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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ミッドサマー※ネタバレ※

作者: 於保育

私が気になったのは、生贄に志願した二人の村人の最期であった。

彼らは儀式の前、「苦しまぬように」舌にイチイで作った薬を塗られるが、焼かれる彼らは痛みと恐怖に泣き叫んでいる。

また、僅かとは言え画面の端には浮かれた周囲と違い沈鬱な表情をした人の姿も見受けられるし、飛び降り自殺を遂げた老人二人も、一人は無事死にきれたが儀式を心から受け入れられている様子はなく、悠然と構えていた男性のほうも即死できないとなれば普通に苦しんでいる。

あの村に違和感を感じる(もしくは、感じるようになった)人たちは、それを表に出さないようにしながら必死に周りへ合わせて、泣き真似や作り笑いをしているのだろう。それをしなければどうなるか、作中での惨劇を見れば火を見るより明らかだ。必ず一定数生まれている性的少数派たちは、さぞ疎外感に悩んでいることだろう。だって、バレたら殺されちゃうもの。


この映画の見方の一つとして、ダニー側の視点で見るか、それともクリスチャン側の視点で見るかで感じ方が違うというものがあるらしいが、私はどちらにも肩入れできなかった。

強いて言えばクリスチャンは、ダニーに一発ぐらいブン殴られろと思ったが、浮気セックスというより準強姦の被害者とでも言うべき状況なうえ、殺されなければならないほどの悪とは言いきれない。

ダニーもダニーで、あの程度の男に執着などせず違う誰かと新しい形での人間関係を構築するべきであった。あんなマッチポンプな紛い物の幸せに絆されてはならない。ある意味クリスチャンにされた以上の侮蔑を受けていることに気づいてくれ…。


他にもジョシュ、マークといたが、学生たちの中でも不憫だったのはサイモンとコニーの二人だった。ホラーのお約束と言えばそれまでだが、それでも彼らは何も悪くない。罰当たりな先の二人と違い、完全なる被害者である。彼らを逃がさなかった村は、最初から全員を殺すつもりだったのだろう。

それは恐らく、村に疑問を抱きかけた人間を恐怖で支配するための見せしめでもある。あの村はディストピアですらない。単なる指導者層のご機嫌を窺う、私たちが暮らす世界と同じだ。あそこまで閉鎖的でなく残虐でもないとは言え、それも規模問題。あの村と同じく、痛みや恐怖に直に触れずに済む防御装置があるだけだ。運悪く、それに直面する羽目になった者を除いて。


そう言えば、今作には展開が描かれた絵が公開されているが、その中にメイクイーンが燃えているのではないかという絵があった。作中に過去のメイクイーンは誰一人として登場せず、九日間行われる祝祭は、まだ半ば程度…。

物語のラストでは幸福そうだったダニーやペレたちも、その瞬間が訪れたなら即死でもさせてもらえない限り「こんなはずではなかった!」と絶望の中で泣き叫ぶことだろう。作中で示唆されている村の欺瞞に目を瞑り笑ったダニーは、やはりクリスチャンとの違いなど立場の差程度しかない似た者カップルだった。

そんなしょーもない男女もまだ若く、これから成長の機会などいくらでもあったはずなのに、その可能性を腐れカルトは真っ白な絵の具で塗り潰してしまった。あそこにある救いの、なんとチープでふざけたことか。ダニーが感じている癒しの実体は、無邪気に踏み絵の上でタップダンスをしているに過ぎない。その絵に描かれたものの価値を、それを大切にしている人たちの心を無視しての。カルトはそれを理解していて、敢えてマッチポンプをけしかける。精神的に深い傷を負ったダニーを、新たな檻へ入れて利用するために。


彼らもそれを理解しているからこそ、若者たちに嘘を吐く。もしかすると、生贄に志願した村人二人に薬が効かなかったのも、それぞれが木の管理に失敗した、婚約済みのカップルを連れてきて、しかも儀式に対し説明不足だったことへの落とし前なのかもわからない(新興宗教教祖とかの狭量さなんて、いくらでも耳に入るでしょう?)。


身内がカルトに取り込まれた経験のある人間としては、非常に不快な映画だった。なのに点数をつけるなら、最低でも八十五点はあげたくなるような秀作。

監督のアリ・アスターという方は、おそらく表現者として誠実な人物なのだろう。あの障害を持った方があまり物語に絡まなかったところなどは少し引っ掛かったが、それでも全編通して丁寧な作りであった。

あの異様な笑顔で発する「これは恋愛映画」「みんなが不安になるといい」「カップルで見に来て」などの発言も、話半分に聞いておくべきだろう。

アリ・アスター監督は、間違いなく意図的に誤解が招かれるよう語り、そして作っている。それが彼から観客に対するフェアネスさであり、同時に踏み越えずに済む一線に違いない。

それを映像で表現できる手腕も含め、私は間違いなく彼の次回作を鑑賞するだろう。好んで何度も見ることは、さすがにないけれど。アリ・アスター監督、並び今作に関わった方々、天晴れである。

追記

ダニーの家族の死にペレたちが関わっている。みたいな書き込みを目にしたんだけど、まさかそこまではしてないよね…いや、でもヘレディタリーを思うと…ペレが意味深な描写もあった気がするし。仮にそうだとしたら悪辣過ぎやろ…。

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