沼はどこにでもあるようです7
「魔力画、楽しい……」
リュミロフ先生の言っていた通り、この学園にはあちこちに魔力画が飾られてあった。卒業生からの寄贈品であったり、感性を育てるために学園が買ったりしたものも多いけれど、生徒が在校中に制作した作品で優秀なものも飾られている。
早速修養科目で美術を選択したけれど、まだ魔力画についての授業はない。そこで図書室で魔力画に関する本を借りて読んだり、リュミロフ先生に質問したりして私は魔力画について知っていった。
魔力画を描くということは、描画とプログラミングを融合させたような作業になるらしい。魔力素を含んだ画材を使い、思っている通りに動かすために魔術文を用いる。顔料がそのまま動くようにするタイプもあれば、固定された塗料が色を変えるために動いているように見えるものもある。中には発光したり音楽を奏でたりするものもあって、その種類はかなり多かった。
この世界では魔法は使えないけれど、魔力素というものを含む素材を組み合わせることによって前世でいうところの科学に似た技術がある。日本のようにハイテク機器が溢れているわけではないけれど、明かりや料理など、生活していく分に不自由がない世界なのはありがたかった。
土地も豊かなので食べ物に困ることもなく、隣国との関係も良好。だからこそ平和で、芸術が好まれている。
「リュエット、また魔力画の本見てるの?」
「ミュエル」
文化的な生活を噛み締めていると、明るい金色の髪をした女の子が声を掛けてくれた。
ミュエルは、私と同じローザさまとマリアさまに学園のことを教えてもらっている新入生。私より少し背が高く、紫の瞳が宝石のようで、制服の胸元についている赤のリボンがよく似合っている。
「本当に好きなのね。やっぱり今度うちに遊びに来たらいいわ。うんざりするほどいっぱいあるから」
「うん、行かせてほしいな」
明るくて、そしてとても優しい子だ。
ミュエルのお父さまが魔力画の収集家で、お屋敷には沢山の魔力画が溢れているというのだから羨ましい。
学園生活にも慣れてきたから、とお誘いしてくれているのも嬉しかった。女の子同士で遊ぶのは、やっぱりワクワクする。
「ミュエルのお家が寄贈した魔力画も見てきたよ。すごく大きくて緻密で素敵だった」
「そうなの。私は何がいいかわからないけど、リュエットが楽しんでくれたならお父さまも寄贈した甲斐があったと思うわ」
ミュエルが選択した修養科目は音楽。一番人気の科目で、新入生の6割近くが音楽を選んでいるそうだ。ミュエルは小さな頃から弦楽を習っていて、演奏もとても上手だと先生が褒めていた。
「音楽も楽しいわよ。色んな方と演奏するのはとても楽しいし、お友達が増えるわ」
友達が増える。
そう、音楽、いや楽器は、攻略対象との出会う確率をアップさせる効果があるのだ。
授業が始まってから思い出したことだけれど、修養科目というのは、乙女ゲームの中で収集するアイテムそれぞれに対応していた。
絵画、彫刻、そして楽器。
ミニゲームをプレイしてドロップするそれぞれを一定数集めると、特典が得られるシステムだった。
楽器は使用するとキャラとの遭遇イベントが起こり、イベント中などは確率で新キャラも出る。
彫刻品は好感度を上げるために必要なアイテムに換えられる。
そして絵画は、ミニゲームを進めるための体力へと変換できるというものだった。
ドロップしたアイテムを使って、遭遇したキャラとの恋愛を進めることができる。アクセサリーを付け替えることによって、それぞれのドロップ率を変えることもできたのだ。
前世の私は、ラルフさま激推し。というか、ラルフさましか目に入っていなかった。
なので私はもっぱら絵画、そして彫刻を集めることに熱中していた。
現世でも絵画というか魔力画に夢中になり、そして音楽は昔から苦手。
これが因果というものだろうか。
