2:崖釣り
ロガーノは今のところロンリーな旅路。しかし魔王城めがけて出立した時から一人であったわけではない。ちゃあんと仲間がいた。
もう死んだけど。
「その恨みだけでも、ここで君の頭をずんばらりと切り落とすには足るってもんだぜ」
ドワーフに鍛えられた彼の剣は、日を受けてギラリと光る。先ほどの戦闘をロガーノは納刀したままこなしたため、少女にとってはこれが初お目見え。ご感想は?
「……おい、君、ほんとに魔王か。ずいぶんブルってますけど」
「た、たわけっ! 魔族の長たるこの我が、そのような貧弱な武器に傷つけられることなどあるものか!」
と言うその声にも震えが見られる。ロガーノが想像していた魔王像とは、まあ、だいぶちがっている。
しかし彼に触れられて痛みを感じたということは、やはり魔王にはちがいないのだ。
「ほう、そうかい。では試してみようかしら」
「え? あっ……」
魔王が何か言う前に、その首めがけて刃が振り下ろされている。典型的な絶体絶命の場面。
ようやっと魔王、そのことに気づいたのか、「ひぇ……」などという気の抜けるような声とともに、またまた後ろへのけぞる。
そして体勢を崩す。地面は崖に向かって傾斜の様相。というわけで、ごろごろ転がっていく。
「あああああああ……」
ロガーノは奈落に向かって驀進する魔王の姿を見やる。ついに崖際に到達すると、ごく自然に、そのまま落下。視野から彼女の姿は失われた。
「え、これで魔王討伐? もうエンディング?」
ロガーノには信じられない。仲間を失ってまで続けた旅路の果て、偶然に出会った魔王が、勝手に転がって死んだのだ。世界の命運は、こんなヘタクソな脚本家が紡いでいるのだろうか……
「いやでも、さすがに飛行の魔法くらいは使えるよな……」
魔王の魔とは魔法の魔である。つまり呪文の達人ってワケ。そうでなくっちゃ、膨大な魔力を持つ魔族の面々を従えることなんて……
ん? ちょっと待ちなさい。そういやさっき、あの魔王、思いっきり魔物に襲われていた。ロガーノの頭は惑乱の呪いをかけられたかのように混乱。
魔王が支配しているはずの魔物が魔王を襲うって? なんじゃそりゃ。そんなことがあり得るのか。フツー、そんな暴挙を働けば、魔王がたちまち捻り潰……
……せなかったから悲鳴を上げてたんだよな、アイツ。
ここまで考えるのにけっこうな時間を消費したが、未だに魔王は姿を現さない。というか、明らかにお目当ての宿敵って感じではなかったアイツ。
もう少し話を聞かなければ。このまま死なれたのでは(もう死んだか?)、ただでさえ悪い寝覚めがさらに悪化する。また健康診断に引っかかってしまう。
検診へ行けとの通告を三五回もガン無視したロガーノは、全国の診療所でブラックリストにぶち込まれており、発見しだいすぐさま拘束して強制的に検診を受けさせよとの通告が行き渡っている。
ロガーノは崖際まで必死の形相でダッシュ。下を覗き込むと、まるでギルドの掲示板に最後まで残った依頼書のように、頼りなく引っかかっているだけの魔王がいた。
「おっ。やるね。ナイスなスタミナ」
ロガーノの言葉はこれでも一応励ましているつもりだ。てか、やっぱり飛べないんだな……
「何だなんだ! 侮辱しに来たのか!」
崖にしがみついたまま魔王が怒鳴る。少なくともスタミナだけは魔王級であるらしい。
「人類の手など借りるか! これしきのこと、我一人で充分だ!」
「助けるなんて言ってません」
「あっ、そうなんだ……いやいやとにかく! どこへでも行け! これ以上我を見るな!!」
「あんまり無理するな。手が震えているぞ」
「ふ、震えてなど……いない……」
「さ、これに掴まりなされ」
ロガーノはツタを編み込んで作ったロープを魔王の元へと垂らした。しかし、一向に掴もうとしない。ロガーノは頑固な魚相手に釣りをやっている気分になってきた。
「なー、あのさー、もうそこにしがみついているだけで精一杯なんだろー? 登る体力もスタミナも筋力も気力も活力も握力も持久力もないんでしょー? さっさと掴みなよー、ねーったらっさー」
「う、く、うるさい……」
もはや怒鳴る気力もないと見えた。それでも声を出そうってんだから、ちょっとロガーノは感心してしまった。
「さっさと……消え去れ……こんな……情けなど……いらぬ」
「うんわかったそうする」
ロガーノはすかさずツタを引き上げにかかった。
「あっ、待って!」
魔王は目をみはるような反射神経でがっちりとツタを掴んだ。しまった……なんて顔をしても、もう遅い。
「ようし、ヒットだ!」
会心の快哉を叫び思いっきりツタを引っ張るロガーノ。あんまり張り切りすぎたもんだから、魔王は反動で十メートルも上空へぶっ飛んだ。どこの世界でも、少女というのは羽のように軽いのである。
「きゃっ!」
「あがっ!」
上の悲鳴は魔王ので、その下の悲鳴はロガーノのものである。これはこのまま二人の位置関係を表す。つまりロガーノは体を張って魔王を受け止めたのである。
「くう……情けなどいらぬと言っただろうが」
さっぱりロガーノの背中から降りようともしないまま、魔王は悔しそうに言った。しかし、それに続いて、非常な小声ではあるけれども、
「だが……一応、礼は言っておく。……助かったぞ」
「それはいいんだけどさ」
ロガーノは地面にめり込んだ頭をやっとのことで引っぺがしたところだった。
「君、本当に魔王?」
「つい最近まではそうだったのだが……」
何やらもじもじとした様子の魔王。
「今はちがうっての?」
「……反乱を起こされてしまってな」
ため息と共に事情は語られる。
「玉座を追われてしまったのだ。父上と比し、我は力量不足と思われたのだろう……」
「父上……? それってもしかして、エルサタンなんてお名前のお父さんじゃない?」
「おお! 知っているのか」
やたらと嬉しそうな様子の魔王だ。
「人間のような矮小な存在にまでその名が知られるほど、父上は偉大であったのだ」
「知ってるも何も、あのねえ、おれたちが倒そうとしていた魔王ってのが、そのエルサタンさんなんだよ」
ロガーノはやっと合点がいく。目の前のあどけない女の子が、世界に恐怖と混沌をもたらそうとするエルサタンのはずはなかったのだ。仲間を死に至らしめたのも、この少女ではないということになる……
……しかし、この子は魔王と名乗っている。ということは、あ、あれ?
「……で、その君のお父さん、今何してんの」
「もはや魔王軍の統率などといったことには煩わされず、休んでいるのだろうな」
魔王はしみじみとうなずく。
「あの世で……」