誘惑はどこにでもはないと思います1
「ピグミアという鳥がいる」
カップに口を付けたお兄さまが、静かに話し始めた。
「頭頂部と尾は青、頬は白、背と羽は緑で腹は薄い桃色。このくらいの小さな鳥だが大きな声で鳴く鳥だ。繁殖期の春になると、オスは巣作りのために枝を集め、そして小さな石を探す。美しい石で飾った巣にメスを誘き寄せ、その石を渡すことによって求愛するのだ」
「……それがどうかしたのですか?」
首元も緩めずきちんと制服を着たお兄さまは、私の問いにも静かに答えた。
「つまりそういうことではないか?」
「……どういうことなのですか?」
「もしかして、ヴィルレリクさまがそのピグミアで、魔力画が小石だと言いたいんじゃない?」
「そういうことだ。ミュエル嬢は察しがいい」
透かし彫りのある丸いテーブルに置いたポットを持ち、お兄さまがミュエルにお茶を注いだ。お礼を言ったミュエルが、小さな焼き菓子を指で摘んで口に入れる。美味しいわよと勧められて私も焼き菓子を摘みながらも、疑問を飲み込むことができなかった。
「お兄さまは何を言っているの?」
「なんだ、リュエットは鈍いな。鈍感系というやつか。つまりキャストルがリュエットに魔力画を贈ろうとするのは、求愛行動なのではないかと言ったんだ」
「求愛行動って……そんな動物の行動みたいに言わないでください!」
「何を言う。我々人間も動物の一員だぞ。小手先の思考を身に付けただけの、ただの動物だ」
「もうお兄さまは黙って」
心配したお父さまとお母さまにより、当分の間、私は自由行動を制限されることになってしまった。元々あまり行かせたくはなかった魔力画の展示会で魔力画が燃え、危うく火傷を負うような目に遭ったということもあるし、それ以前に立ち寄ったカフェで起きた火事も関係しているのかもしれない。
魔力画に関しては、少なくともマドセリア家で起きた火災の原因がはっきりするまでは、いかなる展示会へも参加は禁止。学校帰りの寄り道もなるべくしないこと。もし友人とお茶をしたいというなら、お兄さまを連れていくこと。そして早めに帰ること。
もう16歳だというのに、まるで5歳の子供のような約束をさせられてしまった。
マドセリア家で魔力画が燃えたのも、ついでにカフェで火事があったことも私には関係ないことなので少しだけ納得いかない気持ちもある。心配する気持ちもわかるので、ただ事件の解決を祈るのみだった。
というわけで、今日の寄り道にはお兄さまがついてきたのだった。
お兄さまの姿に少し目を丸くしたものの「ご両親には逆らえないわね」と同行を許してくれたミュエルには感謝しかない。
「そもそも、ヴィルレリクさまとはよく話したこともないわけだし、何を考えているのかよくわからないし、私のことだってきっとよく知らないと思うわ」
「リュエット、残念な事実だがな、世の男の中にはどんな相手だろうととりあえず引っ掛けようとする奴が」
「ヴィルレリクさまはそんな人じゃありません!」
お兄さまの話に付き合っていると疲れる。
私はカップを置いてお兄さまから顔を背け、同じソファに座っているミュエルの方へと体ごと向くことにした。
すると、ミュエルはミュエルで難しい顔をしている。
「……なんだか怪しいわ」
「何が?」
「何もかもよ! ヴィルレリクさまはどうしてリュエットに魔力画を渡すの? その魔力画に身代わりをするような魔術が掛けられていたなんてどういうこと? マドセリア家で有無を言わさず部屋に通された私たちを、あんなにあっさり解放させることができたのはなぜ? ヴィルレリクさまって王家の隠し子説があるって本当なの?」
胡散臭くて信じられない! とミュエルが言うと、お兄さまが「確かに」と同意する声が聞こえた。私はもう一度座り直してお兄さまからは完全に背を向ける。
「さ、最後のは関係ないと思うわ……」
「そうかしら? 身を守るための魔力画なんてそうあるものじゃないわ。少なくとも、貴重なものほど狙いたがるうちのお父さまが持ってないのだもの。それをホイホイ人に貸して、しかも壊れてしまっても気にしないだなんて、よっぽどお金があるか、よっぽど魔力画家にコネがあるか、よっぽどリュエットに惚れ込んでるかの三択になるじゃない!」
