沼はどこにでもあるようです9
最初の夜は、小さな魔力画を眺めているうちに眠ってしまった。
翌日は授業が終わると急いで帰って手紙を書いて、その次の日にはようやくと意気込んで探してみたけれど見つからなかった。
また魔力画を眺めて眠り、今日こそは先生にあの白い青年について訪ねようと意気込んだ朝のことである。
「火事……ですか?」
「そうだ。リュエットはついこの前行ったそうだね」
「ええお父さま、ほんの3日前にお友達と」
「幸い死傷者は出なかったそうだが、しばらくは営業できないそうだ」
「そうなのですか。素敵なカフェだったので残念です」
お父さまが読んだ新聞を、お兄さまが受け取る。
「店の中央が激しく焼けたとあるが、変だな。普通火元といえば調理場、端に配置してあるはずだが」
「中央……あの、大きな魔力画が掛かっていたのですが、あれは無事だったのですか?」
「魔力画? そこまでは書いていないな。夜明け頃の急な火災だとあるから焼けたかもしれん。閉店時に別の場所へ置いていれば無事だったろうが」
あの魔力画はとても大きく、外すのも掛けるのもおそらく2人以上の人手が必要だ。飾られていた位置も高かったので、毎日取り外して保存していたという可能性は高くはなさそうだ。
「そういえば、大きな絵が飾られていたわねえ」
「はい、お母さま。すごく素敵な魔力画でした。燃えていないといいのですが」
「でもリュエット、危ないから確かめに行ってはだめよ。火事の後始末は大変でしょうし、野次馬なんて御行儀が悪いわ」
見惚れるほど立派な魔力画だった上に、白い青年との出来事があった。だから気にはなったけれど、お母さまの言う通り、そんなことで焼け跡を見に行くのは良くない。魔力画が無事であることを祈りつつ、今はお店の再開を待つことしかできなさそうだ。
そう思いながらも気になったままだった話題は、学校に着くとさらに大きな噂になっていた。
教室に入ると、早速ミュエルが教えてくれる。
「魔力画が燃えた?」
「そうよ。魔力画を中心に火が広がっていて、一番ひどく燃えていたのですって。額縁のかけらも残っていないって噂よ」
「そんな……」
誰かの父親が騎士として消火に携わったらしく、新聞には書かれていなかったことまで噂になっている。
発見者は店で菓子職人の見習いをしていた男性で、すぐに連絡を取り消火作業は比較的早く終わったらしい。それでも店の大部分は使い物にならなくなったそうだ。
「怖いわねえ。私たちがお茶したときでなくてよかったわ」
「でも、魔力画は魔力素が含まれていて、防犯にも使われたものなのだから、そんなに燃えるなんて……」
「だから怖いのよ、リュエット。魔力画なんて、いえ普通の絵画でも勝手に燃えるものじゃないわ。ただ火の始末をしていなかったから起きた火事じゃないってことよ」
「それって、」
過失で起きた火事ではないということだろうか。
カフェの壁に飾られていた魔力画が浮かぶ。美しく、ゆったりと動く緻密な絵。その前に立つ青年の琥珀色の瞳。
あの人は、何か知っているだろうか。
「リュエット? 大丈夫?」
「ええ、ごめんなさい」
「突然のことだものね。ケーキも美味しかったし、また行けるようになるといいわね」
「そうね」
あんなすごい魔力画が燃えたとなると、大きな損失だ。お店の人も魔力画が好きだったならさぞ落ち込んでいることだろう。
魔力画を狙って誰かが火を付けたのであれば危険だし、恨みを持って誰かが火を付けたというのも考えるだけで恐ろしい。
乙女ゲームでは、こんなことはなかったのに。
あのゲームに全ての出来事が出てくるわけではなかったけれど、少しだけそう考えてしまった。
「リュエット、そう落ち込まないで、ほら、今日も例の彼を探すのでしょう?」
「ええ、そのつもり」
「私も探してみるわ」
手のひらに乗るサイズの魔力画。ハンカチに包んで持っているそれを、そっと指で確かめる。
そうだ。まずはこの魔力画を返さないと。
始業の鐘と共に大きく深呼吸して、私は気持ちを入れ替えることにした。




