悪意はいつどこにあるのかわかりません13
「じゃあ、私はお先に失礼するわ」
「うん、ミュエル、気をつけて」
帰り道と、それから週末に開かれる魔力画好きが集まるお茶会に対しての意味を込めてミュエルに声を掛ける。ミュエルはにっこりと笑って「ちゃんと魔力画も持ってるから大丈夫よ」と答えてから、ヴィルレリクさまたちにもお辞儀をして去っていった。
「ラルフ」
「やあ、ティスラン、リュエット嬢も」
「ごきげんよう、ラルフさま」
立ち上がってお辞儀をすると、ラルフさまは気さくに微笑みかけてくれた。
今日も推しが眩しい。
「あ、飲食中に失礼。もう少ししてから移動しようか」
「お気遣いありがとうございます。でもお時間を割くわけにはいきませんから、よろしければ行きましょう」
ミュエルの言った通り、今日起こった災難のうちいくつかの犯行が誰かしらに思いを寄せている人による嫌がらせだとしたら、人気の高さを鑑みてもラルフさまのファンが犯人という可能性はそこそこあると思う。ヴィルレリクさまもかっこいいけれど、ラルフさまは生徒会長をされていることもあって全校生徒に顔が知られているほどの人だからだ。
ラルフさまの気遣いを断るのは心苦しいけれど、残り少ないホットチョコレートのためにまた悪戯をされるリスクを上げたくはない。
「待てリュエット。お兄ちゃまはまだパフェを食べているぞ。ほら、フルーツを食べるか?」
「ヴィルレリクさま、ラルフさま、兄は置いていきましょう」
「ティスラン、妹君に嫌がられてるぞ」
「黙れラルフ、決してそんなことはない」
年上で、イケメンで、気さくで、生徒会長のラルフさまに対してなんて乱暴な口を。
私は帰ったら料理長に辛い料理を作ってくれるよう頼むことにした。甘いものは大好きだけれど、辛いものが苦手なお兄さまへの些細な復讐である。
お兄さまがお行儀悪くパフェをかき込むのを待ってから、私たち4人は場所を移すことになった。
「あまり人のいるところでしたい話ではないからね。生徒会の準備室で構わないかな」
「はい、ありがとうございます」
頷いて、ラルフさまとお兄さまが並んでいる後ろを歩く。お兄さまも生徒会の役員をしているためか、2人はとても気さくな関係のようだ。生徒会の仕事の話をしながら、時々冗談を言い合っている。
お兄さまもお父様の血を継いでいるので黙っていればかっこいい部類に入る。妹という立場でなかったら、絵になる光景だと思ったかもしれない。
「リュエット、午後は大丈夫だった?」
「はい、教室に閉じ込められかけたりゴミを入れられたりしましたが、特に危険は感じませんでした」
「大丈夫の基準はそこじゃないと思うよ」
お兄さまたち2人が先に歩いたので、自然とヴィルレリクさまが私の隣に並んだ。
琥珀色の目が心配そうに私を見つめて、それからそっと手を差し出してくる。
青いワニの描かれた魔力画だった。
ありえない色ながらも写実的に描かれたワニは、絵の中でゆっくりと片手を上げたり下ろしたりしている。
わずかに牙が見えるほど口を開けている角度が見ようによっては笑っているようにも見えるけれど、ワニなので全体的に獰猛そうである。
「念のために」
「いえ、もう3枚も持っているので、ポケットに入りません……が、見てもいいですか?」
「どうぞ」
ヴィルレリクさまは頷いて、手のひら大の長方形を渡してくれた。全体像を描くためにか、横長サイズである。
ワニの背中のギザギザまでが忠実に描かれていて見応えがあるけれど。
「……なぜ青いのでしょう?」
「夢で見たから」
「夢?」
「そう言ってた」
ヴィルレリクさまの言葉に私は頷いた。
なるほど、夢の中ならワニが青色でも片手を上げていてもニタリと笑っているように見えても不思議ではない。
「すごいですね。絵を描かれる人の夢は、幻想的な生き物が沢山出てくるのでしょうか」
「さあ、普通だと思うけど」
「でも、こんなワニ、私は夢でも見たことがありません」
お父さまはたまに、王城で仕事をしている夢を見ることがあるという。私も授業を受けている夢を見ることがあるし、魔力画家になると魔力画を描く夢を見るのかもしれない。
現実では存在しないモチーフを描く夢の中の魔力画家。起きてから、夢の光景を実際に描いたりするのだろうか。
私にもし魔法が使えたら、そんな夢の中を覗き見してみたい。
そう語ると、ヴィルレリクさまは肯定はしないものの否定もせずに少しだけ微笑んだ。
「リュエットは幻想的な絵が好き?」
「こういう不思議な生き物も好きですが、普通の動物も好きです。お昼に貸してくださったフワフワの犬もとても可愛いです」
「生き物が好きなの?」
「はい。でも、木々が風で揺れている絵も素敵ですし、前に見たワインが注がれている絵も面白くて好きでしたし、魔力画ならなんでも好きです」
「今まで見た魔力画で一番好きなのは?」
「一番……ですか?」
かなり難しい質問をさらっとされた。
一番。すぐ思い浮かぶのは円と線で構成されたあの魔力画である。でも、そう即答するには私は魔力画を見過ぎてしまったのかもしれない。
カフェに飾ってあった大きな絵も緻密でいつまでも見ていたいほどだった。小鳥たちが動いている様子もものすごく可愛かったし、マドセリア家で見たものも素敵だった。図書室に保管されているものもいいし、学園内に飾られていたものも素敵なものが沢山ある。もちろん今見た青いワニも良いし、ポケットに入っている魔力画もどれも捨てがたい。
魔力画はどれもが魅力的で、そもそも優劣をつけるのが難しいのだ。
「うーん……一番、ですか……全部素敵だと思いますけど」
「その中で一番好きなのは?」
究極の選択だ。
私が苦悩しながら答えを探していると、いつの間にか前の2人が立ち止まっていた。
「2人とも、ここだよ」
「リュエットどうした。お腹が空いたのか?」
私の苦悩を失礼な方向に解釈したお兄さまは置いておいて、とりあえず助かった。
促されて、私は開けられたドアの中に入る。
難問から逃れてホッとしていたら、続いて入ってきたヴィルレリクさまが「また今度教えて」とそっと囁いてきた。うっと返事に詰まると、琥珀色の目が少しおかしそうに細められてこちらを見ていた。
その目がすごく優しげに見えて、私は慌てて目を逸らした。




