誘惑はどこにでもはないと思います12
翌日から3日間、私は学園を休むことになった。
家に帰ってから改めてお医者さまに見てもらい、体は何ともないけれど、先月も火事を目撃したことも考えて、少し休養してはどうかと提案されたのだ。お兄さまはもちろん、お父さまやお母さまも賛成したので、私は学園を初めて休むことになったのである。
特にショックを受けたりもしていないと思っていたけれど、翌朝、学園に出掛けるお兄さまを見送るとなんだかぐったりしてしまった。ミュエルに心配しないよう手紙を書こうと思っていたのに、部屋に戻るのも億劫だ。
「リュエット、大丈夫か?」
「お父さま」
私の隣に座ったお父さまが、優しく頭を撫でてくれた。なんだか子供の頃に戻ったような気持ちになる。
「少し疲れたみたいです」
「そうか。先程、黒き杖から事情を聴きたいとの手紙が来たのだが、日を改めさせようか」
「黒き杖……」
「そうだ。先月、学園で聴取をした人物を寄越すと言っているが、休養が終わってからの方が落ち着いて話せるだろう」
マドセリア家で魔力画が燃えた事件、あのときは翌日に学校で事情を聴取された。かなり詳細に聞かれたから、時間をおかずに覚えていることを聴取したいのだろう。
お父さまは気遣ってくれているけれど、このままぐったりと3日間を過ごすと昨日のことがあやふやになってしまいそうな気がする。黒き杖から聞き取りにきた2人は、誠実で丁寧な聴取をしてくれた。忘れる前に言ってしまった方がいいかもしれない。
「いえ、今日お越しいただいてかまいません」
「しかし、顔色が悪い。無理はしない方が」
「リュイちゃん、お茶の時間に来ていただいたら? それまで少し休んでいるといいわ。途中で辛くなったら休ませていただいてもいいし」
「そうします」
お母さまの提案に頷くと、心配そうにしていたお父さまも了承してくれた。返信をしてから仕事に行くというお父さまに挨拶して、私はお母さまに促されるままベッドへ戻る。お母さまはデュべを整えて、横になった私のおでこを撫でてから手を握る。お父さまと同じように、子供扱いしてくれるのが少しくすぐったくて嬉しい。
「ゆっくり休むといいわ。リュイちゃんは学園に入ってから、いっぱい頑張ってたものねえ」
「そうですか?」
「そうよ。魔力画のこと、沢山調べてたでしょう?」
「お母さま、どうしてそれを?」
驚いて訊ねると、お母さまはうふふと笑った。
カスタノシュ家には魔力画に対して悪い思い出が多い。持ち込んではいけないといわれたほどのものだと知ってからは、魔力画が好きになって勉強していると口に出すことはしないように気をつけてきた。魔力画についての本も学校でだけ読んでいたし、マドセリア家の事件についてはさすがに何度か話をしたけれど、それ以降は話題にも出ていない。
ヴィルレリクさまに貸してもらったお守りの魔力画のことさえ話していなかったというのに、どうして知っているのか。
「わが子のことですもの。展示会に行きたいだなんておねだりもしてたし、それに、危ない目に遭ってまで魔力画を火から守ろうとしたんでしょう? リュイちゃんたら、子供のときも大事なハンカチを落として池に飛び込んだわよねえ」
「そ、それは」
領地にあるお屋敷の裏には池があって、小さい頃にハンカチを落として取りに入ったこと覚えている。魚やカエルがいるので今だととても入りたいとは思えない池だけれど、あの頃は川遊びもしていたし抵抗感がなかったのだ。というか恥ずかしいので忘れてほしい。
「昔から好きになったら一途なんだから。お母さまとしては、その気持ちがそろそろ素敵な男性に向かうんじゃないかと思ってたんだけど」
「お母さま……」
私と同じエメラルド色の目が、キラッキラに輝いている。美しい金色の髪も相まって、まるで夢見る少女のようだ。
「残念ながら、そんな予定はないです」
「あらぁ、そうかしら?」
キラキラした目のまま、お母さまがスススと取り出したのは1通の手紙だった。差し出されたので受け取る。宛名はうちのカスタノシュ家になっていた。裏を見ると、紺色の封蝋にはすでに切られていた。押してある紋章には見覚えがない。お母さまがニコニコしながら頷くので中を見る。手紙の署名を見て思わず声が出た。
「ヴィルレリクさま?」
「あら、やっぱりお友達なのね!」
手紙には、お見舞いの言葉と、黒き杖が申し出た聴取は無理をしなくていいこと、もし聴取を受けるのであれば立ち会いたいということが書かれていた。便箋は青花を圧した紙で、小鳥が飛び交う縁取りが描かれている。とても可愛い。
「少しでも心が休まりますように祈りを込めて、ですってー!! リュイちゃんたらー!!」
「お、お母さま! それは結びの定型文ですから!」
「だって、お家とのやり取りに普通こんなかわいい便箋使わないわよー! この縁取り、手描きよ! うちにも欲しいわー!」
「お母さま、落ち着いて」
キャーキャーとお母さまが騒いだので、家令のヨセフがちらっと部屋を覗いた。目が合うと、微妙に微笑みながら下がられた。家で経験を積み重ねたヨセフは全てを見透かしているようだ。
「で、リュイちゃん。ぜひおいでくださいませってお返事していいのよね?」
「え……」
「ダメなの?」
「いえそんな」
「じゃあいいのよね?」
「……ヴィルレリクさまは、黒き杖と関連が深いお家ですから……その、昨日の火事でもお世話になりましたし」
「いいのね?」
「はい……」
「ではお返事出しておくわね!」
満開の薔薇のような笑顔になったお母さまは、私の頭をくしゃくしゃに撫で、額にちゅっとキスを落としてから踊るように部屋を出ていった。なんだか恥ずかしくなって、私はベッドに潜り込む。
ヴィルレリクさまがわざわざ来るのは黒き杖の人が来るからであって、私が休んでいるからであって、前も立ち会ってくださったからであって。
ひとりきりの部屋でぐるぐる考えながら、もう一度そっと手紙を開く。
綴られているヴィルレリクさまの字は、とても美しかった。