「だから、最後のはやっぱり関係ないと思うわ……」
「そもそも!!」
ぴっと人差し指を立て、私の言葉に被せるように言葉を発したミュエルは、一転私に顔を近付けて声を潜めた。
「マドセリア家での火事は、ヴィルレリクさまが関係しているのではなくて?」
「まさか」
「だっておかしいでしょう? どうして何もなかったときに、リュエットにそんな魔力画を渡したの? 普通、貴族のお嬢さまが危険な目に遭うだなんて想像する?」
「それは、わからないけれど」
「ヴィルレリクさまは、 何かが起きると知っていたのではないの?」
なぜ私に魔力画を渡そうとしたのか。断っても、返そうとしても。
その疑問は、私も抱いていたものだった。
「でも、魔力画が燃えたこととは関係ないと思うわ。もしヴィルレリクさまがあの近くにいたらきっと気が付いていたはずだし、それに、あのとき誰も魔力画に触れていなかったのは私が一番知ってるもの」
「でもヴィルレリクさまは、同じ会場にいたわ。誰も触れていないのに火事を起こせるような仕組みが存在するなら、ヴィルレリクさまにも可能だということになるでしょう」
「そんな……でも、本当にそうなら、なぜ私たちがいるあの瞬間を狙ったの? そう、私に貴重な魔力画を渡して身を守らせるよりも、私たちが近付いていないときに燃やせばよかったんじゃない?」
そもそも近くにいなければ、炎によって火傷を負う可能性もない。マドセリア家は広く、庭も開放されていた。短いけれど私たちが庭にいた時間もあった。もし本当に危険な目に遭わせたくないのであれば、その時間にことを起こせたはずだ。そうでなくても、広いホールでゆっくりと魔力画を見ていたのだから、いくらでもチャンスはあった。
「もし犯人なら私にお守りの魔力画を渡さなかったんじゃない? だって渡さないままでいたら、ミュエルだってヴィルレリクさまのことを疑ったりしなかっただろうし。わざわざ疑われる可能性を上げるなんておかしいわ」
「う……確かにリュエットの言う通りかも……」
「でしょう?」
「でもでも、ヴィルレリクさまの行動が怪しいことには変わりないでしょう? どうして親しくもないリュエットに魔力画をあげるの?」
「それはわからないけれど……でも、ヴィルレリクさまは悪い人ではないと思うわ」
得体の知れない雰囲気があって、隠れラスボスだと言われても違和感がないような見た目をしているけれど。
でもヴィルレリクさまは、マドセリア家で私たちを助けてくれた。私が事情聴取をされている間中、ずっと付き添ってくれた。焦げた魔力画を渡してくれた。私の歩みに合わせてゆっくりと隣を歩いてくれていた。
もし何かを企んでいるのなら、そういうことをするだろうか。
「まあまあリュエット。キャストルの真意を確かめたいのなら策はある」
「ティスランさま、何か考えがありますの?」
お兄さまの声に、ミュエルが反応してしまった。
「簡単だ。お茶に誘われたのだろう。お兄ちゃまが同行して見極めてやろう。どんな思惑をもって我が妹に近付いたのか、とな」
「お兄さま……」
「それはないわ。ありえないわ」
ミュエルがものすごくがっかりした顔で、溜息を吐きながら首を振った。私も同意だ。
少しでも期待して反応したことを後悔しているのだろう。こんなお兄さまでミュエルに申し訳なくなった。
「なぜだ、ミュエル嬢」
「なぜでもよ! 絶対ないわ! この際だから言わせていただきますけど、ティスランさま、そんなことをしたらそのうち本気でリュエットに嫌われますわよ!」
「なんだと」
驚くお兄さまに、ミュエルが言葉を尽くしていかにありえないかを伝えている。
お兄さまはお喋りだけれど、ミュエルはもっと口が上手なのだ。最終的にお兄さまは竦然とした様子で静かになった。
今度ミュエルになにかお礼のプレゼントを贈りたい。
お兄さまを言葉でやり込めたミュエルは、ふう、と息を吐いてから、私をまっすぐ見て言う。
「お茶会のことは置いといても、リュエット、ヴィルレリクさまには気を付けたほうがいいわ。少なくとも、ちゃんと信用のおける人だと確信が持てるまでは」




