真実はここで見つけるしかないようです1
サイアンさまが私の右手を掬うようにして取る。そして何かを握らせた。そっと手を開いて見ると、細い髪の束が目に入る。明るい金の髪が、見たことのある柄の端切れで結ばれていた。
ミュエルの姿が脳裏に浮かぶ。
お兄さまの目が、心配そうに私を見つめている。ヴィルレリクさまの目が、静かにこちらを観察している。そしてサイアンさまの目が、私に決断を迫っていた。
「……私、」
大きく息を吸って、それから大きく息を吐いた。
もう一度吸ってから目の前の人物を睨み返す。
「着替えてまいります」
さっと礼をして、それから早歩きで扉へ向かう。私を呼ぶお兄さまの声が聞こえたけれど、それに返事もしないで私は自室へと急いだ。心配そうに覗くお母さまとも目が合ったけれど、今は事情を説明している暇はない。
「ネル、外出するわ。手伝ってちょうだい」
「はい、お嬢さま」
ネルへ指示をしながら階段を登り、部屋へと入る。壁に飾ってある、3羽の鳥が寛ぐ絵画が目に入った。準備をするためにクローゼットの方へと向かったネルを待ちながら、その絵画にそっと触れた。魔術も特殊な塗料も使っていないそれは、軽く持ち上げるとあっさりと壁から離れる。
柔らかそうな羽を膨らませ、穏やかに並んでいる鳥を見ると少し心が落ち着いた。短く息を吐いて、それから絵画を机の上に置く。
「お嬢さま、準備が整いました」
「今行くわ」
しばらくすると、ネルが着替えのための衝立を用意しながら声をかけてきた。その中へと入って、ドレスを脱がせてもらう。
「髪は簡単にでいいからまとめてちょうだい。靴もあの青い慣れたのがいいわ」
「かしこまりました。でもお嬢さま、このドレスで良いのですか? 歩くお出かけなら、もう少し動きやすいほうが」
「このドレスがいいの」
ネルはしばらく私を見たものの、頷いてそれからは手を動かすだけだった。私にドレスをきせて靴を履かせポケットの中身を移す、髪を編みながら纏める。それから装飾品を付け終わると、できましたとそっと告げた。
「ありがとう、ネル。ついでにお願いしたいことがあるのだけれど、聞いてくれる?」
「何なりと」
ネルにお願いをしてから、私はポケットを生地の上からそっと確かめる。もう一度鏡の前で姿を確認し、それから部屋を出た。
階段を降りながら玄関ホールを見下ろすと、階段のすぐそばにサイアンさまがいる。そしてお兄さまとヴィルレリクさまもこちらを見ていた。
ゆっくりと階段を降りて、サイアンさまの差し出した手に自らの手を載せた。
「リュエット嬢」
「お待たせいたしました、サイアンさま」
「リュエット」
歩き始めようとした私たちを引き留めたのは、ヴィルレリクさまだった。
「リュエット、危ない真似はしないって言ってたよね」
「……ごめんなさい、ヴィルレリクさま。私はサイアンさまと出掛けます」
「行ったら死ぬって言っても?」
ヴィルレリクさまの琥珀色の目は、こんなときでも澄んで美しく見えた。私が魔力画家だったら、その輝きを絵に閉じ込めたくなっただろう。
何もかもやめて、ヴィルレリクさまにここで打ち明けてしまいたくなる。けれど、ミュエルの身を危険に晒すわけにはいかない。
サイアンさまの手を離して、私はヴィルレリクさまに近寄った。両手で彼の手を取り、ぎゅっと力強く握る。
「ヴィルレリクさま、どうぞごゆっくりお過ごしください。私はすぐに帰ってきますから」
琥珀色を見つめてそう念を押す。離れると、今度はお兄さまが私の手を握った。
「リュエット、私も連れて行け」
「お兄さまも来ないで。お願い」
「どう見ても尋常じゃないお前の言うことを聞けと言うのか? こいつに何を言われた」
サイアンさまは表情を崩さずに私を待っている。
お兄さまに首を振ると、私は再びその手を取った。
「お兄さま、ヴィルレリクさま、それでは行ってまいります」
「リュエット!」
振り向くと弱音を吐いて逃げてしまいそうなので、お兄さまの声は聞こえないふりをして玄関を出た。家令のヨセフが心配そうにこちらを見ながら見送りをしている。
「私たちの馬車を追わせないで、ヨセフ」
「……いってらっしゃいませ、お嬢さま」
踏み台に乗り、黒く無骨な馬車へと乗り込む。向かいにサイアンさまが座ると、馬車は静かに出発した。
「ミュエルは無事なのですか?」
「誰にもこのことを漏らしていないか?」
「……喋っていません。ミュエルは?」
「無事だ」
不意にサイアンさまが立ち上がり、こちらへと迫ってきた。
「何をするのですか!」
「道を覚えられても困る。目隠しをさせてほしい」
板で塞がれた小窓の近くへと逃げた私に、サイアンさまは黒く細長い布を見せた。私がそれをきちんと認識するまで待って、それからゆっくりと布を私の目に近付ける。頭の後ろで結ぶと、サイアンさまが離れて向かいに座り直した音が聞こえてきた。
「無礼を詫びる。しばらく移動が続くが我慢してくれ」
目隠しの他には、サイアンさまは何もするつもりがないようだった。あからさまにならないように、細く息を吐き出す。
サイアンさまが近付いてきたとき、何か危害を加えられるのではないかと恐ろしくなった。
魔力画を手に入れるために私を使おうとするのならば、その目的が達成されるまでは私は無事でいられると思っていた。けれど、命だけは無事なら構わない、と思うかもしれない。あるいは、脅すために死なない程度の危害を加えるかもしれない。その考えが形を持って動き出していたかのように感じられて、手が少し震える。
意識的に呼吸して、私はポケットに手を入れた。サイアンさまに渡された髪束をそっと撫で、それから巾着に入った魔力画の額縁をなぞる。反対の手で身嗜みを整えるように、ネックレスに触れて、それからドレスも確かめた。
暗い視界の中で魔力画を思い浮かべ、それから琥珀色の目を思う。
大丈夫。きっと上手くいく。
馬車が減速するまで、私はそう願い続けた。




