レグエルグ神殿 2
……来る!
この殺気であれば騎士の直感でなくともわかる。敵だ!
石床を硬質の蹄が掻き進んで雷のような爆音を上げながら、二つの赤に縁取られた明滅の光がこちらを刺すように睨んでいる。
「ダガッ!!」
耳を裂くような高周波を纏う一筋の光が、赤目の何かに向かって直進する。タークの右手から発せられたそれは中位の気象魔法ダガであり、暗く澱んだ神殿を一瞬激しく照らし、標的と神殿の正体を明らかにする。
ーー……!!。やはり馬だ!しかしコイツの気配は王国のエンデュランスの一等馬以上だ!ーー
並の人間より頭一つ抜けたタークの体躯と比較しても巨大な黒色の魔馬。並のサラブレッドの二倍はあろうかという体高と、強いしなりの効いた馬体を持つ。しかも黒を通り越してラピスラズリのような光沢を孕んでいる。そこに矢の如く疾るダガの閃光が着弾よりわずかながら早く掻き消された!
ーー魔法障壁持ちとは小賢しい!!ーー
先程までのややのんびりとした、冒険じみた野営の余韻はもうすでにない。そこにあるのは殺意の轟音がもたらすひりつきだけ。手段を選ぶ時間すらなく、タークの眼前に迫る狂気が、魔獣狩りや領地の哨戒でだらけ切ったタークの瞬発力を引き出した!
ギャリイイイイイイイイイイイイイッ!!!!!!!
間一髪であった。先程までタークが立っていた野営地は、一瞬で魔馬の衝撃と障壁によって吹き飛ばされる。舞い上がった砂塵とテントが人と獣の間に幕を引く。
ーーエボルスッ!!ーー
タークが念じると、はためくビオイデスから黒い閃光が右手に射出される。剣だ。それも恐ろしく禍々しさを体現する魔剣。抜き身の刀身には夥しい数の悪魔の角のような棘が切先に向かって咲いている。『兇棘の剣』数多の者どもを蜂の巣にしてきた、タークの後ろ暗い精神を投影した、長剣に擬態した邪物だ。
ゔぃーん。と鈍い低周波振動音が剣身から発せられ、神殿の柱に反響する。高く上段に構えられたエボルスの鳴き声が、テント越しの標的の急所を所有者に示した!鋭い刺突が魔馬の急所目掛けて穿孔する!
ヴァギイイイイイイイイ!!!!!!
一際高いいななきと、エボルスが共鳴し、並の人間ならば狂いかねないほどの忌々しい絶叫を生み出した。テントがようやく時を取り戻したかのようにばさ。と魔馬の身体を覆った。一瞬が一日に感じるような戦慄が終わり、タークは久方ぶりの充足感をぎりぎりと噛み締めた。しかし妙な感触だった。
「……貴方の…名は…」
「……」
タークではない。この瞬間語りかけた者は魔馬であった。
「……口が聞けるのか魔獣」
くぐもった声がうやうやしくかしづきながら答える。
「我が名はサウンデル…貴方を主人と認めよう。この身に埋め込まれた魂虫を砕いた恩義とその魔技によって」
なるほどタークは得心した。切先の妙な肉とは違う、異質な感触の正体は魂虫なるものだったのか。エボルスの奇怪な軌道は、脳を避けて喉元に突き立てられている。おそらく、洗脳を行う寄生虫の類いだったわけだ。しかしそれであっても、喉は呼吸を行う者であれば急所には違いないし、生きていられるはずは無かったが、このサウンデルなる魔馬はエボルスの一撃を血も流さず耐えたのだ。魔剣の切先は別の標的を捉えて、僅かに膨れ上がり、吸い付いた恐ろしい丸い虫を突き刺していた。魔剣を下ろすとごとりと邪悪が落ちる。
「俺はターク……ゆめゆめ後悔せんことだな」
内心タークの思考は二つに割れた。得体の知れない世界にあって、このような名馬を手にできるという事は至上の喜びではあるが、力も強大で喋りもするというのは、奇怪で薄気味の悪い気もするというものだ。だが遠慮することはないだろう。
「ターク様…永遠の忠誠を誓います……」
制約に厳しい魔族らしく、サウンデルは小さな美しい黒炭色の馬の駒に姿を変えた。魔獣はいくつも倒してきたタークだが、姿まで変えるというのは今まで見たなにより冒涜的で、邪神と心を結んでしまったかのような、歪んだ魔力神経の軋みを感じる。
今後はその小さな彫刻から主人の求めに応じて
その異様を顕現させるのだろう。
駒はノテノールの光を受けて青く明滅した。