悪意はいつどこにあるのかわかりません1
小鳥の絵画を眺めたり、事情を知ったミュエルが怒涛の勢いでやってきたり、お母さまと散歩をしたり、ゆっくり過ごしているうちに残りの2日も過ぎた。
「リュエット、本当に体調は大丈夫なのか?」
「もう少し休んでも構わないが」
「お兄さまお父さま、ご心配ありがとうございます。もうすっかり元気なので、頑張って授業の遅れを取り戻します」
返事をしてもまだ「少し領地に戻ってもいいんだぞ」などと言っているお父さまに、私は本当に大丈夫だと繰り返した。これ以上休んでいたら暇過ぎてむしろどこかへ出掛けたくなってしまう。魔力画が掛かっているカフェに行きたいとも言えるような状況でもないので、学園で授業を受けていた方がきっと精神的にもいいはずだ。
「お父さま、美術の授業は受けてもいいですか? 魔力画のお話を聞くかもしれませんが、今は歴史の講義なので実物を鑑賞することはないと思います」
「それくらいならいいだろう。くれぐれも魔力画には近付かないように」
「はい」
「それから、キャストル子爵から身を守る魔術を掛けた魔力画を託されていることは知っている。決して手放さないように」
「いいのですか?」
魔力画を持ち込んではいけない我が家の当主として、魔力画を持ち込んでいたことを怒ると思っていた。しかしお父さまはかなり渋々な顔をしながらも構わないと頷く。
「リュエットの災難を退けた実績があるだけに仕方ない。安全が第一だからな」
「ありがとうございます! それから、持っていたことを黙っていてごめんなさい」
「頭ごなしに怒ったりはしないから、これからはきちんと言うように。お父様もお母様もリュエットのことを心配しているのだから」
「はい」
「お兄ちゃまも心配してるぞ。ほらリュエット、フルーツをあげよう」
「ありがとう、お兄さま。フルーツはいりません」
魔力画が燃えた事件のことで心配はされたけれど、休んでいる間も私の家族はみんないつも通りに接してくれた。ヨセフを始めとして家で働く人たちも普段通りだけれど、いつもよりも声を掛けてくれて嬉しかった。
魔力画が燃えたことと私が無関係ではないというのは少し不安ではある。けれど、見守ってくれている人が沢山いるのだから、必要以上に物怖じせずにいたい。
「沢山食べないと頑張れないぞ。ほら、お兄ちゃまが剥いたフルーツだ」
「いりません。太ります。あとお兄ちゃまって言うのやめてください」
「リュエットは照れ屋さんだなあ」
「照れてないです」
「リュエット、お父様のパンを分けてあげようか」
「お父さま、私は別に病気をしたわけじゃないですよ。休んでる間もちゃんと食べてましたし、これ以上食べるとお腹がいっぱいになります」
「じゃあリュイちゃん、ミルクはいかが? 蜂蜜も入れましょうか?」
「お母さままで子供扱いしないでください!」
お父さまやお母さまが「小さい頃から変わっていない気がして」と色々しようとしてくれるのはわかるけれど、2つしか離れていないお兄さままでそっち側なのは納得がいかない。もうそろそろ私が16歳になったということをちゃんとわかってほしい。結婚する人も出てくる年頃だ。
ご馳走さまだと言い張って食器を下げてもらっていると、家令のヨセフがそっと近付いてきた。
「失礼いたします。キャストル子爵が、お嬢様をお迎えにいらっしゃいました」
「え、わざわざいらしてくれたのですか?」
告げられた瞬間、お父さまとお兄さまが渋い顔に変わった。
お母さまはあらぁ〜と両手を頬に当てていた。
「……待たせておきなさい」
「そうだぞリュエット。お茶をもう一杯飲むといい。お兄ちゃまが淹れてあげよう」
「お待たせすると失礼なので、もう行きます。お父さまお母さま、ごきげんよう」
「待ちなさいリュエット」
立ち上がって軽く膝を折ると、お父さまが私のそばにやってきて両肩に手を置いた。
「くれぐれも……くれぐれもな」
「くれぐれも?」
「……気を付けるんだぞ」
「はい。危ないことはしません。お父さまもお仕事頑張ってください」
抱きつくと、お父さまはしっかりと抱きしめてくれた。しっかりと抱きしめ過ぎて離れることができず、お母さまの手助けでようやく解放される。隣でお兄さまが両手を広げていたけれど、それには気付かなかったことにした。
お父さま、色々と余計な心配をし過ぎている気がする。
鞄を持って玄関ホールへ行くと、ヴィルレリクさまと目が合う。
柔らかく流れる白い髪に琥珀色の目、襟元だけを着崩した制服の濃灰色が雰囲気を引き締めていて、それでいてどこか浮世離れした、謎めいた佇まいをしている。
優しい色の目がゆっくりと細められて、少しだけ弧を描いた唇が開いた。
「おはよう」
「お、おはようございます」
いつもは「こんにちは」なので、おはようと挨拶するのがなんだか恥ずかしい。
鞄の持ち手を弄っていると、ズカズカとお兄さまが私を抜かしていった。
「やあキャストル、元気か。お宅からは我が家より学園の方が近かろうに、遠回りご苦労。ご立派な馬車できたようだな。同級生としてせいぜい寛がせてもらおう」
バンバンと背中を叩きながらやたら馴れ馴れしく話しかけているお兄さまは、ヴィルレリクさまを外へと追い出す。
お兄さまとヴィルレリクさまは同学年ではあるものの特に接点がない。いきなりのフレンドリーな態度に戸惑ったけれど、ヴィルレリクさまは特に気にしてはいないようだ。メンタルが安定し過ぎている。
振り向くと、お母さまがニコニコしながら立っていて、その隣、扉の影からお父さまがじっとこちらを見ていた。
「いってまいります」
「いってらっしゃい。気をつけてねえ」
「……」
お父さまが無言で手を振っていたので、手を振り返してからお兄さまたちを追う。
車寄せには侯爵家の紋章が入った立派な馬車が停まっていて、その入り口でお兄さまが我が物顔で私に手を差し出していた。隣に立っているヴィルレリクさまが手持ち無沙汰そうに見える。
「さ、リュエット。うちの倍くらい高い馬車だぞ。存分に堪能しなさい」
何様なんだお兄さま。
私は手を乗せながらこっそり囁いた。
「ちょっとお兄さま、さっきから失礼ですよ。ヴィルレリクさまは親切で来てくださってるんですから。というかなんでお兄さまも乗るんですか」
「乗せるなら1人も2人も変わらんだろう、最新の皮張り技術だぞ。どれ、お兄さまが内装の解説をしてやろう」
「やめて」
確かに、家で普段使っている馬車よりもうんと高級そうな馬車である。新しいし、窓も壁紙も凝っている。お兄さまと2人だけだったら私もはしゃいでいたかもしれないけれど、ヴィルレリクさまがいるのだ。
最後に乗り込み、私とお兄さまの向かいに座ったヴィルレリクさまがふっと微笑む。
「リュエットのご家族、仲良いね」
「……お恥ずかしいところを……」
私はフカフカな座席に座りながら小さくなった。
ヴィルレリクさまは思ったことを表に出さない方だし、気にしたそぶりも見せてはいないけれど、貴族らしくない変な家族と思われていたらどうしよう。いや実際に貴族にしてはちょっとくだけすぎて変な家族かもしれないけれど、ヴィルレリクさまにそう思われてたらと思うとなんだか閉じこもりたい。
とりあえずお父さまにはあとで猛抗議するとして、私は隣に座り「そうだろうそうだろう」と胸を張るお兄さまの手をこっそり抓っておいた。




