悪意はいつどこにあるのかわかりません11
「ななな何よこれ!!」
「わかんないわかんない」
混乱したままミュエルにブローチを見せると、ミュエルも一緒に混乱してくれた。
「こんなとこで持ち歩くものじゃないし、ていうか気軽に渡すものでもないわ! 気持ちとして渡されたとしたら重くて逃げる一択じゃないのこんなの!!」
「ミュエル、私今すぐ返したい」
「それがいいわ。あとで盗まれたとか濡れ衣着せられたら怖いもの」
そう頷き合ってからサイアンさまを探したけれど、ミュエルと二手に分かれて探してもその姿を見つけることはできなかった。
いつもはどこからかやってきて特に意味もなく話しかけてきたり誘ってきたりしていたのに、こういうときに限って姿を見た人すらいないとはどういうことなのか。
やがて次の授業の予鈴が鳴ってしまい、私たちは急いで教室に戻る。
「リュエット、次にティスランさまかヴィルレリクさまに会うのはいつ?」
「お昼休みの予定だけれど」
「できたら早めにどちらかに相談しておいた方がいいわ」
「次の休み時間に探してみるわ。お兄さまは確か学習棟にいるみたいだし」
昨夜、お兄さまが自分の授業の予定を書き出した紙を私にくれた。特にいらないなと思いながら受け取ったけれど、こんなに早くに役立つとは。
とりあえずブローチは私のハンカチで包み、とても高価なものを持っているという緊張から気もそぞろに授業を受け、そして終業の鐘が鳴るや否や私とミュエルは教室を飛び出す。先生に怒られないように走らずに、でもできるだけ早く歩きながらお兄さまがいる教室を探す。
「あ、ヴィルレリクさま!」
「どうしたの?」
「大変なんです、助けてください」
たまたま廊下に出てきたヴィルレリクさまを見つけてホッとする。反対に、ヴィルレリクさまは少し眉を顰めた。
「また何かあった?」
「いえ、あの、事件に関係ないのですが、その、サイアンさまが」
「サイアンに何かされたの?」
「ち、違います」
サイアンさまの名前を聞いてますます冷たい顔になったヴィルレリクさまに緊張しつつ、とりあえず人が少ない廊下の端へと移動してもらう。ついでに私の声が聞こえたのか、お兄さまも「リュエットォ!」と叫びながら廊下に出てきたので一緒に来てもらった。
「これは……」
「ほう、かなりの値打ちものだな。石の色艶がかなり良い上に、加工も一流だ。花を模したような配置は二百年ほど前に流行した形。おそらく当時のものだろう。丁寧に手入れされていて状態も良い……リュエット」
「なんですかお兄さま」
「もしかしてサイアン・マドセリアに求婚されたのではないのか?」
お兄さまの言葉に、ミュエルとヴィルレリクさまの視線が私に集まった。
「されてません! お兄さま変なこと言わないで」
「おそらくこれは代々伝わってきた代物だろう、他人に渡すとなると、そういった理由しか思いつかん。言っておくが、お兄ちゃまは許さんぞ」
「だから、ハンカチを貸していただいたのでお礼をしますって言ったら、なぜかもらってくれって言われたんです。断って、失礼だけど逃げようとしたら握らされて、探してもサイアンさまはどこにもいないし……」
「ちょっとティスランさま、リュエットが困ってるときにまで変なこと言わないであげてください!」
「ミュエル嬢、それは私が常に変なことを言っているように聞こえるが」
「きちんと意味が通じたようで嬉しいですわ」
ミュエルが私の肩を抱いてお兄さまと言い合う。
もしこのブローチが恋人から貰ったのであれば、それは求婚の意味を果たしたのかもしれない。しかし私とサイアンさまは接点もほとんどないし、仲良くなるような出来事も特にないまま今に至っている。家同士の交流だって疎らだ。求婚する意味も理由もわからないし、それはそれで怖い。
「とりあえず」
言い合う二人の声が、ヴィルレリクさまの静かな一声でぴたりとおさまった。ブローチを検分していたヴィルレリクさまが、その大きな宝石を見せるように持ち上げる。
「サイアンが何か思惑を持ってこれを渡したことには違いないみたいだね」
「やはり求婚か……リュエット、お前の爪先がお兄ちゃまの足を踏んでいるぞ」
「それはどうかわからないけれど、ここ。魔術が刻まれてる」
示されたのは、ブローチの裏側。
ピンが付けられている金属の台座が、扉のように開いて宝石の裏側が見えていた。ヴィルレリクさまの手には小さな工具のようなものがあって、それで開いたらしい。ミュエルとお兄さまと一緒に、その手元に吸い寄せられるように示された台座の内側を見る。
鈍い金色のそこには、よく見るとごく細かい模様のようなものが彫り込まれていた。かなり細かく彫られているので、遠目に見ると少し色の明るい金属のように見える。
「宝石は魔力を多く秘めやすい。おそらくこの台座も魔素を含んでる」
「ヴィルレリクさま、この魔術はどのようなものですか?」
「こういう方面は専門じゃないから、詳しく見てみないとなんとも。ただ、持ってるだけで死ぬとかそういうものではないと思うよ。魔力画が反応してないから」
はっと気付いてポケットからお守りの魔力画を取り出す。四角い額縁の中にいる貴族の服を着た猫は、退屈したようにくわーとあくびをしていた。静物画風の絵も、りんごが相変わらず転がっている。
何ともないのを確かめて私はホッとした。
「よかったわね、リュエット。でもヴィルレリクさま、物語じゃあるまいし、呪い殺すような危険な魔術を仕込むことができますの?」
「宝石はかなり強いから、できないとは言い切れない。魔術にかなり詳しくないとできないけれど」
「そんなことができるなら、例えばこれをリュエットに持たせることで、いつでも居場所を探し当てたり、遠くから石を当てるときなどにも標的にしたりできるかもしれませんわね」
ミュエルの言葉に恐ろしくなり、私はそっと魔力画を抱きしめた。
ヴィルレリクさまと目が合う。怯えている私をじっと見つめて、それからミュエルに頷いた。
「可能性はあるね。ただ、これは彫られたのもかなり前だろうから、リュエットを標的にするために魔術を作ったというものではないよ」
「なるほど。もし石に当たりやすい魔術などを掛けていれば、歴代の持ち主が怪我をしまくっていわく付きになっているというわけだな」
「でも、だからって油断はできませんわ。リュエットが怪我するかもしれないもの」
「確かにそれは許せん」
さっきまで反発しあっていた2人が、うんうんと頷き合っている。
それを眺めていると、リュエット、とヴィルレリクさまに名前を呼ばれた。
「これは一旦預かってもいい? 調べたいから」
「あ、はい、お願いします。すぐにでも返したいのですが、サイアンさまが見つからないし」
「もし見つけたら、僕が持っていったって伝えておけばいいから」
「……正直、持っているだけでも気疲れするので、そうしていただけるとすごく助かります」
「うん」
ヴィルレリクさまがいつものように優しく頷いて、私はようやく落ち着いた。
「心配しないでいいから」
「はい。ありがとうございます」
「魔力画、もう一枚持っていく?」
「いえ、大丈夫です」
もう一枚、と言いながら、ヴィルレリクさまが懐から取り出したお守りの魔力画は3枚くらいあった。
流石にそんなに持てない。
けれど絵柄は気になったので、ヴィルレリクさまに頼んで見せてもらった。
非常に充実した休み時間になった。




