☆星屑
エトワール・カノープス=アルゴは惚れやすい。しかも平民に。
彼の幼馴染であるピアネータ・ネプチューン=トリトンは頭を抱えた。
カノープスは貴族だ。格下だったとしても貴族同士ならいいが、平民と結婚するなどあり得ない。「ピアネータもエトワールは結婚してはいけない」なんて謎のルールを、ピアネータ・プルトーネとエトワール・アルガリータが破って十数年経った。つまり、ネプチューンだってカノープスの恋愛対象のはずなのに、何故カノープスは平民にばかり惚れるんだ。
それは、エトワール・アルゴの現当主の叫びだった。
ネプチューンは「私に言われてもな」と思い、「あれ? 今お前の魅力は平民以下だって言われた?」と憤った。
ネプチューンだって、カノープスにふり向いてもらいたいと思ったことは星の数ほどある。それでもカノープスは、平民の女の子にばかり恋をする。
前に一度、何故家族に反対されると分かっていながら恋をするのか聞いてみたことがある。すると彼は「あの素朴なところがいい」と力説した。なるほど。
ネプチューンは、腐っても貴族令嬢。ドレスは着るし(着ないと母に睨まれるから)、化粧はするし(しないと母にその顔で外に出るなと叱られるから)、丁寧な言葉を使う(使わないと両親と乳母がキレるから)。
要するに、貴族として完成しているほど良くないらしい。
けれど、それは差し引いてもいまいち平民に惹かれる理由が分からない。ネプチューンは、彼が平民に感じている魅力を体験してみてはどうかと思い立ち、買収できる侍女を使って平民の服を用意し、買い物と称してその侍女と下町に降りてみた。
「けっこう楽しい!」
「お嬢様の適応力、素晴らしいです」
棒読みの侍女は置いておき、ネプチューンはそこらの店で鶏肉の串焼きとパンとカットフルーツを買った。銅貨の使い方はさっき知った。
そういえば「素朴」が好きと聞いたが、素朴って外見の話だろうか。それとも内面? 侍女は「お嬢様の内面は素朴なので、おそらく外見でしょう」と言った。脳みそが単純で悪かったな。
それはともかく、楽な服を着て楽な言葉遣いでいられるのは、確かにいい。自分を飾らなくてもいいことが、こんなに楽だなんて。これではカノープスのことは言えない。
「ん?」
侍女の後ろから、そこそこの勢いでこちらに向かって男性が歩いてくる。こんなところに知り合いか、と思ったが、帽子で顔が隠れてよく見えない。そう思った瞬間、男は侍女にぶつかった。
「どこ見てんだ!」
「そっ……!」
それはこっちのセリフだ! ネプチューンはそう言おうと思った。
「それはこっちのセリフですこのゴミ虫。あと財布は返しなさいゴミ野郎」
先ほどと同じく棒読みで、侍女が言った。待って何言ってるのこの子。よくもまあそんな無表情で暴言吐いたな。ネプチューンは呆れた。
仕える主人の心境を知ってか知らずか、侍女は足を構え容赦なく振り上げる。彼女が履いているのは、比較的歩きやすいがそれでもやっぱり底が高めの靴。そんな靴の底(主にかかと方面)が、男の弱点にめり込む。
「――――っああああああ!!!!」
「ちょっと流石に傷害罪!」
「大丈夫ですお嬢様、峰打ちです」
人がざわつき出した時、ネプチューンは侍女の手を取ってその場から逃げ出す。これは人選ミスだ。この侍女どうなってる?
