運命を決めるのは誰ですか?1
あの教会を発って2時間ほど。
「リュエット、美味しい?」
「は、はい」
「あまり食べてないけど」
「いえ、頂いてます。美味しいです」
私は何故か、ヴィルレリクさまのお家で夕食を摂っていた。
馬車に揺られているうちに疲れが出たようで、私はいつのまにか寝入ってしまったらしい。
そっと呼び掛けられて目を開けた際には既に馬車は停まっていて、そしてそこが我がカスタノシュ家でなくキャストル家だったのである。自分も寝ていたとのんびり言ったヴィルレリクさまが私に告げた。
「とりあえず今日は泊まって行けば?」
思わず「は?」と素っ頓狂な声を出してしまった私を誰が責められようか。
いくら我が家よりも近かったとか、もう日が暮れていて移動には向かないとか、家族と会う前に身なりを整えた方がいいとかそういう正論があったとしても「は?」だった。
ドレス崩壊の危機を抱え、馬車に乗せてもらっている身で居眠りをしてしまった状態で、さらにヴィルレリクさまのお屋敷にお邪魔して泊まるなど。私の心の中の淑女はもう瀕死だ。
なんとか固辞を試みたけれど、御者にも無理をさせるわけにはいかないし、お父さまとお母さまには連絡をしてあるから気を咎めることもないと言われた。加えて私の心の中の淑女以上に私のドレスが瀕死だったこともあって、かなり不本意ながらもお邪魔することになったのである。
さすが侯爵家。急な訪問者に対するもてなしも完璧だ。
奮闘したせいであちこち汚れや小さな傷があり、私はまずお風呂を借りて手当てをしてもらった。ドレスについてはキャストル侯爵夫人、つまりヴィルレリクさまのお母さまに恥を忍んで訳を話し、使っていないものをお借りする。普段着といってもうちの普段着とは値段が違うのは着心地でわかった。
「何か必要なものがあったら言ってちょうだい。用意させるから」
「はい、ありがとうございます、キャストル侯爵夫人」
「リルでいいわよ」
霞がかった夜明けの空のような、うす紫色の髪と目を持つキャストル侯爵夫人は、美しさもあってどこか超然とした雰囲気のある方だった。でも目をじっと見る様子や言葉は意外と気さくなところがヴィルレリクさまと似ていて、なんだか見ていてほんわかする。
当主であるキャストル侯爵は私たちがいた教会へと向かって出発した後でおらず、侯爵夫人も夕食は食べたあとということで「寝るわね」とあっさりと下がっていった。ヴィルレリクさまのマイペースなところはお母さま譲りなのかもしれない。
そういうわけで、私とヴィルレリクさまは2人で夕食を頂くことになったのだった。
「パンもっと食べる?」
「いいえ、ありがとうございます」
色々と不本意だったり淑女失格なところがあるけれど、ヴィルレリクさまのお屋敷への初めてのお呼ばれだ。私はそわそわしたり緊張したりしながら夕食を頂いた。反対にヴィルレリクさまはいつも通りの飄々とした様子である。
緊張した状態でも美味しかった食事を終え、私とヴィルレリクさまはソファへと移った。私を一人掛けのソファに座らせ、2人掛けソファを挟んで向かいにある一人がけにヴィルレリクさまが座る。お茶を淹れてもらい、ほっと息を吐く。平穏で、何も心配することがない状況は久しぶりに感じた。命の危機はもちろん、ドレスの心配もなくなったからか、体がギシギシいうのが感じる。お兄さまほどではないけれど、私も普段以上に動いてしまったせいであちこち筋肉痛になりそうだ。
「マドセリアは以前の事件でも容疑者に挙がっていた。ただ確証がなく、貴族ということもあって上手く捕まえられなかったけれど。流石に今度は逃げられない」
「あの、マドセリア家の皆さんはどうなるのでしょうか」
「個々の刑罰はこれからの捜査で決まるけど、おそらく最終的には取り潰しになると思う。表向きは複数件の放火と盗難で処理されるけど、それだけでも重罪だから」
