悪意はいつどこにあるのかわかりません8
「リュイちゃん!! 窓ガラスが割れたんですって? 怖かったわねえ」
「あ、お母さま、抱きついたら危ないかもしれません」
「まあまあ」
授業を終え家に帰ると既に連絡が入っていたようで、心配そうなお母様が両手を広げて近付いてきた。一応着替えはしたけれど、どこかにガラスが残っていると良くないので慌ててそれを避ける。お母さまの前にお兄さまを差し出しておいて、お母さまはお兄さまが大きくなりすぎたと文句を言っている間に私はとりあえず先にお風呂に入らせてもらった。
侍女ふたりに手伝ってもらって、髪も丁寧に梳き直す。普段よりも長い入浴時間になってしまったけれど、今日のお湯には複数の香油が混ぜられていて楽しんで入浴できた。
夕食がまだなのできちんとしたものに着替えながら、ふと思い出す。
「ねえネル、クローゼットを見てもいい?」
「はいお嬢さま。そろそろ冬物も準備してございますよ」
私の着る服は、いつも私の侍女であるネルが天気と用事を考慮して大体決めてくれる。ネルの実家が大きな仕立て屋さんなので、いつも派手すぎないけれど流行を取り入れた可愛いスタイルを見つけてくれるのだ。
だから普段はクローゼットを覗くことはないのだけれど、私は確認しておきたいことがあった。
雪をイメージした、ごく淡い青とも緑ともつかない色のドレス。肩が出ているけれど襟ぐりや袖に柔らかい毛皮が使われていて見た目ほど寒くないそうだ。細かい銀の刺繍で施された模様は、裾にいくにつれて色付き控えめな若葉と小花が散るものに変わる。レースの手袋と、大ぶりの真珠を繋げたネックレスを合わせて着れば冬にぴったりの装いになる。
「このウエストからのライン、お嬢さまにぴったりに仕上がってますね。髪は編み込んで結ってもいいし、緩く流れるのもきっと綺麗ですわ。優しい髪色ですから、ドレスとの差がくっきりしすぎず、寒々しくなりすぎもしないでしょうし。この真珠もとっても似合います」
「ありがとう、ネル」
ネルが見せてくれた、めちゃくちゃ可愛いドレスには見覚えがあった。採寸の時に見せてもらった絵でではなく、夢のようにぼんやりとした記憶として。
課金ドレスである。
前世の私が課金した「お正月スペシャルセット」。ひとり限定5個まで購入できるものだったけれど、私が買ったのは1セットのみ。1万円だったので、それでもかなり奮発した方だと思う。
ドレスとネックレスの他に入っていたのは、絵画20、壺3、楽器3。3種類のアイテムは、それぞれ絵画がミニゲームを進める体力、集めてキャラ専用アイテムと交換できる壺、使うとキャラとの遭遇率が上がる楽器である。これらについては通常のゲームでも手に入りやすいアイテムだけれど、ドレスとネックレスは違う。
ゲームに出てくるアイテムなら、どれでも望むものに引き換えできる特殊アイテムだった。
今は既に入手できなくなったアイテムにも引き換え可能だったので、発表された当時は確か話題になっていたのである。私は取り逃してしまったラルフさまの限定イベントがどうしても見たくて、それに必要なアイテムに交換するつもりで買ったのだ。
「ネル、このドレスって売ったらいくらくらいになる?」
「お嬢さま……お小遣いが足りないからって仕立てたばかりのドレス売っちゃダメですよ! すぐ奥さまにバレます!」
「違うの違うの、例えばの話だから! あとお小遣いは足りてるから」
長い付き合いだからか、ネルは疑わしそうに私を見た。確かに昔はお小遣いが足りなくてネックレスを売れないかと思ったことがあるけれど、さすがにもうそんなことはしない。怒られたし。
「そうですねえ。これは冬物ですし、いい毛皮と生地を使っていますから、普段着のドレスよりは3倍くらい高いでしょうか」
「3倍……でも、別荘は買えないわよね」
「買えませんよう、流石に。価値でいうとこの真珠のほうが高いですけど、それでも無理だと思います」
交換できるアイテムの中に「別荘」というものがあった。ゲーム上では小さなお城のようなアイコンとして表示されていたもので、甘々ルートではキャラをそこに招待してキャッキャウフフするというイベント限定エピソードが見られるのである。かなり人気なエピソードだけれど、イベントの難易度がかなり高く、実際に入手できた人は少なかった。かくいう私もそのひとりで、まさにラルフさまとの甘々エピソードを見ようと思って買ったものだけれど。
流石にこのドレスをどうこうしたところで、別荘を入手できるとは思えない。
ドレスを着てると類稀な幸運に恵まれて大金が手に入り、結果的に別荘が入手できるとか?
それとも現実になった今ではそういう効果はなくて、このドレスはたまたま似ているだけなのだろうか?
「そろそろ冬の夜会があるでしょうし、試着してみますか?」
「いえ、いいわ。ネルのお家で仕立てたのだったらぴったり着られるでしょうし……このドレスはとっておきにしたいの。ネックレスも」
とっさに断ると、ネルは微笑んで頷いてくれた。
気軽に着てみて思いもよらないことに効果が発揮されてしまうと勿体ない。ゲームに相応した効果があるのなら一度きりの使用しかできないことになるし、仮令似ているだけかもしれなくても慎重にいきたい。
「ねえネル、私の楽器ってどこに置いてあるのかしら」
「楽器嫌いのお嬢さまが珍しいですね。確か隣の部屋にありますよ」
「見てもいい? 壺もある?」
「壺……はい、確かあったと思います。でも、本当に珍しいですねえ」
ネルは不思議そうな顔をしながらも頷いてくれた。
課金ドレスとネックレスがあるなら、セットで買ったアイテムもあるはず。
もしそれらが何らかの効力を発揮することができるなら、それは私にとって大きな武器になるのではないだろうか。
前世の記憶がある、だなんて、何の意味があるのだろうと思っていたけれど。
もしかしたら、不可解な事件を解決する鍵になるのかもしれない。




