悪意はいつどこにあるのかわかりません12
フヨフヨと泳ぐクラゲ、溶け出すつらら、フライパンの上のポップコーンが弾ける様子。ヴィルレリクさまの持っている魔力画はどれも独特で、それでいてどこか可愛かった。
魔力画に近寄らないようにと言われている状態で、あんなに可愛い魔力画たちを見ることができるなんて。
しかし、そう幸せに浸っていられた時間は長くなかった。
魔力画鑑賞で回復した私の精神力を試すかのように、私の身の回りが騒がしくなったのである。
まず、移動中に上階から植木鉢が落ちてきた。
持ち歩いていた絵画を落としかけてしまい、止まって荷物を持ち直した私の2歩前に落ちてきたそれは、そのまま歩いていたら間違いなく当たっていただろう。
肝が冷えたのでできるだけ屋内を通ろうとしていると、今度は廊下で滑った。
ただ私がうっかりしていただけかもしれないけれど、いつもきちんと整備されているこの学園で廊下が水浸しになっているというのはかなり珍しいことなので、これも私だけの責任ではない、と思いたい。
他にも、昼食のために移動している最中に、人通りの多い階段で転げ落ちそうになった。ヴィルレリクさまが支えてくれたので大丈夫だったけれど、背中を押されたような感覚があった。流石に怖かったけれど、ヴィルレリクさまがフワッフワの犬がゴロゴロしている魔力画を持たせてくれたのでちょっと持ち直した。
もうできるだけ移動は最小限、人通りの少ないところを歩こうと、ミュエルと一緒にクラスメイトが行くのを待ってから教室を出ようとしたら、なぜか立て付けが悪くて閉じ込められた。たまたま先生が通りがかってくれたのですぐに対処してもらえたけれど、どういうわけかドアの鍵が溶けていて開かず、ミュエルの提案で踏み台を用意してもらって窓から出ることになった。一階でよかった。
それらに比べるとかなり地味だけれど、他にも机の中にゴミを入れられていたり、ロッカーの中にゴミを入れられていたり、ダンスの授業中に教室に置いていた靴にゴミを入れられていたりと、私の私物がごみ箱に見えたのかと問い詰めたいくらいにゴミまみれになった。
「厄日……?」
「というよりは、人為的なものみたいだけれど」
ちょくちょく私の災難を目撃したミュエルは、授業が終わってからホットチョコレートをご馳走してくれた。花の形に絞られたホイップクリームが載っていて、濃い甘さが心を癒してくれる。
「それにしても、なんだかちゃっちい出来事が混ざってるわよね」
「ちゃっちい?」
「そう。例えば植木鉢って、まあ殺傷能力はあるけれど、昨日みたいに石が飛んできた方が危ないと思わない?」
「どっちも危ないと思うわ」
「でも、上の窓が開いていたってことは、誰かが落としたわけでしょう? 石は魔術で飛ばしたのに」
クリームをつつきながら頷く。
あの時、上階の窓に人影を見たと証言してくれた人が何人かいた。魔術ではなく重力を使っての攻撃だったらしい。
「魔術は難しいから、手軽なものにしたのかも」
「廊下が濡れていたのも謎よね。滑って転んだら痛いけれど、そうそう大怪我にはならないでしょうし」
「スカートが膨らんでるものね。でも、閉じ込められた教室の鍵は金属なのに溶けてたでしょう?」
「あ、あれは魔術を使ってそうよね。犯人はまさか私たちが窓から出るとは思わなかったのかも」
淑女たるものしとやかにあれ、というのが貴族の共通認識である。
椅子を台にして窓枠を跨ぎ超え、踏み台に着地して外に出るなんて、お母さまが見たら目を回してしまうだろうし、クラスメイトでも躊躇う子が多いだろう。
とはいえ、教室に閉じ込められても命の危険を感じるほどではない。人通りはあるし、放課後になればお兄さまやヴィルレリクさまが探してくれただろうから、出られないとしてもせいぜい数時間だ。餓死するほどの時間でもないし、お花摘みが心配なくらいだろうか。
「私が思うにね」
クリームをかき混ぜながらミュエルがそっと呟く。
「今日の出来事は犯人が2人以上なのではないかしら」
「2人以上?」
「魔力画を燃やして石を投げ入れた犯人と、それからちゃっちいイタズラをしようとした犯人。こっちが、植木鉢を投げたり廊下を水浸しにしたり、ゴミを放り込んだりしたのではないかしら」
「なるほど……なら、ゴミは魔力画の犯人じゃないかしら」
「どうして?」
私はホットチョコレートを脇に寄せて、鞄の中に入れていたものをテーブルに並べる。クシャクシャと丸まったものは私の机やロッカーに入れられていたゴミだ。ミュエルがクリームを食べながら顔を引き攣らせた。
「リュエット、あなたゴミを持ち歩いてたの?」
「ゴミというか、これ、絵画じゃないかなと思ったの。見て、ぐちゃぐちゃな色だけれど顔料でしょう?」
「あ、本当。絵の具だわ」
丸めて突っ込まれていたときにはただのゴミだと思っていたけれど、広げてみると、このゴミたちはどれもキャンバス生地に顔料が塗られているものだ。乾いた絵の具がひび割れて剥がれているところもあるけれど、全てのゴミを広げてみると、どれも絵画を引き裂いたものだということがわかる。
「ほらここ、繋がりそうじゃない? これはこっちで……でね、裏返すと細かく文字が描かれてるでしょう? 魔力画だったんじゃないかって」
「よくわかったわね。リュエットの魔力画愛はすごいわ、本当に」
「こんな許せない仕打ちをする犯人は一人だけだと思いたいわ」
「待て、では魔術や魔力画に関係ないものについては、別の犯人だということか。なぜ、何のために、どんな理由があって我が妹にそんなことを」
ずっと黙ってパフェを食べていたお兄さまが真剣な顔をして口を挟んできた。
「さあ。リュエットは最近ヴィルレリクさまやらサイアンさまやらと接点があるし、誰かの妬みを買ったのかも」
「リュエットはそんな奴らに対して何とも思っていない。何とも。そうだなリュエット。そうだとお兄ちゃまに言っておくれ。クリームあげるから」
「いりません」
一連の事件のインパクトが大きくて忘れがちだけれど、そういえば、ヴィルレリクさまもサイアンさまもかなりのイケメンだ。イケメンの溢れるこの学園においても上位のイケメンである。
狙っている人たちが、私を邪魔に思ってというのもあるかもしれない。貴族なので基本的にはそういうことをする人たちはいなさそうだけれど。
「ミュエルの推理通りなら……これからヴィルレリクさまとラルフさまにお会いするのだけれど、火に油にならないかしら」
「なるかもしれないわねえ」
ある意味乙女ゲームらしい展開かもしれない。
ちょうどやってきたヴィルレリクさまとラルフさまの姿を見ながら、私はホットチョコレートに口をつけた。