この侍女を本当に自分の侍女にしておいていいのか、不安になった。
ちなみに財布はさりげなく回収した。
肩で息をするネプチューンと涼しい顔の侍女は、少し離れた通りまで逃げることに成功した。
「あれだけ騒ぎを起こすなって私に言っておいて……」
「不可抗力です、正当防衛です」
確かにぶつかってきたし、財布は盗られたし、腹が立ったけど、あの蹴り上げに何の躊躇いもないなんてヤバすぎる、と思ったが助かったのは事実なので良しとするか。そもそもこちらに絡んできたのが間違いだった。そう、ぶつかって財布を盗むなんて犯罪だ。お忍びだが相手は貴族だった、女性のキック一発で済ませるのは足りないかもしれない。なんなら侯爵だ、ピアネータだ。あれくらいまだ優しい方な気がしてきた。うんうん、むしろあんな男の種を潰せたならいいことをした分類かもしれない。
ネプチューンの思考は常識的ではなかった。
「確かに、そうかもしれない……」
「いやいやおかしいだろ」
突然、第三者の声がネプチューンたちの間を通る。誰だと声のした方向を見ると、キャスケットをかぶった少年がこちらを見ていた。
「誰?」
「通りすがり者です、お嬢様」
「え、なんで私をお嬢様って呼ぶの?」
「金的事件の時に呼ばれてたから」
侍女は右手を軽く握って額にコツンと当てた。「テヘッ」とでも言いたげな仕草だが、表情は皆無だ。
「お嬢様」なら商人にもいるからいいかと妥協し、少年へと向き直る。
「あんまりお嬢様っぽくない見た目と口調だけどな」
「それで、何の用?」
少年は「別に用はないけど。ただ、あまりにも躊躇いなく股間を蹴りつける人がいたから、気になっただけ」と言った。
ネプチューンを「お嬢様」と呼びつつお嬢様へのものとは思えないこの態度。非常に新鮮だ。
カノープスはこれを気に入っているに違いない。何故ならネプチューンも、理由は不明だがこの態度を悪くは思わない。この少年があまりに自然だからかもしれない……そう、これが素朴というものか。
「少年」
「そんなに年齢変わんないだろ」
「君を今から私の友だちにする。今度遊ぼう」
「は?」
少年は「テル」と名乗った。ネプチューンは流石に本名だとピアネータとバレるので、ファミリーネームの「トリトン」から「トリー」と名乗ることにした。
ネプチューンは一方的に「5日後に、今の時間にここに集合ね!」と言って去ったが、テルは律儀な性格なのか本当に来てくれた。
まさか来てくれると思ってなかった、と言うとテルは「そっちが言い逃げしたんだろ」と不機嫌そうだった。侍女は「悪ぶってるけど実は真面目タイプですね」と呟いた。
「で、何して遊ぶ?」
「そもそも何するつもりで集まったんだよ」
「いや元々は素朴がなんたるか探りに来たんだけどね」
ネプチューンは、どうせばれないからいいやと簡単に経緯を話す。自分が片思いしている人が「素朴」な人がタイプだと言っていたので、素朴な人を探しに来たのだと。
「で、俺に出会ったと」
「そう」
「トリーってお嬢様にしては随分素朴だと思うけど」
「そう?」
「そうだろ――ってかなんで道端で喋ってんだよ、移動しろよ」
ネプチューンたちは出会った道の真ん中で喋っていた。ネプチューンの知識では道端で「井戸端会議」をするものだとなっているので、間違っていなかったはずだ。
テルは「それ主婦層の話な」と言って二人を適当な広場に案内した。ベンチに座れる広場だ。今はお昼なので家で食事をしているらしいが、夕方近くになると子どもたちがここで戯れるらしい。
街中で買ったデブリキャンディをかじりつつ、二人はベンチに腰掛けた。侍女は「私がお嬢様と同じ椅子に座るわけにはいきませんので」と今更ながら侍女らしさアピールで、ネプチューンの背後に控えている。
「このキャンディおいしいね」
「だろ? あんまり知られてないけど、俺のイチオシなんだ」
テルは、甘いものが好きなんだろうか。他にどんなものがあるかと聞くと、ダークマターチョコレート、ビッグバンガム、タキオングミ、クェーサーアイス、メテオジュースなどがあるらしい。
全てテルのお気に入りらしく、よく買いに行くとのこと。気になるので今度連れて行ってほしいと伝えると、意外にも快く了承してくれた。好きなものだからかもしれない。
普段はどんなことをして遊んでいるのか尋ねると、子どもたちに付き合って木登りに行ったり、浮気現場遭遇ごっこの監督をしたり、虫を捕まえたりしているらしい。
