また別の依頼
ウェアウルフの後ろに立ったアルベルトに目配せをする。
アルベルトはナイフをしまい、より破壊力の高い爪を両手に装備した。
よし、準備をはできていそうだ。
「間違ってるかどうかは、法に決めてもらうんだな!」
「は、力比べか。ウェアウルフに勝てると思うなよ!」
ウェアウルフに組み付いて、爪を爪で止める。
人間形態でも『竜人化』を使えば魔物を止めるくらい、どうってことない。
「『腐食魔法・風化沼』」
「なに、沼だと! 力比べに魔法なんて卑怯だと思わないのか!」
何とでも言え、こっちは社会的な信用が掛かってるんだ。
俺達の足元を沼化させて、お互いを沈めた。
マリーの戦法を見て学んだが、足止めは対人戦にはかなり有効のようだ。
鎧や鱗を破壊するための魔法だが、自分を対象外にする事なんて簡単なので心配は要らない。
「……ハハハ、だがこれでは俺様の牙からは逃れられないなあ! 死んだら、お前の血で酒を造ってやるよォ!」
ウェアウルフが牙を剥いて俺を喰おうとしてくる。
こいつ、これが1対1の戦いじゃないって忘れてないか?
「私には洒落たセリフなんて吐けませんが……ヒトゥリ様、ありがとうございます。くたばれ、獣め」
「ハアッ! 分かってんだよ! お前が俺様の首を狙ってる事なんてよォ!」
ウェアウルフの首が180度回転し、後ろに向かって炎を吐く。
その炎はウェアウルフの背後に迫っていた人影を、机や棚などの調度品ごと焼き尽すほど強烈だった。
この世界のウェアウルフってこんな化け物染みてるのか……。
「ハハハハ、くたばった、くたばった。これで後はこいつを喰うだけだ」
ぐるん、と顔を戻したウェアウルフがもう1度俺を見て嗤う。
本来なら絶対絶命だろうが、今の俺には恐怖や焦りは全くない。
なぜなら。
「何か勘違いしてませんか?」
「え、上? ……ッギャアアアアアア! 目が、俺様の目が!」
アルベルトはまだ生きているからだ。
両手に爪を装備したアルベルトが天井から降り、そしてそのままウェアウルフの目を綺麗に突き刺し、頭に着地する。
見事な軽業だ。
「なぜ、お前は今焼き尽くしたはずじゃ……」
「よく見るんだな、と言ってもその目じゃ無理か。お前が焼いたのはアルベルトじゃない。アルベルトの投げた死体だ」
燃える死体が音を立てた。
ウェアウルフが吠えたのは、悔しかったからだろうか。
「さて、これで終わりだな。アルベルト、降りていいぞ」
「何を言ってるんですか? 魔族は殺さなければ。それに、この魔族も死ぬまで大人しくする気はないようですよ」
「なに……?」
俺はてっきりこいつを捕らえて、警備隊に突き出すのだと思っていた。
わざわざ殺す事もないし、俺の目から見ればもう戦いは決したからだ。
だがアルベルトはそうは思っていなかった。
「こ、殺すのか。ウ……グアアアアアアア!」
ひと際大きな咆哮が、轟いた。
明かりを灯していたランプが揺れ、火が消える。
作り出した沼から、ウェアウルフが飛び出す気配がした。
1つ、2つ、3つ。
硬い何かが打ち合う音が聞こえ、しばらくして再び明かりが灯された。
「ヒトゥリ様。終わりましたよ」
唯一明かりの灯されたランプの下には、血に濡れたウェアウルフの上に立つアルベルトの姿があった。
「それ、死んでいるのか……?」
「はい、死んでいます」
アルベルトは淡々と返した。
この世界に来てから死を目にするのは初めてではない。
樹海で生きていた頃は毎食のように獣を殺していたし、街に来てからも何度か人が死ぬのを目にする機会があった。
だから、死には耐性があるはずだった。
それでもウェアウルフの死が俺に深く突き刺さっているのは、おそらく彼が俺と似ていたからだろう。
理由は違えど、元居た群れに馴染めず離れて、自分の本性を隠して人の中で生きていた。
スラムのチンピラといえど、そいつらを束ねるボスに成れたのだから、相応の努力はしていたのだろう。
それがたった1度ミスをして、人に化けた魔物――魔族である事がバレたら殺される。
俺はどこか心の中で、人と魔物は変わらない物だと思っていた。
俺の眷属と、王都で出会った人間達。どちらも同じ社会の中で生きる生物で、混じり合う事もあるのだろうと。
でも、それは間違っているのかもしれない。
会話のできる彼は獣人から迫害され、そして今人間に殺された。
少なくとも人間から見た魔物は、害虫と変わらないのかもしれない。
「……様。ヒトゥリ様? どうしました?」
