4:仲間にしますね?
光も射さぬ森の中を、魔王が勇者を執念深く追っている。
ただしこの魔王が少女なので、字面ほど恐ろしげな場面になることには失敗しており、どちらかというと迷子が親を探してうろついているように見えた。
「おーい、待ってくれ!」
「待ちません」
という彼の律儀な返答により、コルデッスは居場所を探り当てることができた。そこには全面的に迷惑そうな態度を押し出したロガーノがいた。
「人類よ、反乱軍がどこにいるのか、貴様にはわかっているのか?」
「うっ」ロガーノは痛いところを突かれたかっこうである。コルデッスの表情が憎たらしい。
「……じゃ、そういう君は知っているんだな?」
「いや見当もつかぬが」
「帰れ」
背を向けて去ろうとしたロガーノはまた引き止められた。目の前に何やら薄っぺらいものを突き出される。
その薄っぺらさときたらまるで紙のようだと思われたが、実際紙だった。
「なに……この……うすぎたない紙?」
「うすぎたないとは何だ! これは大事なだいじな信任状だぞ!」
魔王は黄ばんだ紙を愛おしそうに撫でた。自分の子供の頭にだってこんなに優しくは触れないだろう。
「信任状?」
「ああ。魔王直属の“大公爵”五名すべてのしるしをこれに食わせれば……」
「食わすってなんすか」
「指を出せ」
いきなりこう命じられては、たとえ勇者であろうと戸惑う。
しかし魔王の前で躊躇うことは躊躇されたので、一切の動揺を打ち消して人差し指を伸ばす。
「ぱくり」
などという音を立て、信任状がロガーノの指に食らいついた。しかし一秒後には、
「ぺっ」
などという音を立てて吐き出される。なんとなく、ロガーノはイヤな気持ちになった。
「なにこれ」
「見ての通り、この信任状は生きておるのだ。大昔、魔界で幅を利かせていた悪魔が、我の先祖たる超越者によってこれに姿を変えられたのだと言い伝えられている」
ロガーノは信任状をじっと見つめた。言われてみれば悪魔の顔が見えるような気はぜんぜんしない。やはり小汚い紙であった。
「で、この信任状がどうしたっての」
「実を言うと、我は厳密にはまだ魔王ではない……」
驚愕の事実を教えるような口ぶりだが、ロガーノにはなんとなく予想がついていたことだった。
「まだこの信任状とやらに認められていないってワケ?」
「そうだ。大公爵(五名)共が我を魔王と認めるのを嫌がり、我を差し置いて勝手に争い始め、ついに分裂していずこかへと去っていったのだ」
「あんた蚊帳の外じゃないの」
「う、うるさい。とにかく我は魔王となり、再び魔王軍の統率を取るために、この信任状に彼奴ら(五名)のしるしを食わせる必要があるのだ。ただ……そのう」
またしてもコルデッスは弱気に戻った。これこそが彼女の真の姿なのではないかとロガーノには思われる。
「ああ。ちょっとムリそうだな」
「ム、ムリ……いや、そこまでとは思わないが……」
「いや絶対ムリだ」
「ああ! もー! ムリでいいよじゃあもう!」
「悪かったわるかったよ。続けてくれ」
どうして勇者が魔王に謝っているのかと内心訝りつつも、ロガーノは先を促した。
「我には……その……まだ力がないのだ。これほど早く父上の後を継ごうとは思いもしなかった。魔王にふさわしいだけの力を身につける時間が、だから、まあ、不足していてだな……」
高位の魔族であれば、生まれつき破滅的な魔力を持っていてもおかしくない、ということをロガーノは知っていた。
自分の半分くらいのトシにしか見えない悪魔に苦しめられた経験も数知れない。
しかし、それを口に出して言うことはなかった。
「だが、まあ、本気を出せば並みの魔族に遅れを取ることはないはずなのだ……さっきのアレは、たまたま調子が悪くて……」
「あのオーガとハーピー、なんで君のこと襲ってたの」
するとまた魔王らしい顔に戻った。
「ふん。どうやら我の首を大公爵(五名)が欲しがっているらしい。持ち帰れば褒美が出るのだろう。浅ましい奴らだ」
「その浅ましいのが君の部下だったんでしょ」
「まあそうだけど」
ロガーノはしばらく考えた。
といってももともと答えは一つに決まっていたため、いかにもヌルい奴だ、とコルデッスに思わせたくないがためのディレイに過ぎなかったが。
おれたちが倒す使命を帯びていた魔王エルサタンは、とっくに雷に撃たれて死んだらしい。だけどさっぱり平和は訪れない。相変わらず村は焼き払われているし、人の首をくわえた魔物にはしょっちゅう出会う。
次期魔王のコルデッスがあんまり弱々しく、それを嫌がった魔王直属の大公爵(五名)が反乱を起こしたためだ。
たとえその大公爵(五名)をおれが全員倒したところで、そのすぐ下の者が大公爵(後釜)となり……いたちごっこだ。無限に争いは繰り返されるにちがいない。
それならば、この幼い魔王(になり損ねた)コルデッスに協力し、再び統率を取り戻してもらうのがいいんじゃないか?
……まあ、いくら弱々しいとは言え、魔王の子にはちがいない。一緒に行動すれば監視にもなるわけだし。
――などと無理やり結論への迂回路を思考上でたどったロガーノだったが、やはり最初から、彼女に協力しようという気持ちを持っていたのだった。
なぜ?
だってそうだろ、一応おれは勇者だぞ。勇者というのは、子供の望みを叶えてやるような存在のことだ。たぶん。たった今でっち上げた定義だから、本当のところはどうか知らないけど……
「決まりだな」
と、きっぱり言った。コルデッスが。
「勝手に決めてんじゃねえ! ……でも、まあ、そうだな」
ロガーノはコルデッスの目を見た。ちっとも冷酷そうでも非情そうでもない目である。
「仕方ない。仕方なくだぞ! しばらく同行してやることにする。目的がたまたま同じだからな」
「そうか。じゃあ礼もいらないな」
そう言い放つとくるりと背を向けて歩き出した。
「えー……」
「さっさとついてこい、人類よ」
「人類じゃない、おれの名前は……」
「人類じゃないのか?」
「いや人類だけど……ああ! もういいです。人類と申します」
ロガーノはずんずん進むコルデッスの背中に向かって叫んだ。
「今しばらく、よろしく!」