃、俺の方から離れた。迷惑はかけたくなかった。自分なら何とかできると自惚れていてもいた。しかし現実は甘くはなかった。それなりに戦えるようなところまで育っていたとは言え、まだガキだった俺はすぐに道端での生活へと落ちた。着のみ着のままに父から貰った剣だけが俺の資産。辛うじてまだ機能していた冒険者ギルドから仕事を貰い、街の外に出て魔物を狩る。時には怪しげなチンピラどもの使いをすることもあった。生きるためなら何でもやった。かなりをちょろまかされた駄賃を握りしめ、なんとか飯を買い、俺と同じように道端で身を寄せ合って生きるチビガキたちに食わせてやった。どんなに飯を食わせようとしても、その生活に耐え切れず死んでいったヤツもたくさんいた。それでも俺には飯を運ぶ以外、何も出来なかった。
転機は、そんな生活を何年続けたか分からなくなった頃。
あぁ、これは死ぬなと思った。魔物に食いつかれた足は大きく抉れ、今も脈打って血を吐き出していた。なんとかとどめを刺した狼型の魔物がすぐそばに転がっている。そして、俺自身も転がっている。患部は痛みで熱くすら感じるのに、体の芯が冷えていく。絶望とはこんな形をしているのか。何に祈ればいいのかすらわからぬまま、ただ、願った。父に会いたい、と。
「おいっ!! 起きろ!!」
掛けられた声に、俺は薄眼を開けた。瞼は重く、体はひどく怠かった。まだ目を開けられたのが自分でも信じられなかった。視界に入ったのは必死な顔の男。少し、父に似ているような、そうでもないような。
「……生きているっ!!」
「はいっ」
男は顔を上げ、誰かを呼ぶ。その怒鳴り声に視界の外で誰かが返事をした。走ってくる気配。
「待ってろ、今、治してやる。だから、絶対寝るな! 目を開けていろ!!」
抱き上げられているらしい。感覚が消えかけた肌に触れた温もりが、己がまだ生きていることを教えてくれた。
やがてやってきたもう一人の誰かが俺の足に触れる。途端に、体が跳ねた。痛みを認識すらできなくなっていたのに、俺の体はまだ生きたいと言っていた。暴れそうになる俺を、男が押さえつける。
「……痛かったね。頑張ったね。もう大丈夫、治すわ。大丈夫よ……!」
誰かは泣いているようだった。静かに聞こえた歌声は、まるでこの世のものとは思えぬほど綺麗で、俺の目からは、痛み以外の涙が流れ落ちた。
傷を治してくれた女司祭と、彼女の騎士は俺の話を聞き、街に残してきたチビガキどものことも保護してくれた。代わりに俺は少しでも彼らの役に立とうと、彼らが詳しくないこの街のことを教えたり、手伝いをするようになった。
「――。俺たちと来るか?」
男からそう言われた時は心底嬉しかった。だが、首を縦には振れなかった。今の俺ではまだ、彼らと対等にはなれない。助けてもらうばかりで、何も返せていない。こんな状態でついていっても惨めなだけだ。
「ん-、それじゃイーブンじゃないしさ。俺が貰ってばかりだ」
誘いは断った。この街から父のように乞われ旅立つことにひどく憧れていたのに、俺のちっぽけなプライドが許さなかった。
そんな折、やっと俺は恩返しをする機会を得る。
騎士が離れた隙を狙って、女司祭を攫おうとした輩が出たのだ。そうと知らず、俺は彼らの手引きをしてしまった。何度も共に戦い、仲間だと思っていた連中に騙されたのだ。
女司祭が連れていかれる時、連中の様子のおかしさに気が付いた。俺は必死に追いすがり、ボコボコにされながら抵抗した。その甲斐あって騎士が間に合ったのだ。
俺の傷を治しながら、女司祭グレンダは、またあの時のように泣いていた。ガタイのいい彼女の騎士リドルフィは、乱暴に俺の頭を撫でながら、「助かった。お前がいてよかった」と言ってくれた。
そうして、もう一度俺に聞いた。
「――。俺たちについて来てくれ」
前の「来るか?」とは違う。慈悲ではなく、自分を欲しいという言葉。保護対象としてではなく、信頼できる、対等な仲間としての誘い。誇らしくて、涙が出た。俺は、泣きながら笑って頷いた。
「やっと、イーブンになったからな」
◆◇◆◇◆
「うわっ。派手にやったね!?」
食堂の椅子に座った俺の足を見て、グレンダが露骨に顔をしかめた。馬に揺られたことで肌の内部の出血が下がっていったらしい。現地で見た時よりも腫れた患部の周りから、垂れるように脛の下の方へと赤紫に内出血が広がっていた。
「まったくもうっ。だから私もついて行くって言ったのに……」
ぶつぶつ言ってから、グレンダはあの時と同じように呪文を唱える。あれは歌ではなく古い言葉を使った呪文なのだと教えてくれたのも彼女だ。グレンダの手が淡く光り、俺の足をゆっくりと癒していく。
やがて痛みの完全に消えた足を見下ろし、腫れも引いたのを確認してから、俺は礼を言う。
「ありがとう、助かった」
「はいはい。……リドが無茶言った時は止めてちょうだい。あの人、本当にめちゃくちゃなんだから」
「俺が言っても止まらんだろ」
顔を上げれば、聞こえないふりをしている当人が視界に入った。俺は笑う。
あの日、俺は元々の名前を捨てた。それ以来、ずっと彼らといる。離れている時もあるが、俺の仲間はこの先の生涯変わらず、ずっと彼ら、だ。
「ちょっと、イーブン、何笑っているの!」
聖女グレンダと聖騎士リドルフィ。彼らと対等な仲間であること。それが、今の俺の誇りだ。
スケートに行ってこけて膝に銀河ができた実体験は、見事ここで有効活用されました(笑)
別の部分をやったことにしようか迷ったのですが、同じ腫れ方になるか自信がなかったので、同じ場所に。
イーブン、ごめんよ(汗)
リドが怪我するのは想像がつかなかったのよ。