「あ、いや。何でもないんだ。光のせいで目が眩んだのかもしれない。俺は少し休むよ」
「そうですか。それでは私は残りの魔道具を探しに行きます。ごゆっくり」
アルベルトはそう言って、ランプを1つ手に取り明かりを灯して持って行った。
俺は深く息をつき、壁にもたれかかった。
「ずいぶん疲れてるみたいだね。あんなのは、騎士団長と打ち合える君の敵でもないだろうに」
背後の暗闇から近づく声に驚き、振り返る。
そうだ、こいつがいるのを忘れていた。
「シャルロ。やっぱりお前だったのか」
「そう、私だよ。何だ、気付いているのなら出て来れば良かったよ。これじゃあ以前、彼に邪魔された時とは真逆だね」
以前、と聞いてすぐにそれが、プラムの誘拐事件の悪党の本拠地襲撃時の話だと分かった。
シャルロもソリティア達から話を聞いていたのか。
まあ聞いていなければ、例の幹部を捕まえられないだろうから当然か。
シャルロは影から身を乗り出すと、俺の正面まで来てウェアウルフの死体を一瞥した。
「やっぱり魔族だったか。獲物を横取りされた感じもするけど、仕事が1つ減ったと考えておこうか」
「横取りというと、お前はこいつを狙っていたんだな」
「ああ、そうだよ。捕まえたチンピラの1人が、『俺達のボスは魔族かもしれないんだ。この情報で助けてくれねえか?』って報告してね。結構前から調べていたんだけどさ、例の幹部を逮捕するのに、かかりきりで対処が遅れたんだよ」
ため息をつくシャルロの顔は、少しやつれて見えた。
例の幹部を逮捕するのに、随分と苦労したようだ。
「仕事熱心な事だ。前に休んだのは俺と街を歩いた時……は誘拐事件があったか。それより前か?」
俺の質問にシャルロは顎に手を当てて考えた。
嘘だろ、最後に休んだ日の回答にそんな悩まないといけないのか?
「最後に休みを取った日か……1年前の事だったかな。暴徒鎮圧をしていたら、パニックになった市民に後ろから刺されてね。それで1日程、休んだのが最後だったかな」
「それから1日も休んでないのか? ずっと仕事なのか?」
「うん。君みたいなのを監視する任務を合わせたらね。……さて、ここは直属の部下に任せて私は次の現場に行くよ。君達もあまり長居しない方が良いよ。私みたいに話の分かる奴は少ないから」
そうか、シャルロは警備隊と秘密警察の2つ分の仕事があるのか。
と言うか休めたのが、刺されて怪我をした1日だけって、前世の俺も真っ青の超ブラックじゃないか。
こんな仕事があるなんて……。
やっぱり魔物より人間の方が恐ろしいのかもしれない。
戻ってきたアルベルトと共に地上に出ながら、俺は人間社会に溶け込んでいて、いいのか真剣に悩んでいた。
「ヒトゥリ様、という訳で悪用されていた魔道具は全て回収が終わりました。今後はこのような事が無いように、我々も卸し先を厳格に検討する事とします。つきましては……あの、聞いていますか?」
「え、ああ、聞いてなかった。すまん」
お、何だかアルベルトの表情が俺を小馬鹿にしていたような気がする。
意識を半分くらい傾けて聞いていたが、業務用の長ったらしい語句を繋げていただけだろう。
そして今の俺には、次の展開が読める気がする。
「なんだか、お前の言いたい事が分かる気がするんだ。まだ頼みたい事があるんじゃないのか?」
「おや、よく分かりましたね。その通りです。連邦国へ向かう馬車の護衛を頼みたいのですが……本当になぜ分かったんですか?」
待て、本当になんで分かったんだろうか。
昔から勘が悪い方で、ギャンブルとかは苦手だったんだが。
『飛躍推理』の暴発か?
……まさかな。
「まあ、勘だよ。連邦にはちょうど用事がある。そっちで入れるように手配してくれるのなら、好都合だ。受けるよ」
「感謝します。それでは詳細は後程、正式な契約書と共にギルドにお知らせします。本日はありがとうございました。これは少ないかもしれませんが、お礼と謝罪の気持ちです。どうぞ受け取ってください」
アルベルトが小さな袋を渡してくる。
受け取って中を見てみると金貨が幾らか入っている。
ありがたいが、王国の貨幣が連邦でも使えるだろうか。
まあ使えなければ、向こうで稼げばいいだろう。
幸い俺もマリーも、手に職を持っている。
アルベルトは俺に袋を渡すともう1度、腰を曲げて礼をして立ち去った。
もう日も暮れようとしている。
これで今日も終わりか……。
あれ、なんだかまた休暇が仕事で消えたような。
頭に浮かんだ社畜という言葉を振り払って、俺は宿への帰路に着いた。