沼はどこにでもあるようです8
「奇遇だね」
「そうですね」
のんびりとそういった青年は、話を続けるでもなくまた魔力画を見上げた。
その横顔がもはや絵画に残せそうなほどの美しさである。
イケメンは何してもイケメン。
青年は気にしていないようだけれど、隣に人がいると気付いてしまった私は再び魔力画に没頭することはできなそうだ。
しかしこのまま黙って立ち去るのも無作法だし、というかそもそもマナー的にはお互いに自己紹介をするものでは。慣例としては男性が先に言い出すものでは。
どうすべきなのかしばらく迷っていたら、青年がまたこっちを向いた。
「魔力画、まだ好き?」
「まだ……はい、好きです」
好きになってからまだ1ヶ月程度しか経っていない。まだというか、まだまだ好きになりそうな感じすらある。というかそんなにすぐに飽きたりはしない。
そう思いながら返事をすると、青年はうん、と頷いてから、私の方へ手を差し出してきた。その手には、小さな額縁に入った絵がある。
「じゃああげる」
「え、」
細かく花の彫られた額縁は金色で豪華だけれど、中の絵は真っ黒だった。じっと見ていると、じわっと色が変わって明るくなる。青や赤に変わったあと、それは再び黒くなった。魔力画らしい。
「どうぞ」
「でも、」
名前すら知らない人に絵を、しかも魔力画を貰うわけにはいかない。けれどその青年は美しい所作で私の手を取り、そのまま小さな魔力画を掌にのせてしまった。
「あの、貰えません」
「なら今度会ったときに返してくれてもいいよ」
微笑んで、じゃあねと青年が手を振る。そのまま階段を降りていこうとしたので、私は慌てて付いていった。
「あの、今度って?」
「もうすぐ会えると思うよ」
「リュエット!」
振り向くと、ミュエルが私の方へと歩いてきていた。
せめて名前を訊こうと青年を見ると、青年がいなくなっている。
どういうこと。
「ちょっとリュエット、さすがに遅いわ。お茶が冷めちゃう」
「ごめんなさい」
「どなたかいらしたの?」
ミュエルが私の肩越しにお店のドアの方を覗いている。そこには新しく入ってきた老夫婦がいるだけで、あの白い青年を見つけることはできなかった。
「二度会っただけの男性に絵を貰ったのっ?!」
大きな声を上げたミュエルが、周囲の目を気にしてこほんと姿勢を正す。けれど目はキラキラと輝いたまま、私の方へとソファの上を少し移動した。
「も、もらったというか。貸してもらった? みたい」
「やだ素敵じゃない、よく見せて!」
私の手ごと絵を持ち上げて、ミュエルがしげしげと小さな魔力画を眺める。裏返して、額縁を見せて、とあれこれ私にお願いをしながらよく眺めたミュエルは、ようやく私の手を離して顔を上げた。
「変わってるけど、高価なものでもなさそうね。額縁も可愛いけれど、銘も入っていないし……絵というか、小さな壁紙みたい」
「でも、魔力画ってそもそも貴重なんでしょう?」
「そうだけど、この大きさなら払えないほどってものでもないと思うわ。私はそんなに詳しくないけれど」
家に魔力画が沢山あるだけあって、ミュエルはざっくりとした目利きならできるらしい。私もまだ勉強を始めたばかりだけれど、本に載っていた、いわゆる高価な魔力画といわれる条件をこの絵は満たしていないようだということはわかった。
とはいえ、安ければいいというものでもない。
「すぐ返してしまいたいけど、名前もわからなくて」
「学園の生徒なら、そのうち行き当たるだろうしそう心配することもないのではないかしら。先生に問い合わせてみればきっとわかるわ。それにしても、リュエットにそんな素敵な出会いがあったなんて! 恋物語みたいじゃない?」
「そうかなあ……」
恋の始まりというよりは、妖精と出会った怪綺談のような気もするけれど。
魔力画の周囲に現れ、魔力画を渡してくる白い妖精。
ありうる。
魔力画を受け取ると代償に命を奪っていく、とかもあり得そうな気がしてきた。
いや、ないよね。
乙女ゲームでそんな展開ないよね。
「お返しするなら、手紙か何か付けてみたら? 魔力画好きとして仲良くなれるかもしれないじゃない」
眩しいほどのイケメンなので仲良く語り合う光景が思い浮かばないけれど、魔力画が好きなら話を聞いてみたい気もする。かなり一方的に渡されたものだとしても、魔力画を手にする機会は少ないので、家でじっくり鑑賞できるのもありがたいし。
「そうしてみる」
「決まりね。素敵な便箋を買いにいきましょ」
「え、今から?」
「当然でしょう? 明日会うことになったらどうするの? こういうのは勢いが大事よ!」
ミュエルのこういう積極性、ときどきびっくりするけれど見習いたい。
私たちは急いでケーキを食べてから、文具店へと向かい、御者に急かされるまであれこれと便箋を見て回った。
そのカフェが火災にあったという話を聞いたのは、それから3日後のことである。