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受け継ぐもの:十冊目のノートと小さな鍵(食堂の店主) 


「グレンダさん、見て、見て!」


 そんな声と共に、エマが笑顔で私を呼んだ。

控えめな性格の彼女にしては珍しい。

厨房から出て、カウンターで何かやっているエマのところへ行けば、見て、とノートを差し出された。

開いてあるページは今日作っていた、鮭とジャガイモのシチューのレシピが丁寧に書き込まれている。

材料や手順の他、描き始めた頃に比べ随分と上達した料理の絵も載っていた。


「あぁ、よく描けているね。絵も上手だ。美味しそうに見える」

「あ、うん、それもなのだけど……」


 見て、と、エマが持っているノートを一ページめくってみせる。

次のページは……ノートの厚い表紙。書き込めないところだ。


「また一冊終わったんだね!」


 私が言えば、エマは嬉しそうに頷く。


「なんとね、これ、十冊目なの! グレンダさん、たくさん教えてくれてありがとう!」

「もう、そんなになったのかい…… エマが頑張ったからだよ」


 椅子に座ったまま見上げているエマの頭をつい撫でようとして、手を止める。

彼女ももう十八だ。いつまでも子ども扱いしては良くない。

中途半端な位置で止まった私の手に、エマは一度目を丸くして、それからくしゃりと破顔する。


「頑張ったから、撫でて、グレンダさん」


 そんな風に言われたら、私も笑ってしまう。栗毛色の髪を子どもだった頃のように撫でれば、エマは気持ちよさそうに目を細めた。


「しかし、すごいねぇ。書いてあるどの料理も作れるようになったものね」

「背は伸びなかったけれどね」

「上の棚も届いてるから問題ないよ」


 成長期にあまり食べられなかったエマは、娘盛りになった今も私より背が低く小柄なままだ。

それでも厨房の私に合わせて作られた棚などには手が届いている。

貯蔵庫の上の方は届かないが、それは私も同じだ。台を使えばいいし、なんなら背の高い誰かに頼んでもいい。


「これもダグラスさんに一度渡して、本にして貰う約束だよ。先に渡してあるのと合わせて、モーゲンの家庭料理三巻目に使ってもらえるはず」

「……なんだか、それもちょっと不思議な感じだねぇ」


 ダグラスとエマが商業ギルドに掛け合い、モーゲンの特産品と一緒に最初のレシピ集を売り出したのも、もう数年前の話だ。商談はダグラスが付き添ったそうだが、印刷屋との細かなやりとりはエマ自身がやっていた。先に出版された一巻目と二巻目は表紙にはモーゲンの風景が描かれ、中にはエマが描いた料理の絵などと共にレシピが印刷されている。一巻目二巻目共に試し刷りで出来た一冊目は、エマからプレゼントされたので大事に本棚に収めてある。


「そう、十冊目かぁ……」


 しみじみと私が呟けば、エマは、うん、と誇らしげに頷いた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「それでね、そろそろ頃合いかななんて思うのだけど、リド、どう思う?」


 夜も更けた寝室で、寝るために髪を緩くまとめながら訊く。

同じベッドで眠るのが当たり前になって、もう数年。布団に入る前のこの時間は、日々のちょっとした報告だったり、相談だったりなどをする大事な時間になっていた。

あの頃に比べて白髪の率はさらに増えたけれど、相変わらずの壮年マッチョが、そうだな、と相槌を打つ。


「確かに十八で……は早そうに思えはするが、エマはしっかりしているしな。しかも既に六年も見習いとしてやってきている。……いいんじゃないか? やり始めた当初はあれこれ戸惑うだろうが、どうせしばらくはお前もついているつもりだろう?」

「うん。……さすがに、まかせた、あとお願い、で、そのあとは知らんぷりなんてしないよ」

「なら大丈夫だろう。いつやるんだ?」

「どうせなら……」


 私が言った言葉に、リドルフィはあぁ、もうそんな時期かと苦笑する。

本当に、気が付けば随分と日が過ぎていた。

あの頃思い描いた、穏やかな日々。代わり映えがしないといえばその通りだけど、愛おしく、どこまでも続いていて欲しい日常は、確かにあの時願い、そしてようやく本当にこの手に掴んだものだった。

この日常がこの先も続いていくよう、ゆっくりと次へと渡していくのだ。

なんて幸せな事なのだろう。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 モーゲンにはいくつかの祭りがある。