「楽器が下手でも丁寧に教えてくださるし、先輩方もコツを教えてくださるから、きっと上達するわよ。専攻していなくても参加できるけれど、リュエットもやってみない? 男性だって見慣れたら怖くないわよ」
「いやぁ……私は美術でいいかなぁ……」
イケメンが眩しいというのもあるけれど、単純に男性と触れ合う機会がなさすぎて気後れしている。
お父様とお兄さま、それにお屋敷で働いている人たち以外には、女学校の先生くらいしか男性と喋ったことがなかった。子供の頃に他の家の子供と遊んだこともあったけれど、やんちゃ盛りな男の子に付いていけなくて部屋に閉じこもっていたのである。
前世でも似たような感じだったから、こういう星の元に生まれているのかもしれない。
やっぱりイケメンは遠くから眺める方がいい。貴族としてはいつか結婚もしないといけないのだろうけれど、まだ先の話だ。
「まあいいわ。それより今日、大通りのカフェに寄ってから帰らない? ケーキが美味しいそうよ。大きな魔力画もあるんですって」
「ぜひ行きたい!」
「急に勢いを取り戻すのねえ……」
今は魔力画と友達と勉強と、あとケーキだけでお腹いっぱい。
地味ながらも楽しい人生を送ろうと思う。
授業を終え、ミュエルと一緒に馬車に乗ってカフェを目指す。うちの家の馬車は、一度お兄さまを送ってからまた迎えに来てくれるそうだ。
「見て、あのケーキ! すごく可愛い!」
「ほんとだわ。それに魔力画もすごい!」
「あなたそっちしか見てないじゃない……」
色とりどりの花が飾られたカフェは、入った正面にある階段の踊り場にとても大きな魔力画が描かれていた。
お店をイメージした、賑やかな店先に楽しそうな人々。ケーキを運ぶ人にそれを食べる人、おこぼれを狙う小鳥に猫。それらが全て動いている。
絵の中のほとんどが動いているのに、色がキツくないせいか変に視線を集めるでもない。華やかな店内に溶け込んでいながらも、よく見ると溜息が出るほどの美しさだった。
お店の人に案内されてソファーに座っても、美しさが頭に残っている。
「リュエット、注文も済んだことだし気になるなら見てきたら? 私はここで座っておくから」
「ありがとう、少し見てくるね」
短い付き合いながら私のことをよく知っているミュエルは、片眉を上げながらもそう言ってくれた。このお店も、私が絵を気に入ると思って選んでくれたようだ。
お礼を言って席を立ち、邪魔にならないようにしながら魔力画の方へ移動する。そして忙しそうに立ち回っているエプロン姿の女性に声を掛けた。
「あの、魔力画を近くで見たいのですが、構いませんか?」
「ええお嬢様、どうぞご覧ください。うちの自慢の魔力画ですから」
「ありがとう」
立派な絵なのでこういう申し出も珍しくないのか、快く頷いてくれた。
短い階段を上り、行き当たった絵を見上げる。
「すごい」
給仕に案内された、豪華なドレスの女性が画面の中央に座る。同行している男性と喋っているように動いて、やがて美味しそうなケーキが運ばれてくる。その隣では銀のポットを高々と掲げ、小さなカップに飲み物を注いで注目を集めている給仕もいた。退屈そうな子供に、日差しから客を守るために幌屋根を広げる店主。小さなクッキーを啄んで尻尾を上下させる鳥、それを狙う猫。
魔力画は同じ動きを繰り返す仕組みになっているものがほとんどだけれど、この魔力画は一連の流れが長く、しかも繋ぎ目がわからないほど自然に繰り返されている。しかも絵としての技巧も高く、日差しと影の境目など温度を感じそうなほどだ。
夢中になって見ていたせいか、隣に人が立っているのに気が付いたのはしばらく後のことだった。
ふと意識が現実に戻って隣を見ると、すぐ近くで同じように絵を見上げている人がいる。
「あっ!」
思わず声を上げると、その人の視線が絵からこちらに移った。
「こんにちは」
心地よく低い声に、ゆっくりと細められる琥珀色の瞳。高い背と白い髪。
こないだのラスボス系男子。
「こんにちは……」
幽霊じゃなかったんだ。
ぼんやりとそう思いながら、私は挨拶を返した。