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誘惑はどこにでもはないと思います7

 ヴィルレリクさまの琥珀色の瞳は、微笑めば優しい日差しのように見えるけれど、こうして表情を浮かべていなければ冷たい金属のような近寄りがたい印象に変わる。


「マドセリアが近付こうとしてるの?」

「ち、近付こうとしているというか、その、お詫びをと」

「そう」


 心なしか、私に対する声音も冷えているように感じた。掴めない雰囲気ながらも少しは打ち解けたと思えたのが嘘のようだ。何か考えるように黙ったヴィルレリクさまは、私とは違う世界に生きているように見える。

 ラルフさまもいるからかも知れない。自分がひどく場違いな存在なのではないかと思えて、豪華な場所にひとり置いていかれたかのような心細さを感じた。


「あ、あの、私はこれで失礼します。ラルフさま、ヴィルレリクさま、ごきげんよう」


 深くお辞儀をして、彼らの目から逃れるように校舎へと急いだ。

 学園の生活にも慣れてきて、自分も少し大人になったような気分でいたのかもしれない。男性と話しても怖気付かないようになったと思っていたけれど、こうして何かあると逃げ出したくなってしまう。


 もしかして、自分では気付いていなかったけれど、サイアンさまにお誘いを沢山もらったせいで舞い上がっていたのだろうか。ヴィルレリクさまはそんな私を見抜いて軽蔑したのかもしれない。

 そんな振る舞いをしていたのかと思うと恥ずかしいし、それを誰よりヴィルレリクさまに見られたというのが恥ずかしい。

 穴の中にでも入り込みたい気分だった。



 ほとんど走るように廊下を進んで、大ホールへと続く道に繋がる扉を押し開けた。

 俯きながら考え事をしていたので、最初に気付いたのは匂いだった。

 鼻にツンとくるような煙の匂い。冬の領地でやる焚き火に似た匂いと、苦味のある不快な臭いが入り混じったものだった。それから弾けるような音に、何かが落ちる音。

 そこで黒く濁る視界と、その中で眩しく光を発しているものに気が付いた。


 魔力画が燃えている。


「ヴィルレリクさま!!」


 引き返して、今度は本当に廊下を走る。揺れるスカートを邪魔に思いながら片手で摘んで、中庭の方から近付いてくる人影を見つけた。

 飛び込むように近付いて彼の腕を掴むと、ヴィルレリクさまが驚いたように目を見開いている。


「リュエット?」

「ヴィルレリクさま、魔力画が!」


 さっと表情を険しくさせたヴィルレリクさまが「燃えてるの」と確信したように呟いた。それに何度も頷いて、案内しようと彼の腕を引く。それに逆らわず進みながら、ヴィルレリクさまは振り返って声を上げた。


「ラルフ!」

「どうした」

「火事だ。人を遠ざけて」

「引き受けた。先生と侯爵を呼ぶ」


 頷いたラルフさまに、「この子も連れていって」と引き渡されそうになる。

 その手から逃れて私は首を振った。


「私は大丈夫です。魔力画を助けないと」

「駄目。危ない。離れてて」

「嫌です!」


 怒った顔のヴィルレリクさまは恐い。けれど私は指示に従わずにもう一度ホールの方へと走った。私を呼ぶ声が後ろからついてくる。


 はっきりとは確認しなかったけれど、遠目には一枚の魔力画が燃えているように見えた。複数枚飾られている魔力画は、それぞれが少し距離を開けて並んでいる。燃え移るとしても時間がかかるはずだ。けれど、このまま放っておいたら鎮火の前に燃えてしまうかもしれない。あるいは、水をかけられてダメになってしまうかも。


「リュエット!」


 扉を開けるのと同時に、私の手をヴィルレリクさまが掴んだ。


「ヴィルレリクさま、見て! 他の魔力画はまだ助けられます」

「入ったらダメ」

「取り外して持ち出す時間はあるわ」


 幸い、激しく燃えているのは火元らしい魔力画だけだ。それが掛かっている壁も黒く煤けてはいるけれど、燃え広がっている様子はない。廊下は幅があるので燃えている向こう側へも取り外しに行けるし、その先はホール、そこからも外へは逃げられる。

 掴まれた手を引っ張りながらそう言うと、険しい顔をしていたヴィルレリクさまがぐっと何かを堪えるように口を閉じ、それから息を吐いた。


「わかった。僕が持ち出すからここにいて」

「私も行きます。2人で行った方が早いはずです」

「強情者」


 ぎゅっと寄せた眉でそう言われたけれど、ここで引き下がるわけにはいかない。ヴィルレリクさまより先に火の手がある廊下へ進むと、燃えている場所から20歩のところで肩を引かれた。


「ここで待っていて」

「手伝います」

「リュエットには無理。魔力画は普通には取り外せない。死にたくないならここにいて」


 価値の高い魔力画には、盗まれないような魔術が仕込まれていることが多い。確かに私はそれを避けて取り外すすべを知らなかった。

 では、ヴィルレリクさまにはそれができるのだろうか。


「外した魔力画をここまで持ってきたら、外に運んで。それができないなら外さない。リュエットを連れて出る」

「……ここで見ています。あの、ヴィルレリクさま」

「なに」


 ポケットから取り出したレモン色の巾着を差し出す。するとヴィルレリクさまは目を瞬かせてから「持ってる」と胸ポケットを指してほんの少しだけ口角を上げた。そしてそのまま、まっすぐに燃えている魔力画の方へと歩いていく。

 私は言われたままにヴィルレリクさまの姿をその場に立って見送った。煙の出ている方へと迷いなく近付く姿を見ていると、それがとても危険なことだとようやく気付く。そして、ヴィルレリクさまは私のわがままでそうしているのだ。


 小さな魔力画を巾着越しにぎゅっと握る。そうして強く願った。

 どうかヴィルレリクさまが無事でいられますように。






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