「木登りならできそう」
「いやダメだろ」
「じゃあ、ダブル不倫現場遭遇ごっことかする?」
「なんで?」
その日から、ネプチューンはテルと遊び始めた。
遊ぶと言っても、テルが好きなお菓子を買い食いすることが主なスケジュールだった。家でもお菓子は食べるが、それとは全然違う。町でテルと食べるお菓子の方が、ネプチューンは好きだ。繊細さのないお菓子たちがこんなにおいしいなんて。
何を食べるかも大切だが、いつ誰と食べるかも重要だとテルは言った。彼も買い食いが好きらしい。
「ねえテル。ダークマターチョコレートのせいで手が真っ黒になったんだけど」
「なんで紙から全部出したんだよ。そりゃ付くだろ」
「チョコ触っただけで、炭に触ったぐらい真っ黒になることある?」
「ねえテル。あの子たちは何して遊んでるの?」
「あれは『正妻と愛人に詰め寄られる夫ごっこ』だな、これから佳境に入る」
「最終的にどうなるの?」
「全員死ぬ」
「ねえテル。この刺繍どう思う?」
「俺、ごみ袋の刺繍って初めて見た」
「うさぎ」
「この持つ部分、耳か」
「ねえテル。これ発見したんだけど食べる?」
「『宇宙塵クレープ』? おもしろそうだな……まっず!」
「自分の分買わなくて良かった~」
「これ俺の分かよ、なんでだよ」
「お嬢様、本来の目的をお忘れですよね」
侍女に言われて気が付いた。テルと遊ぶのが楽しくてすっかりカノープスのことを忘れている。
ただ、今のネプチューンは「カノープスに振り向いてほしいと」思わなくなっていた。初恋のはずだったんだけど、おかしいな。思い返すと、なんで自分がカノープスのことを好きだったのか分からない。
ピアネータとエトワールの結婚が当たり前の時代だから、もしかしたら将来カノープスと結婚するかもしれないわね、と母に言われたことがある。それがきっかけで好きになったわけではないはずだが、嫌だとも思わなかった気がする。
けれど今はどちらかというと、テルと楽しく遊ぶことの方が好きだ。
そう侍女に打ち明けると、彼女の口角が珍しく上がった。
素朴っていいものね、とネプチューンは父に言った。ネプチューンの父は突然どうしたのかと問う。
「平民の友だちを作ったんだけど、その子といると私も自然でいられるから」
よく考えれば、幼い頃から両親に躾けられ、カノープスに対してネプチューンは「貴族令嬢」として振る舞っていた。母の前でも、怒られるという理由で多少良い子にしていた。でも、仲のいい侍女や何も言ってこない父の前では素で過ごしていた。
「テルの前でもずっと素でいられるから、楽」
「ネプチューンは、ずっと素で過ごしていきたいのか?」
「できれば。お堅いのは好きじゃない」
「そのテルという男といれば、素で生きいけると?」
「いればっていうか、遊んでたらっていうか」
ピアネータオブトリトンは自慢のあごひげを撫で、事も無げに言った。
「ならば結婚するか」
ネプチューンは停止した。いくらネプチューンだって、貴族が平民と結婚するなんて、家的にも世間的にもよろしくないことは知っている。それなのに父は何を言っているんだろう。母が聞いたら怒り狂いそうだ。
父の言葉が処理できないネプチューンに、父は追い打ちをかける。
「流石に私もかわいい娘が平民と結婚することに、大手を振って頷かん」
つまり、つまり。
「……どういうこと?」
「なんのためにお前に侍女をつけていると思っているんだ」
ハッとして振り返ると、侍女が右手を軽く握って額にコツンと当てた。今度は舌まで出しているが、やっぱり表情は皆無だ。
あのおんなスパイかああああああ! ってことは私の行動筒抜けかああああ!!
ネプチューンは心の中で叫ぶ。
「え、でもなんで結婚……?」
「いくらピアネータとエトワールの結婚が認められた世の中とは言え、結婚する必要もあるまい。エトワール・アルゴにはそう言っておこう」
「んん?」
数日後、シュテルネ伯爵家長男の釣書が届いてネプチューンは悲鳴をあげ、母に怒られる羽目となった。
【人物】
◇ネプチューン=トリトン
ピアネータ。勉強ができるバカ。
◇カノープス=アルゴ
エトワール。ネプチューンのことは妹くらいにしか思っていない。先天的なドSを探している。
◇カミエータ・シュテルネ
テルの本名。本編に出せなかった。ごめんね。甘党。