悪意はいつどこにあるのかわかりません5
朝日が急に眩しく光ったように感じて目を閉じた瞬間に、音と何かが降ってきた。クラスメイトの悲鳴で目を開けると、同じように目を瞑っているミュエルがいる。柔らかなカーブを描く金の髪に、キラキラとしたものが付いていた。
綺麗だな、と思って眺めて、肩に差し掛かるところに大きめの物が見え、それがガラスだったと気付いた瞬間にぞっと背筋が冷える。ミュエルの髪以外にも、机の上にも、ガラスの破片が散らばっていた。
周囲は騒然として、その場を離れる者、先生を呼ぶ者など慌ただしく動いている。
「ミュエル」
「動いちゃダメ! リュエット、ガラスが付いてるわ」
「ミュエルにも付いてる。じっとしてて……私はお守りを持ってるから大丈夫」
私の位置から見て、窓は左側にある。割れたそこから飛んだ細かい破片が、ミュエルの体の右手側にいくつも付いていた。こめかみのあたりに小さくても鋭い形のものが付いていて、下手に動くと傷が付きそうだ。
それを払おうと手を動かすと、ガラスの破片が落ちるチリチリとした音が鳴った。ポケットからハンカチを取り出して、それで肌を守るようにミュエルにそっとあてながら指で破片を落とす。顔や首の周りと、肌が出ている手の近くを払うと、黙ってじっとしていたミュエルが片眉を上げて笑みを浮かべた。それから今度は私のガラスを払ってくれる。
「ダンスのレッスンがない日でよかったわね? 私たちの乾かすのもめんどくさい髪って防具にもなるみたい」
「ミュエル、怪我は?」
「ないわ。さ、とりあえずここから離れましょう。また降ってきたら嫌だわ」
降ってきたら、という言葉と共にミュエルが見下ろした先には、石が転がっていた。両手を揃えて載せられるかどうかという大きさで、黒くてギザギザの多いそれはいかにも重そうだ。そんな石が私たちの机のすぐそばに落ちている。当たったら無事では済まなかっただろう。
「ミュエル、リュエット、大丈夫?」
「まだガラスが付いているわ。ちょっと待ってて」
同級生の女の子たちが、ハンカチや手袋を使って私たちの体に付いている破片を落としてくれた。
ミュエルが言った通り、今日は体を動かす授業がないので、私もミュエルも髪飾りだけを付けて髪は下ろした状態だった。梳りながら破片を取り除いてもらうと、軽く落としたはずなのにまだまだ沢山破片がついていたのだとわかる。緩く波打つ長い髪はお手入れも時間がかかって大変だけれど、これがあったからこそ私たちは無事でいられたのかもしれない。
「とりあえず大方は落としたけれど。着替えてもう一度櫛を入れた方がいいかもしれないわ」
「ありがとう。皆さま怪我しなかった?」
「大丈夫よ。ふたりとも怖かったでしょう」
「びっくりはしたわね。手伝ってくれてありがとう。ぜひ今度お礼をさせて。太っちゃうくらい美味しいケーキとか」
「ミュエルったら!」
痛ましそうな顔をしていた同級生の面々が、ミュエルの言葉で明るくなった。先生の指示で教室が移動になり、私とミュエルはさらに別室へと案内される。いつもは厳しい年嵩の先生が、心配そうに声を和らげて私たちに着替えを持たせてくれた。
「予備の制服です。とりあえず着替えておしまいなさい。ご自分でできますわね? ガラスの破片が中に入ってしまわないよう、髪を布で覆うのよ」
「はい、先生」
「ありがとうございます」
小さな部屋は、おそらく先生方が休憩で使うための場所のようだった。ミュエルと交互に長い髪をリボンでまとめて布で巻き、それから制服を脱ぐ。切り返しがついているものの一枚に繋がっている制服は、生徒たちに自ら着替えることを教えるためにボタンが前についていて脱ぎ着しやすい。下着まで脱ぐとなれば手伝いが必要だったけれど、この一枚だけを着替えるのであれば私一人でも問題がなかった。
腕を抜いて着ていた制服を下に落とすと、僅かに硬い音がする。いくつかガラスの破片が残っていたようだ。既製で少し着心地の違う制服に着替えてから、そっと着ていた制服のポケットを探る。ハンカチと木綿の巾着を取り出して、巾着の中にある魔力画を見る。
「あら、すごい。派手に傷付いてるわ」
「ひどい……」
曲線が織りなす絵の中央に、鋭いもので引っ掻いたような傷が付いている。素材が完全に破損しているわけではないけれど、絵の表面にはざっくりと傷が走り、動いていたはずの2つの円は完全に止まっている。安定感のない構図が、魔力画の動きが無理に止められたものだと物語っているようだった。
ダメにしてしまった魔力画は、これで3枚目。火災で燃えたものとヴィルレリクさまの持っていたものも入れると、これで7枚の魔力画が喪失されたことになる。
「同じ場所にいて何も持っていなかった私は無傷なのに、リュエットの身代わりはこんな傷を負ってるなんて。怪我にならなくて本当に良かったわ。それにしてもあんな石、どこから投げたら……リュエット?」
「許せない」
「えっ」
「絶対犯人を捕まえてやるわ。魔力画冒涜の罪でギタギタにする」
「ギタギタ……?」
推してる魔力画家さまの作品を、ことごとくダメにしてくれるなんて。
愛すべき芸術作品を薪か何かのようにボーボー燃やすような犯人なんて、懲らしめてやるしかない。
私がそう呟くと、ミュエルはちょっと顔を引きつらせたまま微笑んだ。
「ま……魔力画冒涜罪なんてないと思うけど、そうね。淑女を害する輩なんてとっちめる方がいいわね。とりあえず、リュエットが怯えたり悲しんだりしてなくて良かったわ」
「悲しいけど、悲しむのは犯人が捕まってからにする。これ以上魔力画が犠牲になったら困るもの」
割れたガラスや石の恐怖が私を変えたのか、このとき私は自分の中で何かのスイッチが入ったような気がした。
怖いとか危ないとか、もうそんなこと言ってる場合じゃない。
推し(ラルフさま)に脅威を与えた上に、推し(魔力画たち)を害している犯人には、絶対に償いをしてもらう。
私の決意は顔にも出ていたらしい。あとで大声で名前を呼びながら駆け付けたお兄さまが私を見るなり「リュエットがマジギレしている……」と呟いたほどである。
とりあえず、お兄さまの靴をそっと爪先で踏んでおいた。




