誘惑はどこにでもはないと思います6
中庭の真ん中を通り過ぎた頃、ちょうど向かっている先の廊下に大勢の生徒が出てきていた。授業が終わったのだろうか、わいわいと騒がしく歩いていく姿が続いている。その間を縫って通るのは大変そうで、私もヴィルレリクさまもなんとなく足を止めた。
「……の影響で、ヌカント地方の魔力画の技法は絶えたって書いてありましたけど、どういうものだったんでしょう。調べてみたら、学園にはヌカントの魔力画は置いてないようでした」
「かなり値が張るから。青い塗料をビートという鳥の羽から作ってたんだけど、生息域で戦争が起きたせいで食料として乱獲されて、絶滅したからもう作れない。技術的にはそう難しくはないよ」
「そうなんですか」
「うん」
魔力画の前で出会っただけあって、ヴィルレリクさまは魔力画について詳しい。自分からあれこれと教えてくれるわけではないけれど、私が訊くと必ず答えを教えてくれる。まだまだ魔力画好き初心者の私がするような質問は簡単なのかもしれないけれど、それでも専門書にあるような答えを淀みなく答えることができるのは、付け焼き刃の知識ではできないことだろう。
私の周りにはリュミロフ先生以外に教えてくれるほど詳しい人がいないので、こうして話に付き合ってくれるだけでもなんだか嬉しい。
「教本や授業で見る魔力画で、貴重なものや技巧を凝らしているものが紹介されたりもしますけど、良さがわからないものも沢山あって……いっぱい作品を見れば、そういうものもわかるのでしょうか?」
「どれだけ値段が高くても、いいと思えないなら自分にとって価値はないよ」
「そ、そうでしょうか」
美術の授業で魔力画に興味がある人は、すでに魔力画をよく知っていたり、家にも沢山コレクションがあるという人が多い。好きになるのも勉強を始めたのも遅かった私は、魔力画について勉強すればするほどどこか自信のようなものをなくしてもいた。
パッと見て技法を見抜く人もいるのに、私には全然わからない。細かい動きを沢山仕込んだ大きな絵は価値が高いとわかるけれど、小さくシンプルな絵については簡単なものなのかそう見えて技術を凝らしているのかもわからない。
そういうことがわかればもっと魔力画を楽しめるのではないか、と落ち込むこともあった私にとって、ヴィルレリクさまのような答えを堂々と言えるようになれる日は遠そうだ。
「あの……貸して頂いている魔力画の小鳥たちは、とても可愛いくて好きです」
「そう」
「ホールの廊下に掛かっている、抽象画の魔力画も。線と円だけなのに、なんだかずっと眺めていたくなります」
ヴィルレリクさまと初めて会ったときに見ていた、斜線上を円が移動するだけのごくシンプルな絵。見惚れるような美しさも、惚れ惚れするような動きもないけれど、なんとなく頭に残るし、なんとなくまた見たくなる不思議な絵だった。
「あの絵が、今まで見た魔力画の中では、一番好きかもしれません」
口に出すと、なんだか自分の中での価値観が少しだけ定まった気がした。
自分で所有しているものではないけれど、画家も技法も価値も知らないけれど。
私にとって、あの絵はとても価値のあるものだ。たとえ世間での評価が低かったとしても。
そう思えたことが少しだけ誇らしく感じる。
「ありがとうございます」
「何もしてないよ」
「いえ、ヴィルレリクさまのおかげで、なんだかもっと魔力画を好きになれそうです」
私がそう言うと、ヴィルレリクさまが琥珀色の目を細めて少しだけ微笑んだ。
「ウィルでいいよ。前も言ったけど」
「でも、あの」
「ウィル!!」
力強くそう呼んだのは私ではない。
移動していた人波のなかから大きく手を振っている人物が、もう一度そう呼びながら近付いてくる。
その姿をはっきり確認した瞬間、私は気絶しそうになった。
「こんなところで偶然だな」
「うん」
「美術は終わるの早かったのか? 今日は絵の具塗れじゃないんだな」
ららららラルフさまが!! ものすごい笑顔で近付いてくる!!!
ヴィルレリクさまに気さくに話しかけているのは、私の推しである。片手に教科書を持ちながら、親しげな笑顔を向けてヴィルレリクさまにあれこれ話しかけていた。
その素敵な青い目が、私の方へと向けられる。
「あれ、確か新入生の」
「あ、あの、リュエット・カスタノシュです」
「そうだ、ティスランの妹君」
きゃー!! やったー覚えられてたー!!! 推しが私の情報を脳に入れてくれてたー!!!
うるさい脳内を必死に沈めつつ、私はドキドキしながらラルフさまに礼をした。キラキラ輝く金髪碧眼のラルフさまは、やっぱり近くで見ると眩しすぎる。
「意外な組み合わせだな。ウィル、彼女と知り合い?」
「うん」
「もうちょっと説明してくれ」
「知り合い」
「お前な……」
ラルフさまのくだけた話し方ー!! ステキ!!
でもステキすぎていちいち見てしまうし近くにいるのが恥ずかしい!!
「あの……、私はここで失礼しますね」
「うん、じゃあね」
すすす、と2人から離れつつ礼をすると、何故かヴィルレリクさまが私の方に来てラルフさまに軽く手を振った。
そうじゃない。ほらラルフさまもきょとんとした顔になってる! 眼福だけどそうじゃない!!
「もしかしてどこか行くところ?」
「あの……私は魔力画を見に行こうと思っていただけですので……どうぞお二方はおかまいなく……」
「ああ、魔力画繋がりか。もしかして急いでたのかな」
「いえそれほどではないんですけど、今日はその、特別ゆっくり見れる日なので」
「なんで?」
私に問い返してきたのはヴィルレリクさまである。
キラキラしたラルフさま、浮世離れした雰囲気のヴィルレリクさま。
顔立ちは似ているところは少ないけれど、2人とも太陽とも並べるほどの眩しいイケメンであるところは同じだ。そんな2人に見つめられ、私は脳のキャパシティがいっぱいになった気がした。
「あのその……先日の件で、マドセリア家の方が気を遣ってくださっていて……、それはありがたいのですが、お誘いくださるおかげで魔力画をゆっくり見る時間が減っているといいますか……」
しどろもどろになりつつ説明する。
角が立たないようにと考えながら言ったけれど、いっぱいいっぱいだったせいで何か失敗をしたようだ。
ふと気がつくと、ヴィルレリクさまの柔らかい雰囲気がすっぱりと削げ落ちていた。




