彼女が微笑む時
「……本当にそれで大丈夫なの?」
「えぇ、私がそうしたいんです」
そう微笑むと少女の形をした精霊は、にこりと微笑んだ。
創造主に似て元々美しい造形をしていたが、その性質ゆえにずっと無表情だった彼女は、力を得たことでお喋りをし表情を作るようになった。
今は、ちょっと悪戯めいたチャーミングな笑みを浮かべている。
「では、送ってしまいますね」
精霊は、私が渡した錫杖の輪の一つに筒状にした手紙を通すと、ふぅと息を吹きかける。
すると手紙は白い鳥へと変化した。足には小さくなった銀色の輪が嵌っている。
精霊は鳥を指に止まらせた状態で窓へと歩み寄ると、その指を窓の外へと差し伸べる。
シルバーに似た優美は仕草で鳥を空へと放つ様子は、まるで計算尽くされて描かれた一枚の絵画のようだった。
思わず見とれてしまった私に、ミリエルは振り返り今度は養い子に似た笑顔で言う。
「これでグレンダとずっと一緒!」
キラキラと輝くような無邪気さに、私はほんのちょっと不安になる。
もしかして、私はとんでもない存在を生み出してしまったのではないだろうか。
いや、断じて私だけの所為ではないはずだ。きっとリドルフィとシルバーが何とかする、はず……。
私はミリエルに微笑みつつ、早々にその思考を放棄した。
◆◇◆◇◆
神樹を切り倒してから二年後の春。
難しい顔をしたセドリックが村にやってきた。
元々微笑んでいても目が笑っていないような時が多いし、そういう笑みすら浮かべていない時はしかめっ面が多い男だ。
聖騎士の養成校を作るにあたって去年は何度か村にやってきていたが、忙しかったからか今年はこれが一回目。とても不本意そうな顔に、訪ねてこられたこちらまで似たような顔になる。
そんなセドリックと対照的に、一緒にやってきたロドヴィックはなんだか楽しそうだ。うきうきとした表情でセドリックと並んでいる。しかも弟子入りしたクリスまで連れて来ていて……あぁ、クリスの方もなんだか楽しそうだね。
「聖女グレンダ、お茶を頂きたい」
「……騎士団長たちがくるまで、ちょっとの時間待たせてください」
上級司祭と王宮魔導師に言われれば、私は困惑する。
ここに騎士団長ランドルフや、他に誰かが来るのか。この組み合わせはなんだか見覚えがある。
「あ、私、用意しますね!」
「運ぶの手伝うよ」
微妙に困った顔のままのわかったと頷けば、横からエマが顔を出し、ささっとお茶の用意をし始めた。
クリスが勝手知ったる様子で手伝いにこちらへとくる。
そうなってしまうと私はこの微妙に面倒くさそうな客人たちの相手をするより他なく……。しかたない、と彼らがついたテーブルへ向かおうとすれば、私の肩にミリエルがぴょんと飛び移ってきた。
珍しい。こういう時はエマの手伝いをしようと厨房に残るのに。
肩に座った小さな精霊は、そわそわと落ち着きのない様子をしている。その常ならぬ様子に私は更に困惑していた。
◆◇◆◇◆
その日の昼、少し前。
予想した通りの人々が集まっていた。
騎士団長ランドルフ、冒険者ギルドマスターウォルター、上級司祭のセドリック、王宮魔導師長代理で副長ロドヴィック、それに聖騎士リドルフィ、私。
リドルフィに湖に行くと言われて、あぁ、やっぱり、と私は思う。だって、二つ目の聖杯を湖に沈める時に集まったメンバーそのままだったから。
少し前に正式にモーゲンの村長を継いだジョイスと、クリスも合わせて八人。ぞろぞろと湖へと歩いていく。
ミリエルはずっと私の肩に乗った状態で、なぜかセドリックをすごく気にしている。ずっと落ち着きがない。こういう時会話できないのはやはり不便だ。何か言いたげなのだがさっぱり分からない。
やがて、湖の畔までつけばロドヴィックが一言二言話し、クリスが頷いて詠唱を始めた。どうやら今回は聖杯のある祭壇までの道をクリスが作ってくれるらしい。確か彼の守護は水ではなかったはずだから、ロドヴィックの下で随分頑張ったのだろう。
クリスが湖の水を退けて道を作り、また皆でぞろぞろ歩く。
