誘惑はどこにでもはないと思います18
ヴィルレリクさまは、まずワクワク顔で待ち構えていたお母さまに事情を説明し、それから帰宅したお父さまとお兄さまにも説明をした。お父さまとお兄さまに対する説明は時間がかかったようで、3人で執務室に入っている間にしっかり日が暮れてしまい、その日はヴィルレリクさまも交えての夕食となったのである。
いつも通りニコニコと場を盛り上げるお母さま。そして執務室から出てきてなお仏頂面のお父さまとお兄さま。そんな奇妙な食卓でもいつもと変わりない様子のヴィルレリクさま。そしてどういう状況なのか理解に苦しむ私。大好きな野菜のポタージュもいまいち味がわからなかった。
「まあ、そうでしたの! 入学初日のパーティーで出会うなんて、昔を思い出すわね、あなた。私たちも、あのパーティーで出会ったのよね」
「お母さま、ちょっと違いますし今その話はしなくても良いのでは」
「あらリュイちゃんったら照れちゃって。それにあの絵! とっても素敵だわあ。どなたが描かれたものですの?」
「趣味として描いているので、名前は非公表として扱っています」
「まぁそうなのね。お見舞いに絵を持ってくるのも素敵だわ。そうそう、あなたたちのお父さまが最初に贈ってくださったのはね」
「小さいけれど上質な『虹の滴』のネックレスですよね、お母さま」
「そうなの! そういえばあれもキャストル領で採れたものだったわ。あの頃からずっと、キャストルで採れる宝石は女性の憧れでしたのよ」
「そう言っていただけると父も喜びます」
お客さまと会話しつつ惚気るという謎の技術を発揮しているお母さまは、さすが社交界を生き抜いてきた伯爵夫人というところだろうか。微妙にハラハラすることはあったけれど、おかげで食卓が沈黙で満ちることはなかった。
お父さまとお兄さまは、石像にでもなってしまったかのように表情を変えずにひたすら食事をしている。お父さまは普段から感情表現が豊かな人ではないけれど、今はそれに輪をかけて渋い顔のままだった。
3つの魔力画が燃えたのは、自然に起きたものではなく犯人がいる事件だということ。そして、そのうちの2件で私が近くにいたのは偶然ではないということ。また同じようなことが起きるかもしれず、それを防ぐためにヴィルレリクさまが出来るだけ一緒に行動するということ。
どれをとってもお父さまにとっては悩ましいことだったのだろう。きりっとした見た目や冷徹だという王城での評価とは裏腹に、お父さまはお兄さまと私をそれはそれは大事に思っている。おまけに我が家にとってはいわくつきの魔力画が関係しているとなれば、渋い顔になっても仕方ないのかもしれない。
お口直しのデザートが運ばれてきてから、ようやくお父さまは口を開いた。
「リュエットはこれから事件が解決するまで、みだりに魔力画の近くへは寄らないように。キャストル子爵が守ってくれるようだが、彼も忙しいだろう。できるだけティスランを頼りなさい」
「僕は解決まではリュエットの安全を優先することになっているので、お気遣いは不要です」
キャストル子爵、もといヴィルレリクさまが言い添えると、お父さまの口がヒクリと引き攣った。
「……ティスラン、十分に妹を守るように」
「はい、父上。リュエット、安心してお兄ちゃまを頼るんだぞ」
ヴィルレリクさまが身を守ると言ってくださっているのに、なぜそこでお兄さまを出すのだろう。そしてお兄さまは自称お兄ちゃまをやめてほしい。ヴィルレリクさまもいるのに。
文句を言いたかったけれど、お母さまが片頬に笑窪を作りながらじっと私を見ている。上手に受け流せと言いたいのだろうか。私は背筋を伸ばして淑女らしく返事をした。
「ヴィルレリクさまは今までも助けてくださいましたし、ご迷惑になるかと思いますがこれからもお気にかけてくださるのならとても心強いです。もちろん、お兄さまも頼りにしておりますし、危ないことには自分から近付かないようにしますわ、お父さま」
「……そうするといい。リュエットは我が家の大事な娘だからな」
感情は遠回しに表現するのが上品とされるなんて、貴族はめんどくさい世界である。
食事を終えると、ヴィルレリクさまはお暇の挨拶をした。もう夜も遅くなりかけていたし、こういった急なお客さまのための部屋もあるので泊まっていくのかと思っていたけれど、迎えの馬車が来るようだ。
「お泊まりになったらいいのに、リュイちゃんとティスちゃんのお友達なんだから、気兼ねしなくていいのよ」
「母上、別に私とは友達ではありませんが」
「明日も学園がありますし、聴取のこともありますから。美味しい晩餐をありがとうございました」
「ぜひまたいらしてね。あ、馬車が来たみたい。リュイちゃん、お送りしてあげて」
「母上、なぜリュエットに送らせるのですか」
お母さまは上品に挨拶をすると、文句を言っているお兄さまと渋い顔のお父さまの背を押して先に奥へと戻っていった。私は言われた通り、ヴィルレリクさまと一緒に玄関へと向かう。開けられた扉の向こうは、星とランプの光しか見えない世界だった。
大きな馬車が近付いてくる音が聞こえる。何か言葉をかけないとと思って、私は顔を上げた。
「ヴィルレリクさま、色々とありがとうございました。私の身を案じてくださったことも……事情聴取にいてくださったことも、絵をくださったことも。それと、昨日、魔力画を助けてくださったことも」
「うん」
頷いて、それからヴィルレリクさまがくすりと笑う。
「リュエット、魔力画は普通、『助ける』とはいわないと思う」
「そうですか? でもあのときはまさに、ヴィルレリクさまは魔力画たちを助けていたと思います」
細められた琥珀色の目が、開けられた屋敷から漏れ出た灯りで少し明るく見える。
「リュエットが喜んでくれて良かった」
「え……あ、あの、でもやっぱり危なかったと思うので、ヴィルレリクさまも気を付けてくださると嬉しいです」
「うん」
照れてしまって顔を俯けると、すっと右手を取られる。
私の手を持ったまま、ヴィルレリクさまは頭を下げて礼をした。
礼儀としては、親しい仲でないと実際に手の甲へ口付けないとわかっていても、ヴィルレリクさまの唇に触れるんじゃないかとドキドキしてしまう。
さらりと光を弾く白い髪に隠れた目が、もう一度こちらを見る。
「おやすみ、リュエット」
「……おやすみなさいませ」
開けられた馬車に乗って去っていく姿を、そのまま見えなくなるまで見送ってしまった。




