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お兄さま、大事件2

「ティスランが変?」


 はい、と頷くと、ヴィルレリクさまがちょっと首を傾げた。


「いつものことじゃない?」

「そうなんですけど、いつも以上に変なんです」


 いつももかなり変だけどねと呟きながら、ヴィルレリクさまはさらさらとコンテを滑らせた。私はイーゼルを押さえながら変な線をこしこしと消しつつ、それは否定できないと思ってしまう。


 ヴィルレリクさまとお兄さまが学園を卒業してしまい、私は3年生となった。侯爵の後継として本格的に仕事に関わることになったヴィルレリクさまとは平日会える時間が減り、こうして休みの日に一緒に過ごすくらいだ。寂しいけれど、仕事で手腕を発揮し社交界にもデビューしたヴィルレリクさまはなんだか精悍さが増したようで、私はいつになってもそのかっこよさにドキドキしてしまうのだった。私も同じだけ歳を取っているはずなのに、ヴィルレリクさまから見てちゃんと成長しているだろうか。


「リュエット、消しすぎてない?」

「あっ」


 花と果物と小さな額縁を並べたモチーフは、美術の授業でも出ている課題だ。

 今年から、成績優秀者は授業で魔力画の制作をすることを許される。その域に入ろうと頑張っているけれど、残念ながら私の画力は優秀とはいえないのだった。

 せっかくヴィルレリクさまに貴重なお休みを割いて教えてもらっている割に、私の技術は全然向上しているように見えない。お手本との差が地と天空くらいに離れているということを鑑みても、自分の作品がどうにも納得いかないのだった。


「ウィルさまの絵は空間があるみたい。私のはなんだか下手な絵って感じがして……」

「そう? 僕はリュエットの絵好きだけど」

「どこがですか? 全然共感できません」


 隣に座っていたヴィルレリクさまが、濡らしたハンカチで手を拭いて立ち上がる。それから私の後ろに立って、そっと顎に指を掛けてやや左に視線を傾ける。


「リュエット、観察してるときはこの角度でじっと見てるよね。で、描くときはそれがこうなる。描きながら見るのと観察してるときの角度で差が出て、歪みが出てる」

「あ、本当だ!」

「右目の方で強く見てるから、この辺に意識が向いてる。左下にいくときは目と手が疲れてるから線がブレやすい」

「……ダメなところじゃないですか」


 ちょっとむくれて言うと、ヴィルレリクさまが少し微笑んだ。琥珀色の目が優しく私を見て、それから絵へと移る。


「ここと、ここと、あとこの辺かな。リュエットはこういう曲線が丁寧に書き込まれててこだわりがあるのがわかる。魔力画のところもね。リュエットの絵は、リュエットが何が好きなのかわかりやすくていい。リュエットが何を思いながら描いたのか、考えながら見るのが楽しいから好き」


 そっと指したところを描いたときを思い返してみれば、確かに集中して描いていた気がする。描き込みの細かさは差が出ないように頑張っているのに、ヴィルレリクさまの目はやっぱりすごい。こんな絵でもそういうところを見出してしまうのだから。

 ちょっと恥ずかしくなっていると、ヴィルレリクさまがそっと頬に口付けしてくれた。

 なんだかそれだけで落ち込んだ気持ちが舞い上がってしまって自分の単純さが恨めしい。


「でもウィルさま、技術的には全然ダメです。どうやったらウィルさまみたいに写実的だけどちょっと夢みたいですごく素敵な絵を描けるんですか?」

「写実的なところは、たぶん、リュエットは物を物として捉えてるからじゃないかな。花、花瓶、魔力画、みたいに。そうしてると、自分の記憶にあるそういうものが手に出やすいんだよね」


 物を物として……捉えてはダメなのだろうか。記憶……? 手に出る?


「だから一旦そういう区別は忘れて、一枚の絵みたいに見てみるといいと思う。物として線をなぞるんじゃなく、こう、上から順番に描いていくとか」


 ヴィルレリクさまが小さな余り紙に、ささっと絵を描いていく。横に手を滑らせるようにカーテンも花も壁紙も少しずつ描いていくのを見て、プリンターという言葉が浮かんだ。左から右に描き、端までいくとまた左に写って書き上げていくさまは、確かに花瓶も魔力画も区別なく描いているけれど、それを自分ができるかといわれたらできない確信しかなかった。

 ダメだ。ヴィルレリクさまは凡人には理解できない範囲にいる。神のような画力を持った人に師事すること自体が誤りかもしれない。


「……が、がんばってみます……」

「うん、とりあえず今日はここまでにしようか」


 こうして今日も才能の差を実感してしまう辛い時間、かつ、美しい絵が紡がれていくのを眺められる至福の時間は終わりを告げた。

 部屋を移動して、一緒にお茶を楽しむ。ヴィルレリクさまのお母さまがちょっと顔を出してくれて、夕食も食べていってと誘ってくれた。ヴィルレリクさまの家族と仲良くなれていることが嬉しいし、ヴィルレリクさまと特に似ているお母さまとお喋りできるのも嬉しい。用事が終わったらすっと行ってしまうのに邪険にしてる感じではないところも好きだ。


「で、ティスランがどうしたの?」

「はい、一昨日からいつも上の空で、なんだかとんちんかんな返事をしたり、ぶつかったり……お医者さまにも見てもらったんですけど、体は何ともないって」


 お父さまによると、王城での仕事ぶりもそうおかしなところはないらしい。ただ休憩中や仕事終わりになると途端にヨロヨロしたり、独り言を言ったり、頭を抱え出したりするそうだ。


「きっかけは?」

「それが、お母さまによると送り主不明のお手紙が届いたとかで」


 なんでも前日、お兄さま宛に1通の手紙が届いたそうだ。無記名で封蝋にも紋章がなく、悪戯かと思いながらも家令はお母さまに相談したのちにお兄さまへ届けておいたらしい。他に思い当たるところもないのでそれが原因らしいけれど、それに言及しようとするとお兄さまの挙動がますますおかしくなり、そのまま逃げ出そうとするのでぶつかったり転んだりと被害が出る。お父さまからしばらく割れ物を飾らないようにというお達しが出たくらいだ。


「ふうん、手紙ね」

「もし何かあって悩んでるなら、力になりたいんですけど……」


 脅迫であったり、強請ゆするような話があって言い出せないならば、尚更お兄さまが心配だ。マドセリア家の事件のようなことはそう起こらないとは信じているけれど、もしあのときの私のような状況になっているならば、何だかんだ責任感の強いお兄さまは一人で解決しようとするかもしれない。

 何があってもお兄さまはお兄さまだ。私にできることがあるなら手伝わせてほしい。


「来週、少し探りを入れてみる。ちょうど王城で詰める仕事もあるから」

「本当ですか? ありがとうございます、ウィルさま」


 黒き杖として働くヴィルレリクさまは、お父さまやお兄さまの仕事場とは離れた場所で働いているらしい。それでも気遣ってくれるというだけで心強いし嬉しかった。


「ティスランのことだから、そんなに深刻な問題じゃないと思うよ」

「そうだと嬉しいです」

「まあ、跡取りの様子が変だと結婚の許しも出しにくそうだし。早くいつものティスランになるといいね」


 片眉を少し上げてそう言ったヴィルレリクさまに、私も笑顔で頷いた。






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