また危機一髪です
やっぱりセネカとヒミカは強いんです
私はセネカたちと一緒に大きなため息をついた。セネカたちのお母さんも見つからなくてこれからどうすればいいのだろう。私はリュートに抱き上げられて飛んでいる時に恥ずかしくて間が持たないので、セネカたちのお母さんの事を話した。するとリュートが、トーランド国の端に、獣人の自治区があるらしいと教えてくれた。
もちろんトーランド国王はよく思っていないらしい。もしかするとそこにセネカたちのお母さんがいるのではないかという事だ。その事をセネカたちに話すと、その自治区に行ってみたいと言う。だけど私たちはもうヘトヘトだった。セネカもヒミカも眠そうだし、私にいたっては二日ろくに寝ていない。とりあえず一度セネカたちの家に帰ろうという事になった。セネカとヒミカは、自宅への帰り道、急に立ち止まった。後ろを歩いていた私がどうしたのと聞くと、厳しい顔のセネカが言った。
「人間の匂いだ、昨日の嫌な奴らだ」
私はハッとした。昨日セネカたちを捕まえて売ろうとした、マクサたち人さらい。奴らはセネカたちのお母さんを売って、セネカたちも、そして私までも捕まえて売ろうとしたのだ。私は考え直してセネカに言う。
「でも昨日奴らがそこにいたから匂いが残っているんじゃない?」
私の問いにセネカは強く首を振る。
「いや、新しい匂いだ。そしてここら辺がすごく匂う」
セネカの言葉に私は、あれ?っと思った。それってセネカたちを捕まえる罠なんじゃ、私がセネカたちに声をかけようとすると、突然セネカとヒミカがいた地面が動いた。次の瞬間、セネカとヒミカが縄の網に囚われてしまった。私は慌てて二人に駆けよろうとしたら、背中を強い力で押された。私は前につんのめって倒れた。なおも私が起き上がろうとすると、背中に何かがのしかかった。動けない姿勢で私は何とか後ろを振り向くと、そこには膝で私の動きを封じているマクサがいた。
「よぉ黒真珠。バカだなぁ、もう一度捕まりに戻ってくるなんて」
マクサは待っていたのだ、私たちが戻ってくるのを。セネカとヒミカが口々に私を呼ぶ。私はセネカたちを安心させようと、声をかけようとするがマクサの膝が私の背中を圧迫するので、大きく息を吸う事ができず、ハァッハァツと浅くしか呼吸ができない。セネカとヒミカはまるで巾着袋のように吊るしあげられていた。木の陰からはマクサの子分、太っちょと、痩せっぽちがニヤニヤしながら現れた。マクサは私の頭ごしに言う。
「黒真珠、お前の涙は怪我を治す力があるようだな」
マクサはどうやら私がセネカを治す所を見ていたようだ。マクサは話を続ける。
「あの獣人のガキ共は売りさばくが、お前は売らねぇ。手足を切って逃げられないようにして、毎日ムチをくれてやる。その涙を売れば大儲けだ」
私はぞおっと背筋が寒くなった。マクサという男はなんておぞましい人間なのだろう。金儲けのらためならば、人を傷つける事を何とも思わないのだ。マクサは私の髪の毛を引っ張って、私の顔をのぞき込む。
「まず手始めにこれを治せ」
マクサは私に右手の傷口を見せた。昨日セネカが噛みついた傷あとだ。適当に包帯を巻いただけらしく、赤く血がにじんでいる。マクサは私の頭を掴むと勢いよく地面に打ち付けた。鼻がツンと痛み、目に星が飛んだ。マクサは私の顔に傷ついた右手を近づける。私の頬から流れ落ちた涙が、マクサの右手に落ちた。だけどセネカの時のように、光り輝いて傷口が治る事はなかった。私は涙の性質がわかった気がした。マクサが怒る。
「おい!何で治らねぇんだよ!」
「治るわけないでしょ!怪我が治るのは私が治したいと思った相手だけよ!アンタの怪我なんか治したくない!!」
私は怒ったマクサにまた地面に顔を打ち付けられた。セネカが叫ぶ。
「止めろ!もみじを傷つけるな!」
セネカの剣幕にマクサはあざけるように答える。
「おっと、動くんじゃねぇよ獣人。お前らがちょっとでも動いてみろ、この女はなぁ、こうだ」
そう言うと、マクサは私の左手に触った。ボキッ。枝の折れるような音と共に私の手に激痛が走る。私は思わず叫び声をあげていた。
「きゃああ!!」
「もみじ!!」
「止めろぉ!!」
私の悲鳴にヒミカとセネカが叫ぶ。なんて事だろう、セネカとヒミカは獣人で、この憎ったらしいマクサたちよりはるかに強いのに、私がいるせいで戦えない。私がこの場を何とかしないと皆捕まってしまう。私は痛む指を無視して、肘を立てて力任せにマクサに押さえ込まれている上半身を起こす。そして大きく息を吸い、叫んだ。
