誘惑はどこにでもはないと思います5
人気の少ない廊下を、鼻歌を歌いながら歩く。
今日の放課後は、サイアンさまと遭遇しない絶好のチャンスだ。
サイアンさまは意外なことに、魔力画に関係のある美術ではなく工芸を履修しているらしい。工芸の実習はかなり時間がかかるので、日が暮れての帰宅も多いそうだ。工芸品の制作をするため服が汚れることも多く、実習室から近い裏門を通って帰るのが通例らしい。
つまり私は邪魔されたり気を使ったりすることなく魔力画鑑賞に集中できる。
今日ばかりはミュエルのお誘いも断って、時間の許す限り魔力画を堪能するつもりだ。
先週は職員棟にある魔力画を満足するまで眺められて幸せだった。今日はどこにいこうか。記録室で生徒作品の続きを見てもいいけれど、あそこはサイアンさまとの遭遇率が高い場所なせいかいまいち気分が向かない。
久しぶりにホールの方へ行ってみよう。
中庭を横切って近道しようと思い石畳を渡り始めた瞬間、背後から呼び止められた。
「リュエット」
まさかサイアンさまが、と身構えながら振り向くと、そこにいたのは全く色彩の違う人だった。
校舎の影から進み出ると、白い髪が午後の太陽を浴びて光っているように見える。琥珀色の目は光で金色に近くなり、普段の得体の知れなさが神々しさに変わっている気がした。
「ヴィルレリクさま」
「こんにちは」
「こんにちは、お久しぶりですね」
「うん」
その神々しさのせいか、サイアンさまに身構える生活で張っていた気が緩んだのか、思わずきた道を戻るように歩いてしまった。慌てて立ち止まると、ゆったりとヴィルレリクさまが近付いてくる。
相変わらず謎を秘めてそうな雰囲気ではあるけれど、何度も会って見慣れてきたのかもしれない。変に誘われないというだけでも気が楽だ。
「何してるの?」
「魔力画を見ようと思って、ホールの方へ向かっていました」
「そう」
頷いたヴィルレリクさまが、足を踏み出す。そのまま行ってしまうのかと思っていたら、私を振り返って首を傾げた。
「行かないの?」
「え?」
「魔力画を見に」
「行きます……けど……」
一緒に行く流れなんですか。
とかそういう質問を封じてしまうような空気がある。やっぱりヴィルレリクさまは得体が知れない。
さっきの挨拶からどういう流れでそうなったのか全く理解できないまま、ヴィルレリクさまと一緒に中庭を歩く。少し後ろを歩いていたら、また立ち止まられて横に来るまで待たれたのである。
「あの……お預かりした小鳥の魔力画、ちゃんと無事に持ってます」
「それはよかった」
ポケットからレモン色の布袋を取り出した。薄く柔らかい綿布で作った小さな巾着を開いて、中にあった正方形の魔力画をそっと手に取る。ヴィルレリクさまは私の手からそれを取ってしばらく眺めていたけれど、うん、と言っただけでそれをまた私の手へと戻した。持ち帰ってくれる気はないらしい。
「その……ヴィルレリクさまも美術を履修されてるのですか?」
「うん」
「3年生は、実習も本格的なものだとリュミロフ先生がおっしゃってました」
「そうだね」
「……ヴィルレリクさまも、絵を描かれるのですか?」
「うん」
気まずい。