春の芽吹きの祭り、夏の星送り、秋の収穫祭、そして冬の聖夜と新年の祝い。

その中でも特に盛大に行われるのは秋の収穫祭だ。

村でその年に採れたたくさんの恵みに感謝し、そして来年の豊作を願うとともに、この村ではもう一つ。

皆がここに揃って生きていることを喜び合うのだ。

 五年前のあの日、村は大きな試練を乗り越えた。

はじめは私だけで乗り越えるつもりだった試練を、この村の人たちはごく当たり前のように全員で立ち向かい、そうして誰一人欠けることなく『明日』へと繋いだのだ。

これからやることも、『明日』へ繋ぐことなのだから、これ以上に相応しい日はないだろう。


「さて、みんな、グラスは行き渡ったね!」


 二代目村長のジョイスが、広場の真ん中で皆を見渡す。

いつもの明るい声に、村人たちや収穫祭に遊びに来た客たちも「持った!」「早く飲ませろー!」などと

ノリ良く応えている。


「今日は乾杯の前に一つ、大きなお知らせもあるよ。……おばちゃん!」


 予め知らせておいたジョイスが、にかっと、私に笑う。

はいはい、と私も笑顔で頷き、「さぁ、エマ」と隣にいた娘に声をかけた。

声を掛けられた方のエマはというと、きょとんとした顔でこちらを見ている。

私はそんな彼女を伴って、ジョイスの隣へと歩いていく。


「乾杯前にすまないね、せっかくだから今日が良いと思ったんだ」


 ジョイスが持っていたグラスを預かってくれた。

私はポケットから小さなものを一つ取り出す。

まだ状況が分からず落ち着かない様子のエマと向き合えば、こっちを見て、と小声でエマに言った。

村のお揃いの祭衣装をまとったエマも、今はすっかり娘盛りだ。

着ている衣装も、成長に合わせてあれから一度新しいものへと作り直した。本当に大きくなった。


「エマ、たくさん頑張ったね。私からあなたへのご褒美、だよ」


 向き合ったエマの手を取り、その上にポケットから出した物を乗せる。

それは、小さな鍵。

村の広場の前、三角屋根の建物……食堂の、鍵。


「今日、この時から食堂の店主は二代目のエマになるよ。……初めは不慣れで戸惑う時もあるかもしれない、それでもエマはきっと頑張ってくれる。この村の食堂をもっともっと素敵なところにしてくれる。皆、どうか見守ってやっておくれ!」

「……グ、グレンダさんっ!?」


 びっくりして私の名前を呼ぶエマの声が、皆の歓声でかき消されている。

くしゃっと笑うような顔。その目からぽろぽろと涙が零れている。


「昔、何が欲しい?って聞いた時、リチェもエマもおさがりがいい、なんて言っていたでしょう? 私からエマにあげられる一番はやっぱりこれかな、って。……大事に使ってきたからね、使い心地は太鼓判を押すよ」

「グレンダさん……っ 私で大丈夫?」

「うん、エマなら大丈夫。エマに継ぎたいんだよ。当分は私も一緒にやるからね」


 鍵を握りしめて本格的に泣き始めたエマの肩を抱いて顔を上げれば、ジョイスがグラスを返してくれた。それを受け取って掲げる。ジョイスがぱちっと器用にウインクした。


「それじゃ、今年の恵みに感謝し、そしてこの先のモーゲンの発展を祈って……!」


 ジョイスがグラスを掲げる。

広場に集まった皆がそれに習った。


「乾杯っ!!」


 たくさんの声が重なった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 モーゲンの村にある食堂の店主は、まだ若い女の子だ。

小柄な体ではきはきと小気味よく動き、たくさんの注文も笑顔でこなしていく。

晴れた休日には食堂前にもテーブルを出し、王都から遊びに来た客に村の果物を使ったスイーツなども出している。

評判は上々。先代からの味をしっかり引き継ぎつつ、新しいメニューも増えた。


 そんな彼女に、一番のおすすめメニューは何かと聞くと、かならず同じ答えが返ってくる。

『根菜とカボチャと肉団子をどっさり入れたクリームシチュー』

この食堂を継ぐと決めた日、初めてノートに書いたレシピ。

王都でも売られているモーゲン村のレシピ集、一番最初のページに掲載された料理は、何年経ってもこの食堂の定番メニューとして皆に愛された。




「受け継ぐもの」は、前作「食堂の聖女」と次作「探求者」を繋ぐお話です。

新連載の前夜祭みたいな気持ちで書きました。


一話目の今回はエマのお話です。

前作の途中から食堂の見習いをはじめ、そこから約五年、学校や商業ギルドの講習会で学びながら、しっかりとグレンダの料理も受け継ぎました。

(エマは秋生まれなので前作の途中で十二歳になっていました。なので、このお話では十八歳。)

このお話以降、グレンダは少しずつエマに食堂を任せ、村に出来た聖騎士の養成校で講師をしつつも休養に入っていきます。

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