聖画や魔術についてのことを表沙汰にはできないのだろう。それに、私やミュエルを世間の目から守るという意味でも、事件の全てが明らかになることはなさそうだ。幸いにも私たちには取り返しのつかない怪我などはないので、それが一番なのかもしれない。
「夫人やガレイドさまは、幽閉になるのでしょうか」
「多分ね」
魔力画の展示会のときには、マドセリア家の人々は普通の貴族のように見えた。お客を歓迎し、もてなしにも気を配り、素敵な展示会を開いていた。あの生活は、今の状況のために取り繕っていたものなのだろうか。少なくとも、本人がどう望もうともうあの生活は戻ってこないのだ。
「マドセリア伯爵夫人の執念は、どこかで止めることができなかったのでしょうか……」
「無理だと思うよ。父親を殺されたんだから」
ヴィルレリクさまを見ると、伏せられていた琥珀色の目が、少ししてから私を見る。
「サイアンはぼかして言っていたけれど、先代のマドセリア伯爵は僕が殺した」
「え、」
「驚いた?」
静かに告げたヴィルレリクさまを唖然と見るしかできなかった。その私を見て、ヴィルレリクさまが少し自嘲するように表情を変える。
「先代のマドセリア伯爵は、我が家にある聖画の一枚を盗もうとした。それを防ぐために、そして魔術を発動させないために僕は今日と同じことをした。伯爵は無理に奪い取ろうとしがみつき、聖画と共に焼け死んだんだ」
聖画を燃やしているヴィルレリクさまに伯爵夫人が触れると、触れた場所が燃えて火傷のようになっていた。その炎は自然に消えるまで、そこに触れたものにまで燃え移る。聖画を無理に奪おうとしがみつけばその分だけ火は燃え移っただろうし、広範囲に傷ができれば命の危険もあるのだろう。
マドセリア伯爵夫人は、自分の父親と同じ末路を辿ろうとしていたのかもしれない。そう思い至ってぞっとした。
思わず腕を摩った私を見て、ヴィルレリクさまが静かに訊ねる。
「僕が怖い?」
「え? いえ、そうではありません」
「別に誤魔化さなくてもいい。僕は人殺しだし、マドセリア家にも恨まれて当然だから」
「それは違います!」
私は思わず立ち上がり、そして気付いた。
これまでヴィルレリクさまは、私の隣に座ることを気にした様子はなかった。
でも今は二人掛けのソファに並ぶのではなく、向かい合って座っている。一人掛けのソファで向かい合うように座ったのは、私が距離を取りたいと考えるだろうと思ったのではないだろうか。
私はスカートを持ちながら移動して長いソファの方へと移動した。ヴィルレリクさまが座るすぐ近くの方へと座り、それからヴィルレリクさまの手を取って握る。
「ヴィルレリクさまがそうしなければ、もっと前にマドセリア家は聖画を集めて魔術を発動させていたかもしれません。あの燃えている聖画、綺麗でしたけど近寄ろうとは思わないようなものです。それを奪おうとしたなら、それは伯爵の意思です。ヴィルレリクさまがやったのではありません」
「でも実際に伯爵は死んだから」
「そのおかげで私たちは生きてます。今まで、貴族も王族も無事に生きてこれました。それもヴィルレリクさまが行動してくれたからではないですか?」
自らのことを人殺しと言ったヴィルレリクさまは、その言葉で傷付いているようにも見えた。
前に魔力画の放火と盗難があったのは10年以上前の話だ。まだ子供だったヴィルレリクさまが、自らの血を使った魔術を使用するのはどれほど怖かっただろう。執念に支配された人間がなお奪おうとしてくるのも、その人間が息絶えるところを見てしまったのも、どれほど恐ろしいことだっただろう。
「ヴィルレリクさま、守ってくれてありがとうございました」
どうか自らを責めないでほしい。恐れられて当然の人間だと思わないでほしい。
両手でヴィルレリクさまの手を握り、琥珀色の目を見つめそう願いながら言う。
ヴィルレリクさまはじっと私を見て、それから顔を伏せた。しばらくしてから小さく「うん」と返事が聞こえる。そっと私の手を握るヴィルレリクさまの手を、私はしっかり握る。
まだ顔を伏せているヴィルレリクさまを見ながら、この手をずっと握っていたいと思った。




