悪意はいつどこにあるのかわかりません21
お兄さまとヴィルレリクさまが、同時に立ち上がる。両方から優雅に手を出されて私は困惑した。両側から差し出されれば、どちらの手も取りかねる。
「リュエット、どうぞ」
「リュエット、保護者としてお兄さまも同席しよう」
「それがあの、2人でお話を、と」
お兄さまの顔が、お父さまが外国土産に買ってきた屋根に載せる魔除けの神獣のような顔になっている。ヴィルレリクさまもますます目を細めていて、侍女のネルは小さくなりながら音も立てずに下がっていってしまった。一人にしないでほしい。
「リュエット、もしかしてサイアン・マドセリアが来てるの?」
「どうしてわかったのですか?」
「わかるよ」
「そうだ。わかる。お兄ちゃまにもわかるぞ」
ネルの話によると、サイアンさまの使者が「緊急で伝えたいことがある。どうか内密に2人で話をしたい」とやってきているらしい。
本人は我が家に来る気はないようで、近くに馬車を止めているそうだ。
内密にと言われても、今の状況でそういう身勝手な行動をするわけにはいかない。少し迷ったけれど伝えられた内容をお兄さまとヴィルレリクさまに伝えると、2人の眉間に揃って皺が寄った。この2人、意外と気が合うのかもしれない。
「怪しすぎるだろう。淑女への訪いとしてもマナーがなっていない」
「そうだね。応える必要もない」
「でも、サイアンさまはその、犯人ではないのですよね? マドセリア家からも魔力画が盗難されていたわけですし」
マドセリア家は魔力画が燃えた際にあまり良い対応をされなかったし、そのうえサイアンさまはいきなり誘ってきたりしていた。そのせいでかなり怪しんでいたけれど、マドセリア家も魔力画を盗まれていたとなれば被害者だったことになる。
内密の用事というのは何かわからないけれど、おそらく例の魔力画作品群について警告をしにきてくれたのかもしれない。
そういうと、ヴィルレリクさまは顰めた顔の力を抜いた。なぜかお兄さまは慈愛の顔で私を撫でようとしてくる。避けると傷付いた顔をされた。
「リュエット、被害者だからといって犯人ではないとは限らないから」
「そう……でしょうか?」
「むしろ頭が回る犯人なら、疑いを晴らすために被害者を装うこともあるだろうね」
「そんな」
マドセリア家の火災被害はそう小さなものではなかった。魔力画は私が見た限り少なくとも1枚は修復不可能なほど激しく燃えてしまっていたし、それを飾ってあったホールの壁も無事では済まなかっただろう。大きさからしてメインホールだったから、マドセリア家で開催する集まりに大きく影響したはずだ。
壁の修繕が済んだとしても、火事が起こった場所へすぐにお客を通すわけにはいかない。少なくとも今年いっぱいは使うことを避けることになるだろう。もちろん、貴重な魔力画を失ってもいる。
それを自ら起こしたというのであれば、相当な被害を覚悟の上でのことになる。
「……それではサイアンさまは、私を使って脅そうとしているのでしょうか?」
「それはまだわからない」
「はっきりさせるべきだな。ヨセフ!」
お兄さまが家令を呼び寄せて、サイアンさまを家に招待するようにと伝言を頼んだ。
「どうしてもリュエットを呼び寄せたいと言うなら、このお兄ちゃまがどこまででもついていくと伝えてくれ。ついでにヴィルレリクもな。おそらく父上も付いてくるだろうが、それでも良ければそう言うがいいと。ついでにヨセフも一緒に行くか?」
「お兄さま……」
「畏まりました、そのようにお伝えしてまいります」
ヨセフもお兄さまの言動には慣れているので慇懃に頭を下げて行ってしまったけれど、流石にそんな大所帯で行くのはどうかと思う。
「さあリュエット、お茶の続きといくか。冷めてしまったな、お兄ちゃまが淹れ直そう」
落ち着かない気持ちながらも、お兄さまに促されて私は再び席に着いた。お兄さまは変わらずお茶を入れているし、ヴィルレリクさまも何事もなかったかのようにそれを飲んでいた。
犯人かもしれない人が来ているというのに、2人とも随分と落ち着いている。
差し出されたお茶を一口飲むと、すっとお皿が差し出された。
秋桃のタルトが載っている。
「リュエット、そんなに心配しなくても大丈夫」
「ヴィルレリクさま……」
「相手が単身来るならこちらに利があるから、リュエットの命が危険に晒されることはない」
命単位での危険判断はどうかと思う。命だけは助かった、という状況になっても困るので、もう少し浅い判断基準はないのだろうか。
応えあぐねていると、ヴィルレリクさまがそっと小さな魔力画を出してきた。
「いえ、大丈夫です。ちゃんと身に付けています」
「そうじゃなくて、リュエットは魔力画を見ると落ち着くから」
「……ヴィルレリクさまにとっての私のイメージってどんなものなのですか」
魔力画さえあれば機嫌がいいなんて、赤ちゃんとおもちゃの関係ではないか。
若干不満に思いながらも、差し出されたので魔力画を見た。池を上から描いた絵は、空が写る水面が揺らめき、時折小さくて鮮やかな魚が横切る。とても可愛かった。
「……かわいい」
「落ち着いた?」
「はい」
悔しいけれど、魔力画の魅力には逆らえない。私が頷くとヴィルレリクさまはおかしそうに目を細める。恥ずかしくなって顔を逸らすと、お兄さまがまた魔除けの神獣みたいな顔をしていた。




