5:調理の失敗
「疲れたつかれた疲れたつかれた疲れた。もう歩けぬ」
コルデッスの泣き言が聞こえてくる。そりゃあないだろと先行くロガーノは呆れ返った。
「まだほんのちょっとも歩いていないぞ。見ろ、太陽はさっきから同じ位置にある」
「それが何だというのだ? なぜ天体ごときの位置で我の疲労の加減が推し量れると思うのか? とにかく我は疲れたのだ。今日はもう休むことにしよう」
「こーんな真っ昼間から旅を中断する人がどこにあるのか?!」
「うるさいっ! だまれえ!! 我は休むったら休むのだ!!!」
これじゃあ大公爵が反乱を起こしたくなる気持ちもわかる、と、少々同情すら感じてしまったロガーノ。
というのもこの泣き言は今に始まったことではなく、一話前、しばらく共に旅をすることに同意したあの直後からずっとコンテニューなものであったのだ。
地を這う木の根につまずいては疲れたと言い、虫を見かけるたびにもう嫌だとわめき、言い分を聞いて休憩を挟めば、それを終えた直後からまた疲れたと文句をまくし立てるのだ。
「よくまあそんなんで今まで生き延びられたもんだ」
ロガーノは心からそう言った。
「おれが見つける前まで、一体全体どうやってサバイバルしてたんだい」
「フン。ゆくゆくは万軍の主にならんとする我の用意周到さを見くびるでないぞ」
あれほど疲れたと言っていた割には元気そうな声でコルデッスは語る。
「旅のための準備くらい、城を出る前に万端にしておいた。ええと、まず、食料庫に行って一番上等の肉を……」
「君のその軽装のどこに肉なんかしまってあるの」
「いや、貴様に出会うちょっと前まではちゃんと持っていたのだが……」
コルデッスは悔しそうに、
「うーむ。どうもあの肉は質が悪かったらしい。城から逃げ……じゃなく、出立してから何日か経つと、だんだん色が黒ずんできてだな……」
「黒ずんできてだな……って、えっ、まさか、持ち出したのは……」
「もちろん新鮮な生肉だ」
当たり前だろう、という顔をしてコルデッスは答えた。
「我が舌は先天的に鋭敏でな。いわゆる“本物”の味しか受け付けないのだ」
ロガーノはまじまじとコルデッスを見つめた。
「まあ確かに君はある意味本物……ゴホン。ゴホン。えー、いや、すみません。喉の調子が悪いもので。こうずらずらと喋っていると喉に引っかかったリンゴの芯が唾液の中で成長し……」
「おい、もう少しまともにものを喋ったらどうなんだ? まあ、人類の知能など、もともとその程度のものかもしれないが……」
こういうわけで二人の旅は何日か続いた。
相変わらずコルデッスは文句ばかりを垂れている。その垂れ流しっぷりときたら乳幼児も顔負けである。
あの会話の後、しばらくすると盛大に、まさしくファンファーレのようにコルデッスのお腹が鳴ったため(彼女はしきりと空の唸る音が原因だと言い張ろうとした)、ロガーノが食糧を差し出すと、こんなミイラのように干からびたものなど食えるか、などと言い、そんなものを食うくらいなら飢えて死んでやるとも誓い、その後本当に死にかけたため、ロガーノは彼女のため、毎晩新鮮な獲物を探してあたりを徘徊しなければならなくなったのだった。
「いちいちディナーを毎日調達する旅人がいるか!?」
ロガーノが抗議すると、
「では、貴様がその最初の一人となれ」
とのご返事。
相手がげっそりとしていなく、年端の行かぬ子供でもなければ、さしものロガーノも黙っていなかっただろうが、今回の彼の相手はたまたまその条件を二つとも満たしていたため、あえなくお流れとなるのだった。
今夜、満月の晩にだけ狩りをするという大熊をなんとか仕留め、またコルデッスの飢餓の日を遠ざけることができそうだった。
「うーん、やはり肉は新鮮なものに限る」
篝火にかけられた肉からしたたり立ち上る油の香りに、すっかり恍惚としてコルデッスははしゃいでいる。
ロガーノはクタクタで、もう目の前の肉とその背後でよだれを垂らしているコルデッスの顔との区別もついていない。
「今夜のものは特に良いようだ。人類よ、貴様にも見るべきところはあるようだな」
「やったーほめられたー」
うつろな声でロガーノは返答した。頭の中では自分が三歳児の時の夢を見ており、その中でコルデッスはなぜか彼の母親役をしていた。
「いやいやいやいや! おかしいだろ!! なんでお前がおれの……」
思わず立ち上がって怒鳴ると、妙なことに気がついた。目の前で肉に舌鼓を打っていたはずのコルデッスが、いなくなっているのだ。
誘拐事件の発生か? そう思って生唾を飲み下すこの刹那。しかしよくよく目をこらして見れば、ああなんだ、彼女はちゃんとそこにいた。
そこ=地面ってのが、少々気にかかるところではあるけれど……
「おい、コルデッスよ。カゼひくぞ。お前がカゼひいてもおれは治せないんだからな。だってこちとら勇者ですぜ。ディバインパワーを操るんだもの。魔族にそんなんかけたら、下手すると塵へと還りかねない……」
などなどとのたまってみるものの、オヤ? やはり様子がおかしい。さっぱり返事がないのだ。
いつもならどんなに深く眠っていようと、これだけは地獄王顔負けの耳ざとさを発揮して、いかなる小声による陰口にさえ反撃を開始するのに……
「……たい」
「へ?」
ロガーノはやっと、コルデッスがぶつぶつと何かを呟き続けていたことに気がついた。
ひょっとすると自分への呪詛の言葉かもしれないと、念の為耳にツバをつけてからその口元へ耳を運んで見れば……
「……いたい」
「い、いたい? いたいって……痛いってことか」
などと呑気なことを言っているとさらに、
「……おなか……いたい……」
食あたりは旅の華よ。