湖の真ん中まで来れば、今度はロドヴィックが呪文を唱えた。以前彼がここに施した封印の魔法はまだクリスは未修得らしい。キーン、と金属音に近い音が響いて、祭壇に施されていた封印が解けた。私は小さく息を吐く。
ちなみに聖杯の持ち主である私と、私が祝福を与えているリドルフィには封印されたままでも聖杯に触れることができたのだけども。
「……別に解かなくてもよかったんじゃないの?」
「そうもいきません。大事な儀式ですから」
私の言葉に即座に言ったのはセドリックだ。
彼は私にもう一つの封印を解かせると、持っていた鞄から大きめの瓶を出す。
「!!」
その瓶を見たミリエルが私の肩の上で立ち上がった。ぴょんと飛んで目にもとまらぬ速さで走って行く。セドリックの前にいくと、くるりと回り手のひらサイズから12歳ぐらいの少女の大きさに変化した。
「……なっ!?」
「ミリっ!」
驚いて仰け反るセドリックに、ミリエルは手を伸ばし彼が持っていた瓶を取ろうとする。私は慌ててその名を呼んだ。ミリエルが振り返る。いつも通り表情はないのだけど、目が何かを訴えている。
「セドリック司祭、瓶を借りてもいいか?」
その様子を見守っていたリドルフィが口を開いた。いつの間にか私の横からセドリックの隣に移動している。セドリックは渋面をつくったものの、何か言いかけてからやめ、従った。
彼が手に持っていた大きな魔封じの瓶をリドルフィに渡すと、ミリエルは瓶の移動に合わせてリドルフィの方を向く。
今回は、神殿に残っていた浄化済みの『欠片』を本物の聖杯に収めるために集まったのだ。
魔封じの瓶に入っているのは、過去に回収された複数の『欠片』。
大神殿にあるレプリカの聖杯に納められていたものをセドリックが持参してきたものだった。
「ミリエル、これが欲しいのか?」
リドルフィの問いに、精霊がこくりと頷く。
そうか、と相槌を打ち、リドルフィは私を見、それから他の面々の顔を見渡してから、最後にミリエルに視線を戻した。
「グレンダ」
「……え、はいっ」
来い、と呼ばれて慌てて私は彼の横に行く。すると、リドルフィは瓶の蓋を開け私に差し出した。
「一つとって、ミリエルにやれ」
「な、そんな勝手なこと……っ!」
「責任は俺が持つ」
難色を示すセドリックに言い切り、私にやれ、と、もう一度促す。
私は彼とセドリックを一度見比べてから、瓶に手を伸ばす。浄化済みなので防御の魔法は要らない。口の大きな瓶から『欠片』を一つ摘まみ出す。ミリエルは相変わらずの無表情のまま私を見た。
「ミリ」
呼べば、精霊は手を差し出すのではなく、あーん、と口を開けた。
その様子に彼女が作られた時のシルバーの様子を思い出す。彼も私からとった神樹の葉を食べていた。
恐る恐るミリエルの口に『欠片』を差し出せば、精霊はまるで飴か何かを差し出されたように私の手から『欠片』を食べた。
私は精霊の綺麗に整った口が閉じ、喉がこくりと動く様子を見守る。
いや、私だけではなくこの場にいる皆が見守っていた。
……飲み込めば、精霊は、もっと!という風にまた口を開ける。
私は困ってリドルフィを見上げる。
「セドリック、要は『欠片』をより安全に保管できれば問題ないな?」
「え、えぇ、そうですが……」
「なら、結果が同じであれば真の聖杯に納めるでも、精霊に食わせるでも問題ないだろ」
「……」
セドリックが悩みこんだ間に、リドルフィは他の面々に視線をやる。ランドルフは苦笑していて、ウォルターとロドヴィックは面白そうな顔をしている。クリスはただ見守っている様子だ。
「……師匠、ミリエルに食わせて本当に大丈夫なん?」
「少なくとも『欠片』が汚染されることはないだろうな。ミリエルにはグレンダの背にあった神樹の葉が既に取り込まれている。ある意味聖杯と同じだ」
ジョイスが皆の懸念を代表するかのようにして訊いた。それに対しリドルフィは一度ミリエルをじっと見てから、うむ、と、頷く。なんだろう、気のせいじゃなかったら私にも見えていない何かが彼には見えているような気がする。……あの時あげた祝福のせい?