「セネカ!ヒミカ!戦いなさい!!あなたたちは誇り高い獣人でしょ!!」
私の大声にセネカたちはビクリとする。セネカとヒミカは私が傷つくのを心配している。私はもう一度大きく息を吸うと叫んだ。
「私はこんな傷何ともない!戦いなさい!」
私の叫びに呼応するようにセネカとヒミカの咆哮がとどろいた。セネカとヒミカは瞬時に狼になり、縄の網を食い破り。下にいた太っちょと痩せっぽちののど笛に噛みついた。マクサの子分たちが倒れると、セネカとヒミカは猛然と私たちの所に走ってきた。セネカはマクサののど笛に食らいつき、ヒミカは人型をとると、私を抱き上げその場から走り去った。ヒミカは草むらに入ると、私に向き直り、両手で私の耳を塞いだ。
「もみじ、耳を塞いで」
ヒミカは哀願するように言うと、私の頭を自分の胸に抱き込んだ。私は訳がわからなかったが、その後ヒミカの行動の意味が分かった。マクサの叫び声が響きわたったのだ。ヒミカの手では抑えきれなかった叫びが私の耳に届く。マクサはセネカに悪態や暴言を吐いていたが、その声は次第に弱くなっていった。ガサリと草を分ける音がしてセネカがやって来た。セネカは全裸で口元は血で汚れていた。私はヒミカを連れてセネカに駆け寄る。
「セネカ、怪我は?」
私の言葉にセネカはうつむいて首を振る。私はホッと息をついた。私は安心してセネカとヒミカを抱きしめた。だけど二人は身体を硬くしたまま、動かなかった。私はハッとした。セネカとヒミカは、自分たちが人間を傷つけて、私が二人を怖がると思っているようだ。私はセネカたちのいじましさに涙が出そうになった。私やセネカたちを売ったり傷つけたりする事に何のちゅうちょも無いマクサたち人間と、私の事を心から心配してくれる獣人のセネカとヒミカ。どちらが心があるかなんて分かりきった事だ。私は二人が怯えないように、ゆっくりと声をかけた。
「セネカ、ヒミカ、私を助けてくれてありがとう。二人とも大好きよ」
セネカとヒミカがピクリと動く。セネカがおずおずと聞く。
「もみじ、俺たちの事怖くない?」
「何で二人の事が怖いの?怖いマクサたちから私を助けてくれたじゃない」
私の言葉に二人はホッと息を吐いた。どうやら安心したようだ。私はタオルを取り出すと二人の口元を拭いた。血で汚れていたからだ。するとヒミカがタオルの端を持って、私の顔を拭ってくれる。私が何で?という顔をするとヒミカが言った。
「もみじも鼻血すごい出てるよ」
どうやら私は、マクサに何度も顔を地面に叩きつけられたせいで鼻血を出していたようだ。私は笑って言った。
「皆おそろい」
セネカとヒミカはやっと笑った。草むらのむこうから、マクサたちの唸り声がする。どうやらマクサたちはまだ生きているようだ。私はどうしようかと考えた。私の涙ではマクサたちを治せない、このままだとマクサたちは多分。私の視線にセネカが気づいたようだ。セネカは私を見つめる、真剣な瞳だ。
「もみじ、俺たちは奴らと戦って勝った。傷ついた者は森の生き物の糧となる。これは森の掟だ」
私は黙ってうなずいた。人間には人間の住む世界の掟があり、森には森に住む者たちの世界の掟がある。マクサたちはおごって、間違いをおかしたのだ。私はセネカとヒミカに触れて、二人に服を着せた。私の折れた小指は不思議と治っていた。セネカが言う。
「もみじ、先を急ごう」
「うん、セネカもヒミカも疲れてない?」
私の言葉に二人は首を振る。私はうなずく。セネカは私を抱き上げると猛然と走り出した。ヒミカもついてくる。目指すはセネカたちのお母さんがいるかもしれない獣人の自治区だ。
どのくらい走ったのだろうか、何度も山を越え、森を抜けた。抱いて走ってもらっている私ですら疲れているのだ。セネカとヒミカだってきっとヘトヘトなはずだ。しばらくすると陽当たりのいい平原に出た。私はたまらずセネカにストップをかける。セネカはキキッと急停止した。どうしたの?と私の顔をのぞき込む。そして私が限界なのが分かったのだろう。ゆっくりと私を地面に下ろす。私はその場にへたり込んでしまった。セネカとヒミカが心配そうに私を見ている。私は高らかに宣言した。
「一旦休憩!」
私はレジャーシートとパラソルを出し、セネカとヒミカを座らせる。そしてスポーツドリンクを取り出し二人に飲ませた。それから軽食にと、クッキーやチョコレートを取り出し食べさせる。それから私は大きなタオルケットを出すと、自分とセネカたちにかけてやる、お昼寝の時間だ。心地よい風と日の暖かさが緊張しっぱなしだった私の神経を優しくなだめてくれる。私は穏やかな眠りについた。