誘惑はどこにでもはないと思います16
ほどなくして、黒き杖から派遣されてきた人たちも到着したと連絡が入る。
「ミュエル、今日は本当にありがとう」
「私も聴取に付いていくわ。恐ろしいことを思い出すのだもの、手を握ってるだけならいいでしょう?」
心配そうに私の手を握ったミュエルに、私は首を横に振った。
「気持ちは嬉しいけれど、大丈夫。明日も学校があるんだからミュエルはゆっくり休んで」
「でも」
「前にも話したことがある人たちだし、もし辛かったら途中でやめてもらうわ。それでも心配なら聴取が終わるまで待っていてくれてもいいけれど、遅くなってお泊まりになってしまうかも」
「初めてお邪魔したのに、流石にそれはできないわね」
学園で燃えていた魔力画は、マドセリア家のものよりも炎の勢いがさらに激しかった。そんな話を聞いていたら、ミュエルにもっと心配をかけてしまうかもしれない。そうならないようにと気遣いながら話せば、説明がさらに難しくなりそうだった。
事件が早く解決してほしいから、できるだけありのままを話しておきたい。幸いにもここは私の家なので、もしそれで疲れてもすぐにベッドに入れるのだから。
「ミュエルが来てくれたから元気になったし、聴取も頑張れそう。終わったら手紙を書くわね」
「ぜひそうして。明日も明後日も授業があるけど、リュエットが退屈してるならまたお茶に押し掛けるわ」
「楽しみにしてる」
軽くハグをして頬を合わせてから、ミュエルは立ち上がる。そのままズンズンとヴィルレリクさまに近付き、礼儀として立った彼に何か小声で言っていた。まくし立てるような様子だったけれど、ヴィルレリクさまは特に反応することもなく別れの挨拶を言っただけだった。
「じゃあねリュエット、ごきげんよう」
「ごきげんよう、お気を付けて」
サンルームを出たミュエルを案内する侍女の声が聞こえる。それが遠くなって、少しだけ静けさが漂った。
「あの、先程ミュエルが何か仰いましたか?」
「まだ疑ってる、リュエットに何かしたらタダじゃおかない、とか」
「……すみません……」
物怖じしないところはミュエルの美点のひとつだ。知らない人でも明るく話しかけるし、学年が違う人とも打ち解けてしまう。けれど、普段は最低限の礼儀を忘れることはない。そのミュエルが、ヴィルレリクさまには中々辛辣な態度をとっていた。
「その、ミュエルは私が心配で……普段はとてもいい子なんですけど」
「気にしてないよ。ロデリア伯爵も良い人だし。魔力画蒐集が過ぎるけど」
「ミュエルのお父さまともお付き合いがあるのですか?」
「家としては少しね」
魔力画は価値が高いため、蒐集すると良からぬ人たちに狙われやすくなる。黒き杖の仕事柄もあって、ミュエルの家ともつながりがあるのかもしれない。
「ロデリア家は魔力画にのめり込んでるけど、ミュエル嬢が犯人ということもないから安心するといいよ」
「え? そ、そんなこと考えたこともありません!」
「ならよかった。自分も疑うなら、疑念くらいは持ってるかと思って」
確かにカフェにはミュエルと一緒に行ったし、マドセリア家でも一緒だった。学園の火事では見ていないけれど、ミュエルも生徒ではある以上疑いが向けられる可能性はゼロではないのかもしれない。
けれど、家が魔力画を蒐集しているとはいえ、ミュエルは知識こそあるものの魔力画への興味はほとんどない。魔力画にのめり込んでいる両親に呆れてはいるけれど、火を付けるほど憎んではいない。特殊な体質なら、家の魔力画がまっさきに被害に遭うはず。ミュエルが犯人である理由はそれこそないのだ。
仮に、私をどうにかしたいのなら、学園内で多くの時間を一緒に過ごしているミュエルにはそれこそ色んな手段がある。
「……でも、もしミュエルが犯人だったら私はすごく落ち込むと思うので、ヴィルレリクさまが違うと仰ってくれるなら嬉しいです」
「うん」
ヴィルレリクさまは不思議な落ち着きがあるからか、言葉に説得力があるように感じる。慌てているところがないからだろうか。二学年しか離れていないのに、なんだかとても大人に感じる。
「お嬢さま、お客様の準備が整いました」
「ええ、今行くわ」
家令のヨセフが来たので、私とヴィルレリクさまが移動の準備を始める。手を差し出されたのでそれに自分のものを重ねようとして思い出した。
「あ、これも持っていきます」
「……聴取に?」
「はい。かわいいし、見てると元気が出ます」
貰ったばかりの小鳥の絵画を持って言うと、ヴィルレリクさまが片眉を上げて首を傾げた。
失われた魔力画に描かれていた小鳥たち。普段魔力画家は魔力画しか描かないといわれているのに、これは動くことのない絵画として描かれている。身代わりになって灰となったことを悲しんでいた私を慰めてくれているようで嬉しかった。
もしこれが魔力画だったら、火事のことや灰になった小さな魔力画のことが思い浮かんで心から喜べなかったかもしれない。その気遣いをしてくれたのはヴィルレリクさまだろうか。どちらにしろ、時間がかかる制作を急いでお見舞いの品として持ってきてくれたのだから、ヴィルレリクさまと描いた人の心遣いが感じられた。
「絵画にしてくださって、本当によかった。魔力画だと、堂々と受け取れないので」
「燃えそうで怖いから?」
「いえ、うちの家は魔力画持ち込み禁止なんです。昔、少し揉めたみたいで、家では一枚も見たことがなくて。あ、お守りくらいは大丈夫だと思います」
「へえ」
歩きながら、額を持って絵を眺める。つやのあるクチバシや柔らかそうな羽根、瑞々しい枝までもが動きそうなほど美しい。
「この絵は、心おきなく飾れます。私の部屋の一番目に入るところに置きますね」
「まだ乾き切ってないから、匂いを取ってからにしたほうがいいよ」
「匂いなんて平気です。絶対に今日から飾ります」
この小鳥たちが人の少ないところで放置されることになったら、私は待ちきれなくてその部屋で過ごすことになりそうだ。
そう言うと、ヴィルレリクさまは少し肩を竦めた。
「気に入ってくれたようでよかった」
「はい。描いた方にもお礼を言っておいてください。いえ、手紙を書いてもいいですか? 私からもお礼と、とっても素敵な絵だと伝えられたら嬉しいです」
「いいけど……返事は来ないと思うよ」
「はい。気持ちを伝えたいだけなので」
これほどかわいい絵を描くだなんて、きっと繊細で素敵な人なのだろう。
何かお礼に素敵なものを贈ってもいいかもしれない。
ワクワクしながら考えていると、ヴィルレリクさまがちょっとだけ笑った。