「……ミリ、あなた食べて本当に大丈夫なの?」
私が心配になって訊けば、精霊はこくりと頷いた。心なしか微笑んでいるように見える。
そうして、もっとちょうだい、ともう一度口を開けてみせた。私はもう一度リドルフィの方を見る。彼がしっかりと頷いてみせたので、瓶から『欠片』をもう一つ摘まみ出すと、ミリエルの口に運ぶ。
精霊は心なしか嬉しそうな気配を漂わせながら、金平糖か何かのようにこりこりと『欠片』を食べた。その様子に思わず「美味しい?」と問えば、リチェがするみたいに精霊は勢いよくこくこくと頷いた。
困惑したまま、残りの『欠片』も一つずつ渡せば精霊は美味しそうにそれを食べていく。
良いのだろうかと戸惑いながら、瓶にあったものを全て与えてしまえば、精霊は満足したように微笑んだ。
……そう、微笑んだのだ。
「ありがとう。ご馳走様でした」
鈴を鳴らすような可憐な声。聞き覚えはないのに、なぜか馴染みがあるような声に私はまじまじと精霊を見つめた。
「……ミリエル?」
「えぇ。これでやっとグレンダとお話ができる。うれしい」
少し恥じらうように笑う、その整った顔を数秒見つめてから、思わず叫んだ私は悪くないと思う。
何かを察していたらしいリドルフィはその様子に、うむと満足げに頷き、魔導師とその弟子は興味深げに精霊を見つめ、冒険者ギルドのマスターは面白そうに笑っている。
モーゲンの二代目村長はこの場合役所にどう届ければいいのかと悩み始め、騎士団長は困惑した顔をしている。……そして、上級司祭セドリックは口をパクパクさせたまま腰を抜かしてその場に座り込んだ。
◆◇◆◇◆
例によって例のごとく、村の人たちは唐突に表情豊かに笑いお喋りをするようになったミリエルに、早々に馴染んだ。蒼き風が村に出入りするようになった時も思ったのだけど、この柔軟性はどうなんだろうね。そのうち花が歌い、木々が踊り出しても受け入れてしまいそうな気がする。
リチェとエマは大層喜んで、暇さえあればミリエルとお喋りをしている。精霊は落ち着いた様子でそんな二人に優しい表情を向け、律儀に返事をしていた。
なんだか二人姉妹が三人姉妹になったような感じだ。もちろんミリエルが一番上だ。
「娘が増えたな」
「……」
なぜか得意げに笑うリドルフィの脛を、私は無言で蹴飛ばした。
冒頭の手紙の送り先はシルバーです。
グレンダはシルバーから適当なところでミリエルを返すようにと言われていたのですが、ミリエルは全く帰る気がなく。返せない代わりに、と、グレンダは錫杖の輪を一つシルバーに贈ります。
元々十二個ついていた輪は、神樹の時にイーブンに既に一つ渡しているので、これで十個に。
ミリエルが進化する様子に、ちょっとポケモンみたいと思ったのは内緒です。(苦笑)




